「うるせぇ。バラエティは《芸》でなく《能》の時代なんだ」という想像


今年最初の神回だろう『しくじり先生』の杉村太蔵

2015年1月8日に放送された『しくじり先生』の杉村太蔵の回は、今年最初の「神回」でした。とくに「うるせぇ」は、ユーキャンに、

「今年の流行語はいま決めましょう!“うるせぇ”ですよ!え?ノミネートは年末だって?うるせぇ!」

と言いたくなるようなぐらい強烈なワードでした。

そして同様に、2010年代(いわゆるテン年代)のバラエティで、「芸能人」として活躍するためには、《能》を持っていることが重要なのかもしれない、とあらためて感じました。
今日はこの点について、ちょっと「うるせぇ」ことですが(笑)、考えてみましょう。

芸能人の「芸」と「能」

そもそも、ですが。「芸能人」とは何を指しているのでしょうか。まずは辞書から始めてみましょう。

映画・演劇・落語・歌謡・音楽・舞踊など、主に大衆演芸向けの娯楽の総称。

辞書からだと、とりあえず、「楽しませる人」というような意味ですかね。それでは、《芸》《能》とはどのような意味でしょうか。まず、《芸》は、

1 学問や武術・伝統芸能などの、修練によって身につけた特別の技能・技術。技芸。「―は一生」
2 人前で演じる特別のわざ。演芸・曲芸など。「猿に―を仕込む」

とあるように、《芸》=「努力して身につけた力」と言えるかと思います。一方、《能》は、

1 ある物事をなしとげる力。はたらき。能力。「人を動かす―にたける」
2 ききめ。効能。「薬の―書き」
3 技能。また、誇ったり取り立てていったりするのにふさわしい事柄。「机に向かうだけが―ではない」

とあるように、《芸》とわかりやすく区別すれば、《能》=「努力せずに身についていった/もともとついている力」です。

つまり、芸能とは、《芸》と《能》を合わせた、「努力の有無は関係ない、何かしらの力」ですね。これ、わたしたちがイメージする「芸能」と相違無いかと思います。

《能》のタレントが求められる時代

で、何が言いたいかといいますと、序文通り、2015年現在は「努力せずに身についていった/もともとついている力」=《能》を持っているタレントが求められているだろう、ということです。

2013年のテレビもいろいろな芸人が出てきましたが、こうして1年を振り返ってみると序盤の印象とあまり変わらず、SMAP中居くんとデヴィ・スカルノ夫人が圧倒的に面白かった。

上の記事はちょうど1年前に書いた日記ですが、たとえばデヴィ夫人なんてまさしく《能》のタレントで(努力してああなるのは無理ですからね・笑)、彼女だからこそ成立する企画やトークがあります。そして、杉村太蔵も同じように、《能》のタレントだと思います(努力して失言したりしませんからね)。

このように、一生懸命努力して身につけたトークテクニックや、ひな壇テクニックなどではない、ましてや「キャラクター」と呼ばれる表面的なイメージでもない、その人本来の魅力が「ズバ抜けている」ようなタレントが求められているのでしょう。

マツコ・デラックスという革命

以下はすべて直感ですが、2000年代(ゼロ年代)は《芸》が重宝されていた時代だと思います。M-1だけが原因ではありませんが、少なくともM-1もその空気感をつくった一部であることは間違いないでしょう。また、芸人だけでも溢れている土俵に、グラビアアイドルから女優や俳優、ミュージシャン、文化人まで、「芸能人」と名のつくものみんなが入ろうとしたことも大きいでしょう。他には、「頑張った人が認められてほしい」というような時代の空気感もあったのかもしれません(本当に憶測でしか書いていません。もう少しツッコんで考えてみたいですね)。

しかし、ここ数年は《芸》から《能》にシフトしてきています。とくに注目すべきは、マツコ・デラックスです。彼/彼女が一般的な人気を獲得した頃、そして『アウト・デラックス』が始まった2011年がひとつのわかりやすい区切りでしょうか(M-1が終わった次の年です)。マツコがメインになる番組は、番組名に「マツコ」がきちんと入っているのも凄いですよね。
というか、「マツコ」という名前をキーパンチすると、あらためてその不思議さというか、ものすごいことが今日本で起こっているんだ、と認識させられます。

見世物小屋の復活?

どんどん妄想ばかりが進むので(とはいえ、「バカみたいな妄想だ」とか言われたら「うるせぇ」と返すだけの気概はあります)、このエントリはこれで一度終わりにします。

これまで見聞きしたことからするに、昔のテレビには「こわいもの見たさ」、「とにかくスゴいものを見たい」という欲望が反映されていたのだと思います。そのような、いわゆる「見世物小屋」的なスタンスをテレビが取り戻しつつあることは、89年生まれでバリバリのゆとり世代のコボリからすると未知のものが見れる期待しかありません。
また、この観点から2014年のTHE MAZNAIをもう一度振り返ると、博多華丸・大吉は素晴らしい《芸》と《能》を持ち合わせたコンビだったんだなー、と感じました。

THE MANZAIはM-1を殺した―中川家から博多華丸・大吉まで

とにかく、2015年のテレビがどうなるか。「やべーやつ」がたくさん見れることを楽しみにしておきます。