玉村豊男『料理の四面体』〜たった1冊の、無限レシピ〜

久しぶりにニヤニヤする本に出会ってしまった。本書の内容がどうかはともかくとして、

「いやー、そうですよねー。そういう気持ち、オレ、めっちゃわかります!!」

という種類の、共感や共感から生まれるワクワク感みたいなものに包まれてしまった。

感想

本書は、「イッパツで料理の一般的原理を発見し、それを知ったらあとは糸を紡ぐように引けば引くだけ次から次へと料理のレパートリーが無限に出てくる」(※1)方法を考え、提示した本である。

還元すれば、数多の料理法をあるひとつの理論で説明する、という無茶にも程がある種類のチャレンジだ。

こういった欲望は、さまざまなジャンルで顔を出す。音楽も、さまざまな人が理論をつくり、統一的な説明が試された。しかし、音楽の構造を把握した者は誰一人いない。

著者の玉村豊男さんは、現在はワイナリーを経営していて、実際に彼の料理を食べに行くこともできる。サイン本も購入することができる(笑。「ヴィラデスト ガーデンファーム アンド ワイナリー l 玉村豊男のワイナリー カフェ」より。)

文体は、タイトルや内容から論文のようなものに思われ、手に取る気になれないかもしれない。しかし実際は、著者の体験談がエッセイのように並べられ、体験から得た結論を最後の数十ページにまとめた、とても読みやすい形式になっている。

「料理が好き。レシピを読むのが好き。自分でレシピを考えるのが好き」なんて人であれば、充分な面白さを得られることは保証したい。


さて。さきに結論を書くと、あるものの全てを一つの統一的な理論で説明すると無理が生じることは上述したが、この本もおそらく同じような歪みを抱えている。

しかし本書は、だからといって切り捨てるには、あまりに惜しいほどの魅力を持っている。無茶なことをやってるからといって、トンデモにするには勿体無い。

これは個人の意見だが、分析というのは「誤りがゆえの魅力」を持つ数少ない学問であり、いわば「ハズすからこそ楽しい」娯楽でもある。

『料理の四面体』は、上のような意味でバランスのよい「分析」がされていて、文体も洒脱で読みやすく、かつ現実的な側面もたくさん含んでいる。

こういうのを何という? 「最高」だ。

頂点と底面―「火」と「空気、水、油」

本書のタイトルである「料理の四面体」とは、他ならぬレヴィ=ストロース(彼については橋爪大三郎『はじめての構造主義』〜ヨーロッパ文明を破壊したレヴィ=ストロースの構造主義で少し触れている)「料理の三角形」という言葉がモチーフになっている。

とはいえ、読めばわかるように、実際の関連はない。アカデミック的な面白さを期待すると面食らうだろう。

四面体の「頂点」と「底面に含まれる3点」をそれぞれ重要な要素と考え、それぞれの線分の間に料理を置いているのだ。確認してみよう。

「頂点」にあたる、料理において最も重要な要素は、約40万年前から人類が使っている「火」だ。火によって、人間は「料理」という技術を覚える。
(※「料理」を表す”cooking”、”cuisine”はラテン語の”coquere”から来ている。”coquere”の意味は、「火熱を加える」という意味だ。この点から筆者は、欧米における料理が「加熱すること」と不可分であり、たとえばサラダのような加熱しない料理が”hors-d’œuvre”(オードブル。直訳で「仕事の外」)であることを指摘する。あわせて、日本では、おける刺身の包丁捌きのような、加熱しない技術を「ものごとを料(はか)り理(おさ)める」ものとして「料理」と名付けられていることも指摘する。)

そして、その火に合わせる3つの要素は、「空気」、「水」、「油」だ。

「空気」を例にとる。「空気」を「火と加熱する物体の間にあるもの」と定義すれば、空気の量を調整した加熱として、グリル、ロースト、干物、燻製が挙げられる。

ここで個人的に重要なのは、干物だ。干物は単に外気に晒しておくだけであり、「空気」だけの料理に見えるかもしれない。

しかし、干物にも「火」は利用されている。それは太陽なのだ。

干物の場合はくんせいよりももう少し火から離れていて、火源との距離が一億五千万キロメートルほどあるだけなのである。
(※2)

この一文は、本書の魅力を端的に表す一文だと思うが、どうだろうか。

すべての料理は「料理以前」である

上の話も魅力たっぷりだが、本書はまだ止まらない。

それは、サラダに関する話だ。サラダとは「生の食材に調味料・ソースを混ぜわせたもの」であるとし、これを拡大的に解釈するシーンだ。少し長いが引用してみる。

一本の胡瓜に、塩をつけて食べるとしよう。
その場合、胡瓜につける塩は“ソース”であり、塩のついた胡瓜は“サラダ”ということになる。
一枚の焼き肉に、塩をつけて食べる。
とすれば、その塩は焼き肉の“ソース”であり、塩味のついた焼き肉(ステーキ)は、そう、“サラダ”ということになる⋯⋯。
(※3)

つまり、「加熱後のもの」を、もう一度「加熱前のもの」とみなしているのだ。

ステーキが意外すぎるなら、ポテトサラダでどうだろう。ポテトサラダは、じゃがいもや人参を茹でている。(※これは「火」と多めの「水」による料理法だ。)

しかし、この茹でた野菜をもう一度生の状態として和えているから、この料理はポテト「サラダ」なのだ。

この例は著者への僅かなお礼として、著作権フリーで差し上げたい。

無限のレシピ

雑にまとめれば、本書の内容は次のように説明できる。

どんな料理でも、「空気、水、油」と「火」の使用とドレッシング(調味する)を繰り返せば、すべての料理を作ることができる。

おそらく、例外はあるだろう。しかし、大事なのはこの理論を知ったあとの自身の認識だ。

私はいま、どんな料理を食べても、あるいは自分で料理しても、この理論が頭を巡る。

今日はハンバーグのパイ包みを食べた。さて、四面体に配置してみようか。

(※1)玉村豊男『料理の四面体』、中央文庫、2010年(単行本は1980年)、12頁。
(※2)同91頁。
(※3)同173頁。

目次

  1. 料理のレパートリー
  2. ローストビーフの原理
  3. てんぷらの分類学
  4. 刺身という名のサラダ
  5. スープとお粥の関係
  6. 料理のレパートリー
  7. 料理の構造――または料理の四面体について

読んでみたい/関連する参考文献

  • 辻嘉一『御飯と味噌汁』