《コンプライアンス》のなかった頃の、五時の夫婦

2020年4月3日、金曜日。

会社の最終出社日。退職でもないし、こういう状況で社内の人数も少ないので、とくに送別の雰囲気もなく終わった。個人の性に合う、ほぼ理想に近い最終出社だったと思う。

帰りしな、家電量販店に寄って食洗機の導入を相談した。帰宅後は配偶者がカレーを食べたいというので作ったけれど、配偶者に合わせて甘口を食べた。ほぼ「カレーのような食べ物」だったけれど滋味はあった。陳腐な感想だけど年齢が一桁だった頃を思い出す。


EDINETのXBRL解析は、MySQLをインストールして「過去5〜10年のデータを溜め込む」ことができたので、数年間にわたっての「1株あたりの価値」を見ることができるようになった。ためしに気になっている株を適当に見てみた。

昨日考えていた現状の株価を出す機能の開発を忘れていたので、明日以降にやるつもり。また処理とDBを同じコンテナ内でやっているので、これを分離させてdocker-composeで管理できるようにもしてみたい。

そこまで終わったらQiitaに投稿して、アウトプットのまとめをしておこうかと思う。


昨日の『アメトーーク』の「みちょぱスゴいぞ芸人」は、このブログでは本当に何度も言っているので言い疲れたけれど、それでも将来の記録のため書いておこう。今日の放送は、バラエティ好きとして大笑いしながら見つつも、自身に深く刻み込まれてしまった《コンプライアンス》が何度もレッドシグナルを出していた。絶対に炎上するぞこれ。

私だって素直にみちょぱを褒めたい(先に言うけど、つまるところ関係性のプロがみちょぱだ。やりたい/やってほしい役を察知してくれるから、どんなこともできる。個人的にはそこに対する負い目のようなものを感じている「にこるん」のほうが共感はするけれど)。しかしバラエティはドラマじゃない。あの場で行われていることは現実だと認識されて(みんな居酒屋の隣の席を見ている気分になっているのだ。めちゃくちゃ的を得ているアナロジーでは)、みんな怒りを覚えている。

そんなことを考えていたら、さっそく炎上してそうなタイトルの記事が目に入った。読むのはやめておこう。


そんな感じで無駄に疲れを感じていたら、たまたま志村けんといしのようこの「五時の夫婦」のyoutubeがレコメンドされた。気づいたら2時間ぐらい見てしまっていて、あっという間にいしのようこのファンになっていた。コンプライアンス疲れの行く先は、コンプライアンスのまだ無かった「あの素晴らしい頃」かって? だったら相当にダサいぞ。

とりあえずしばらくは、このコントにコンプライアンスの流れ弾が当たらないことを祈ろう。「インターネットによって現実と虚構を区別できなくなる」という警鐘は、あながち棄却できないかもしれない。時間と空間が消えたいま、2020年のテレ朝のスタジオだって、1990年のフジテレビのスタジオだって、ヤフコメの照準は合わせられるのだから。