“笑う”芸人、“受け入れる”マツコ―『夜の街を徘徊する』感想と考察


マツコと2人のオバサン

時刻は22時。

平和島の商店街を歩くマツコ。そこに、どうやら一杯ひっかけて機嫌の良いオバサン(マツコ曰く「おかあさん」、「ババァ」)2人が絡んできました。

以下、自分の記憶のためにもメモっておきます。

オバサンA「マツコ…さん、握手してください…!」
マツコ「お母さんたち、テレビ映ってもいい? (ずっと握手するので、)映りすぎよお母さん。 お母さんたち、結構映ったよいま」
オバサンA「なんのテレビこれ?」
マツコ「これは誰も見てないの! 夜の、真夜中から始まる番組よ。真夜中見てる?」
オバサンB「見てるよ! (近くの居酒屋を見つけて)行こう行こう!」
マツコ「え!? オススメ? 知らないでしょ本当は」

(店に入るかどうか悩んでるマツコ。その後ろで、オバサンたちが店に入ろうとする)
マツコ「雨も降ってきたし、入る? ん? お母さんたちレギュラー?(笑) お母さんたち演者さんになっちゃってるよ」
オバサンA,B「さっき飲んできたのよ…(音声拾えず)」
マツコ「お母さんたち、あのねー、出ることには問題ないんだけど、何言ってるのかわかんないんだよね(笑) お母さんたち、一緒に行くの!?」

(取材交渉中)
マツコ「お母さんたちは、いいから入りなよ。(オバサンたちを店に入れたあとで、スタッフに)あの人たちの家族とかはどうなってんのかな。こんな時間にいい感じになってる…」

マツコ「お母さんたちが交渉してる!?」
オバサンB「(店員に)マツコと喋りなさいよ」
マツコ「(スタッフに)お前より頼りになるな(笑)」

という感じです。この雰囲気は動画じゃないと伝わらないかもしれませんが、なんとなく想像できますでしょうか。コボリはこれを見てジーンとしてしまいました(笑)。

実際は、もう1組のオバサンたちがカメラを覗きこむ場面もジーンと来るんですが(笑)、えー、話を戻しましょう。

『夜の町を徘徊する』がこれほど素晴らしいとは.

『夜の町を徘徊する』は、今月放送が開始された、マツコ・デラックスによる「町ブラ」の番組です。あてもなく歩き回るところが番組の特徴です。
夜の巷を徘徊する|テレビ朝日


さて、さきほどのシーンの続きですが、マツコはオバサンたちに促されるまま、その場に居合わせたサラリーマンたちと合流して飲み始めます。

マツコに山崎のハイボールまで奢ってもらって上機嫌のまま過ごすオバサンたち(すこし引くサラリーマンが本当に印象的)。そして、何杯か飲んでからマツコはオバサンたちを残して店を出ます。

個人的にものすごいジーンと来た場面なので、これも書き残しておきましょう。マツコが店を出る前です。

オバサンB「あの…テレビ見てますから」
マツコ「そこに戻るの、お母さん?」
オバサンA「もう幸せねえ…! もう、マツコに会ったんだから」

これらのシーンは、多分2015年を振り返るときでもまだ新鮮であり続ける予感がします。番組の開始前は「マツコもついに町ブラかよ〜」なんて思っていた自分が、ものすごい衝撃と感動を受けて一瞬泣きそうになったぐらいです(苦笑)。

“受け入れる”マツコ

このシーンを観ていて自分が考えたのがひとつあります。それは、マツコがオバサン2人の側に立って話をしていたことです。言い換えれば、マツコの“受け入れる”姿勢に、あらためてビックリしました。

マツコの性質がら、「マイノリティ・弱者の味方に立つ」というような言い方もできないこともないのですが、それよりも「共感性」という言葉のほうが適切でしょうか。。

『夜の町を徘徊する』のマツコは、2人のオバサンに共感しながら、ときに笑いどころもつくっています(共感といっても同化している訳ではないんです。家の玄関口まで入ってきて会話するぐらい。わかりづらいか・笑)。

この映像を見た視聴者は、空間的・精神的に遠い地平にいるオバサンたちにさまざまな感情を感じつつも、どこかマツコとオバサンと同じような立ち位置にもいたのではないかと思います。

「タップおばさん」はどうだったのか

この放送を見て、パッと思い出した番組のあるシーンがあります。それは、同じ町ブラ番組としてもはや大人気となっている『モヤモヤさまぁ〜ず』の名シーン、「タップおばさん」です。


舞台は月島の商店街。あるネコについて、おばあさんから話を聞くさまぁ〜ず。しかし、だんだんとおばあさんのトークはヒートアップして、いわゆる「面倒」な雰囲気になってきます。

以降、他のブログを引用させていただきますが、

本来の目的であるネコのことなど忘れてしまって、老婆のマシンガントークから逃れるためにその現場から帰ろうとしたら、老婆がなぜか追いかけてきて「タップができる」と衝撃の発言。
そしてカメラの前でタップ?を踊り出す。昔テレビでやっていたタップを見よう見まねで覚えたという。

87歳とは思えない動き、タップ?(いや、あれはタップです!)。タップを踊る老婆にさまぁ~ずも興奮ぎみで、終いには三村さんも一緒にタップ?を踊り出す始末。

ハイテンションでタップを踊る老婆に「もう1回見せて」とリクエストするさまぁ~ず。2回のリクエストに応えてタップを踊る老婆。更に踊り続ける老婆のハイテンションっぷりに心配したのか、「血圧上がるから」とドクターストップをかける友達のおじさん。
正に『伝説のタップ』でした。
伝説のタップ @ モヤモヤさまぁ~ず2 – アメーバブログ

このときのさまぁ〜ずと自分の立ち位置は、「こんな人いるのかよ! おもしれー!」だったと思います。

言い換えれば、タップおばさんを外側から観察し、その面白さを観ていました。

“笑う”しかない芸人

この『モヤさま』のさまぁ〜ずは、タップおばさんを“笑う”ことで番組を成立させています。

たとえば、ひとつ距離を置いて泳がせてみたり。無理矢理同化して、もっとヒートアップさせてみたり。スベり芸を扱うかのように「了解で〜す」みたいにしてみたり。

この場合の視聴者は、タップおばさんの共感するというよりかは、タップおばさんの愛らしさに魅了されて好きになるような感覚だったことでしょう。


こうして考えてみると、芸人はやはり芸人。変人やクセのある素人に対して、方法はいろいろあれど、そのゴールは“笑う”なのかもしれません。

その一方で、素人をありのままに“受け入れる”タレントはマツコぐらいなのではないか。そのあたりが、マツコの人気ぶりや、人気を支える魅力になっているのではないか、と感じました。

※ 本エントリの誤解されやすいところだと思いますが、決して「笑う」姿勢は悪かった、反省しようという訳ではありません。普通であれば、というかテレビであれば、変人は「見世物」として扱われるのが普通でしょう。
※ 本エントリと微妙に関係することですが、松本人志の「働くおっさん劇場」は、なんというか“笑う”と“受け入れる”が入り混じった番組だったかもしれませんね。というか、そこが松本人志の独特な感じなのかも。

すべての素人は私である。マツコという「新宿」

最後に。『夜の町を徘徊する』を見てなぜか泣きそうになったことは上述しましたが、このエントリを書きながらその理由もなんとなく思い当たるところが出てきました。

それは、オバサンを受け入れるマツコを見ながら、自身もマツコ(あるいは誰か)に受け入れられているシーンを想像していたのではないか。ということです。

マツコと話すオバサン2人は、なんというか、自分とは全く異なる人間であるのにも関わらず、どこか自分のように思えました。

アホみたいな結論ですが、『夜の町を徘徊する』に出てくる素人は、すべて自分なのかもしれません。


あと、もうひとつだけ。“受け入れる”ことについて、マツコ自身もコメントしている場面がありました。

VTR後、番組がスタジオトークに移ると、マツコは「新宿は一生カオスです。あんな混沌とした街はない」と断言。さらに、新宿を知ると他の町が物足りないとこぼし、その魅力について「拒まれないのよ、あの町は。すべての人間を受け入れてくれる」と指摘している。
マツコが語る新宿の魅力 他の街ではもう物足りない? – ライブドアニュース
http://news.livedoor.com/article/detail/9770161/

「拒まれないのよ、あの町は。すべての人間を受け入れてくれる」とは、新宿のことであり、マツコ自身かもしれません。