【過去記事】11,000字のKREVA論 〜 ラップの<ノイズ>と<啓蒙>
2015年6月26日に書かれたこの記事は、KREVA本人がブログで取り上げてくれた程度には盛り上がった。
すでに5年が経過しているが、ここで書いているように、いまだにKREVAに対する不理解は変わっていないと思う。
※KREVAさんご本人から、このエントリに対する言及をいただきました。大変恐縮です。
**お忙しいだろうに、きちんと論旨を掴んで読んでいただきまして。「あかさたなはまやらわをん」を入れてないのはおかしいだろ!
とまで仰ってもらいました(笑)。本当にありがとうございます。**
ってことで、まずは、このエントリをスルッと読むための準備として、「あかさたなはまやらわをん」から始めましょう。
― KREVAさんは、どれだけ成功しても常に「まだ足りない」「納得いかない」という不満を抱えている人だと思うんですね。
KREVA:まさに。常にフラストレーションがある。そのフラストレーションの形が時々によって変わるから、表現や歌う内容が違ってくるだけで。
ヒップホップの挑戦者、KREVAが語る「悔しさばかり覚えてる」 - 音楽インタビュー :CINRA.NET
KREVA(クレバ、908)は、今最も売れている「ヒップホップ」のアーティストである。
これは、おそらくKREVAを紹介するときに必ず出てくるセンテンスだろう。もう少し詳しく説明するなら、日本語ラップを本当の意味でメインストリームに届けた最初の人物でもあり、日本のヒップホップの地位の向上に貢献した人物がKREVAである。
しかし、 「KREVA」というラッパーについて、その凄まじさを正しく理解している人は、そのリスナー数に比べて極めて少ない。
KREVAは2015年現在にいたっても不理解と誤解を背負ったまま、それでも(だからこそ)第一線を走り続けているラッパーだ、と私は考えている。その証拠に「KREVA 批評」、「KREVA レビュー」と入れてみてほしい。納得いくテキストに出会ったことがあるだろうか。
では、なぜKREVAは理解されぬまま、売れていながらもある種の「黙殺」を受けているのか。 それはとても単純だ。「ラップに対する理解がまだ追いついていない」のである。
とくにインタビュー記事に顕著だが、ほとんどの記事で取り扱うのは歌詞の内容であり、ラップのテクニカルな部分やビートに対する言及や質問はされていない。このことは、KREVAの歌詞の訴求力が強いことを示している訳でもあるが、同時にKRVEAの本質を理解することを遠ざける要因にもなる。
なので、試しにまず自分から、キーパンチを試みよう。KREVAの全てをたった10,000字のテキストで説明することはとても困難であり(新書が1冊書ける)、具体的な記述が少ないために単なる印象論で終わってしまうかもしれない。それでも、熱意だけで書かれたこのテキストに多少の意味はあるはずだ。
以下のレビューでは、基本的にラップ詞の解読(「これはこういう意味で、当時の背景は…」など)はしない。代わりに、KRVEAのラップがどのように変容したかを中心に書いていく。
キーワードは<ノイズ>、サブキーワードは<啓蒙>である。
これを念頭に読んでいただければ、ひとつぐらいは手土産を持ってブラウザを閉じることができるはずだ。
では、とりあえずバース1をキックしよう。
序文と結論:KREVAに対するDISについて。<ノイズ>の無さが<ノイズ>を生む
まず、KREVAの「誤解」について話をしておきたい。
2015年現在でこそ見かけることは減ったが、KREVAは最近まで「セルアウトだ」、「ヒップホップではない」などと、とくにヒップホップ側(つまるところ同業者、ラッパーですが)から批判されることが多かった(日本語ラップの改革者KREVA 彼に寄せられる批判に妥当性はあるか? - RealSound|リアルサウンド)。
一方で、これは想像ではあるが、KREVAがソロ活動を始めてからのファンは、KREVAが「セルアウトか?」とか「ヒップホップであるか?」などは気にしていないだろう。
あるアーティストの読み込み方に置いて、これほど「同業者」と「ファン」の間の隔たりが大きいのはKREVAぐらいではないか。片方からは「ヒップホップではない」と攻撃され、もう片方からは「ヒップホップかどうかとか関係ない! KREVAの曲が好き!」とリスペクトされる。
この隔たりの原因は色々とあると思うが(商業的な成功による妬みという単純なものや、歌詞にジャーゴンが入っていないため同化できない、など)、このエントリでは音楽的な側面からそれを探してみたい。
私なりに答えを挙げれば、それは <ノイズ> の有無だ。 <ノイズ>とは、いわゆる文字通りの「ノイズ=雑音」ではなく、「 わかりにくさ、曖昧さ 」と捉えてもらいたい。
たとえば、手書きの手紙は、書いた本人のクセ字やペンの種類などが原因で読みにくかったり、誤読される可能性がある。これは<ノイズ>の多い文章だ。一方で、キーボードで打たれたゴシック体の文字は読みにくさがなく、万人が同じように読んで理解することができる。これは<ノイズ>の無い文章だ(※1)。
音楽を例に挙げて説明しなおそう。たとえば、KREVAをディスっていた同業者がよく挙げる好きなラッパーにNasがいる。下の音源はNasの一番売れたアルバムの収録曲だ。1分でいいので聴いてみてほしい。
ここにKREVAの大ヒット作「音色」を並置してみて、どんなところが違うか考えてみたい。一聴して、KREVAの曲と異なるところがあるのは分かってもらえるはずだ。大雑把ではあるが、私なりに説明するなら次の3点になる。
- NASはズレのあるリズムの上でラップしているが、KREVAはスクエアなリズムの上でラップしている(※2)。
- NASのトラックはローファイ(音が悪い。低音中心)だが、KREVAのトラックはハイファイ(音が良い。高音もキレイ)だ。
- NASのラップは複雑(一聴しても覚えられない)だが、KREVAのラップは単純だ。(言語の問題でなく、構造として)
これらの3点をまとめて説明すると、 KREVAの曲は典型的なヒップホップの曲に比べて、構造的にも音質的にも、あまりに「キレイ過ぎる」のだ。
つまり、KREVAの音楽には<ノイズ>が少ない。この点は、KREVAを理解するにあたって最も重要なことだ。
<ノイズ>の多さで比べると、KREVAの曲はなるほどJ-POPに近く(正確なリズムの上で歌い、音は非常にクリアで、メロディの構造がわかりやすい)、ヒップホップ側からブーイングの声が聞こえることにも一応の納得はできる。
しかしこの<ノイズ>の少なさは、KREVAがソロ活動を続けるうえで、切っても切り離せない要素なのである。それはなぜか。
KREVAは、何よりも「ラップの面白さや難しさ」を日本の一般的なリスナーに理解させたかったからである。
これはマーケティングな意味(潜在的な購買層を増やす)もあるが、個人的には<啓蒙>の思想が強いと判断した。つまり「ラップってこんなに面白くて、難しくて、楽しめるものなんだ」とリスナーに感じてほしい一心なのだと思う。もう少しセンチメンタルに書けば、自身のファンにKREVAというラッパーのことをより理解してもらうため、丁寧な自己紹介を続けているような感じだ。
このとき大事なのは、リスナーへの<啓蒙>を第一の目的としたとき、上述したリズムのズレ、ヒップホップ的なローファイな音質、複雑な構造のラップ、つまり<ノイズ>の多い曲を制作することは目的を達成する手段としては不適切なのである。
このように、<ノイズ>の少なさは、KREVAの<啓蒙>と密接な関係にある。では、これを念頭において、2015年までに発売されてアルバムを振り返ってみたい。
(※1)「<ノイズ>なんて言わずに<わかりやすい音楽>で良いんじゃない?」い言われるかもしれないが、これはあえてだ。それは、これほどの長文を簡潔に読むためのキャッチーなキーワードが欲しかったことがひとつ。そして、<ノイズ>という用語には様々な意味があるからだ。たとえば<ノイズ>は、アナログ/デジタルの問題を、身体性の問題を含むことができる。これは結部で昇華される。
(※2)時間の関係上、詳しい説明は省きましたが、要望があればちゃんと書きます。
『新人クレバ』:KREVAの大いなる「一限目」
KREVAは2004年6月、『希望の炎』でソロデビュー。同年11月にアルバム 『新人クレバ』をリリースした。このアルバムを手にしたのは、おそらくKICK THE CAN CREW時代からのファンがほとんどだったであろう。
もしKREVAを真剣に批評しようと思った場合(これが存在しないわけだが)、まずブチ当たるのが「希望の炎」や「音色」だ。とくに、オートチューン(音程矯正ソフト。Perfumeのボーカルのアレで有名になった)をかませたラップソング「希望の炎」は、当時驚きを持って迎えられたのを覚えている。
では、なぜKREVA「希望の炎」のような曲を作ったのか。その答えを考える前にまずは『新人クレバ』の特徴を抑えよう。
『新人クレバ』でKREVAがチャレンジしたのは<ノイズ>の少ないヒップホップである。それは音数の少なさ、ズレの少ないリズム、音の綺麗さ、そしてラップのわかりやすさである。
「ラップのわかりやすさ」とは、端的に言えば「 自分も同じラップができるか(再現性)」という意味だ。極端な話、カラオケでKREVAと同じように歌えれば、それは「わかりやすいラップ」と言える。
<ノイズ>の少ないKREVAの曲は、再現性の高い曲でもあるのだ。
反対に、日本でもっとも再現性の低い=<ノイズ>のある曲を例としてTHA BLUE HERB「続・腐食」などを挙げよう。KREVAファンのリスナーの中には、拒否反応を覚える人もいるかもしれない。
学校で使っていた教科書を思い出してほしい。教科書には試験までに覚えておきたい最低限の内容が書いてある。この教科書があるから、私たちは重要な知識を体系的、効率的にインストールすることができ、またこれを土台として応用的な内容の学習にジャンプアップすることができた。もし、最初から国語便覧を丸暗記しようと思っても、絶対に無理だ。
このように考えると、「希望の炎」、そして「音色」のようなメロディアスなラップを採用したKREVAの意図も掴めてくるのではないか。
KREVAは、「ラップ」が必然的に持つ「不確定なリズム(身体的なリズム)」、「不確定な音程」を楽譜に起こすようにメロディにすることで、ラップをより理解しやすいものにした(※3)。 いわば、KREVAは『新人クレバ』で 日本語ラップの教科書の執筆を始めた。
はじめて「ヒップホップ=ラップ」に接するリスナーに対して、最低限の教養が身につけられるようなアルバムを作ろうとした。
KREVAの場合、その「最低限の教養」とは 「韻=ライム」 である。
「韻=ライム」とは、広義には「聴いた感じが似ている」言葉の組み合わせだ(ex.「クレバ」と「黒田」)。もっと狭くKREVA風に定義すれば、「母音が一致している」言葉の組み合わせが韻である(ex.「びっくりさせる」、「じっくり耐える」)。
KREVAが『新人クレバ』でリスナーに提示した唯一の要望は、「 母音の一致を利用してラップしていることに気付いてほしい 」ということである。そして、このチャレンジは以降の作品でも同様に行われ、より精度が上がっていく。
(※3)「希望の炎」になぜオートチューンがかかっていたかも、ここから考察することが可能である。オートチューンは音程矯正ソフトであり、すべての音を無理矢理ドレミに変換する。つまり、クリアになるのだ。ちなみに、オートチューンによる音程矯正=<ノイズ>の無化というのは、これだけでひとつのテーマになり、他の題材(ハイレゾ、浄水器、ヘッドホン、twitterなど)も絡んでくるため、ここで打ち切る。
『愛・自分博』、『よろしくお願いします』:基礎の繰り返しとKREVAの成長
2006年2月、2作目のアルバム『愛・自分博』がリリースされた。このアルバムは、日本語ヒップホップのソロアーティストとしては初めてオリコン1位をとった記念すべき作品でもある。KREVAのソロ活動のファンは、きっとこのあたりから増え始めただろう。
『愛・自分博』は、簡単にいえば『新人クレバ』の続編だ。というより、 『新人クレバ』をさらに理解しやすく録り直したものが『愛・自分博』と言える。
遅めのビートにハッキリとした韻を持つラップを乗せることで、リスナーにラップの構造を把握してもらおうとしている。 たとえば「スタート」は、このことがよく分かる曲だ。個人的にはバース1の「そのまた先も/揺れる七色のこの輝きを」あたりのフロウがKREVAらしいと感じる。
翌年、2007年9月には3作目のアルバム『よろしくお願いします』がリリースされる。
『よろしくお願いします』では、KREVAは日本語ラップの教科書としての試みは続けつつも、その中で音楽的なバラエティに富む楽曲を生み出すことに挑んでいる。
最も教科書的な楽曲は、SPITZの草野マサムネをfeat.した「くればいいのに」だろう。ループ物のヒップホップとしてはかなりポップスの要素を強めた本作は、KREVAのラップもメロディ化されており、歌いやすいラップになっている。
一方で、珍しく楽曲のテンポを上げた「Have a nice day!」や、ハネの効いたビートでラップした「ストロングスタイル」。また、次作『心臓』に繋がるようなメロウさを持った「アグレッシ部」などは、これまでの2作では見られなかった音楽的な幅広さの例になるだろう。
このように、KREVAはデビュー作から一貫して「ラップを理解してもらうこと」を中心において作品を制作していた。そして面白いのは、この試みがKREVA自身のラップテクニックや、ソングライティング、アイデアを更に高めていたことだ。
このことは、次作『心臓』で証明されることになる。
『心臓』:日本語ラップ教科書のラストページ、そしてマスターピース
快進撃を続けるKREVAは、2008年にベスト盤『クレバのベスト盤』を挟んで、2009年9月に4作目のアルバム『心臓』をリリースした。
『心臓』で、KREVAによる「日本語ラップの教科書」は一応の完成を迎えた 、と私は考えている。
しかし、この『心臓』は単なる教科書のラストページではない。このアルバムには、デビュー作『新人クレバ』から前作『よろしくお願いします』までの全て(わかりやすいラップ、メロディアスなトラック)をさらいつつ、そのうえで「 KREVAにしか到達できなかった日本語ラップの完成形 」も提示されているのだ。
「KREVAにしか到達できなかった日本語ラップの完成形」というのは、2種類ある。ひとつは『心臓』の前半部だ。とくに「瞬間speechless」はまさしくKREVAにしか作ることのできなかった作品であり、日本語ラップにとって記録的な作品だろう。メロディアスなラップの極地である。オーバーグラウンドに照準を合わせて工夫を続けてきたKREVAだからこそ生み出すことのできた作品、それが前半部だ。
もうひとつの完成形は、『心臓』の後半部だ。これは「日本語ラップの教科書として非常に洗練された曲」と説明するとわかりやすいだろうか。とくに「成功」は、シンプルなラップながらも力強さがあり、かつラップの面白さをストレートを伝えることに成功している。
また、『心臓』がマスターピースである理由は、楽曲自体のクオリティの高さもあるが、何よりKREVAのラップが一段階高いレベルに達したことも大きい(これは結部で後述する)。
とにかく、『新人クレバ』から続けてきたKREVAの<啓蒙>は、『心臓』でひとまず完結した。この時点でKREVAがソロ活動を始めてから5年が経ったが、KREVAのファンはもちろん、日本のユースカルチャー単位で考えても、「母音の一致を利用してラップしている」という理解は一般的になったのではないだろうか。
もはや「Yo!Yo!」なんて茶化すほうがマイナーになってきた。 ここで、KREVAの野望はネクストステップに移行する。リスナーの理解力の「基準」を上げ始めたのである。
『GO』:リスナーを信じ、上げた「基準」
日本語ラップの基礎を準備したKREVAが次にとりかかったのは、いよいよ「ネクストレベル」の提示だ。2011年に9月に5枚目のアルバム『GO』をリリースすることになるが(※4)、このアルバムの制作背景についてKREVAは以下のように語っている。
今作はファンへ強く向けた作品となっており、自分の音楽に興味のないリスナーに重点を置いてたこれまでの作品とは違ったものになった
と本人は語っている。当初はラップと歌が半分ずつあるというコンセプトアルバムのような作品を制作しようとしていたが、シングル「挑め」のリリースでラップへの意識が高まり、その後起きた東日本大震災を受け、自分の一番得意なラップをしようと決め、ラップをより重視したアルバム になったという。
GO (KREVAのアルバム) - Wikipedia
このように、KREVAは『GO』でリスナーに何か新しいことを<啓蒙>しようとしていた。それは、 これまでのアルバムが「ラップの楽しさ」を伝えるためのものだとすれば、 『GO』は「ラップの難しさ」を伝えるためのアルバムだ。
そんな本作の目玉は、どう考えても「基準」だろう(※5)。
「基準」は、これまでのKREVAのラップの特徴だった「歌いやすい」という要素が薄まっている。倍速(早口パート)があったり、一聴してもすぐには慣れることができない。しかし、「今日からはこれが基準」と言うように、こういった難しいラップも織り交ぜていくことを宣言している。
ファンがカラオケで「基準」を歌っている動画をYoutubeで探してみてほしい。これは「ラップの技術」を学ぶうえでとても面白い題材なので、「歌ってみた」に対するネガティブな気持ちはいったん抑えて、客観的に聴いてみてほしい。
「基準」は本当に面白いプロジェクトなので、もう少し書きたいと思う。
これまでのKREVAの楽曲は総じて<ノイズ>の少ない、再現性の高い楽曲で、つまりファンが歌っても<ノイズ>が少なくなる楽曲だった。たとえば、「音色」のカラオケは、上の「基準」よりかはKREVAっぽく聴こえるはずだ(このラップとKREVAのラップに差異を見出すことができることが、KREVAが最終的に望んでいる結果だと思うが)。
つまり、 「基準」は、KREVAがはじめて提示した再現性の低い=<ノイズ>の多いラップなのだ。
その証拠に、「基準」を歌っている彼らは、どちらもKREVAのラップを楽譜的・グリッド的に配置することができず、ところどころでポエトリーっぽく言葉を詰め込む状況になっている。<ノイズ>の発生しやすいラップが「基準」なのだ。
ただし、これも結部で後述することになるが、「基準」という曲は、実のところ「速さ=ベロの動き」が難しくなっただけの曲であり、路線的にはこれまでの曲と同じ構造をしている。つまり「4分音符なら吹けるけど16分音符だと難しい」と同じ、楽譜的・スポーツ的な問題なのだ。この時点で、現在のKREVAがリスナーに提示する「基準」の最初のステップアップは、「詰め込んだ言葉にも対応してくれ。ラップ読解の解像度を大きくしてくれ」ということになる。
まとめると、『GO』によって、KREVAの<啓蒙>は「ラップの面白さ」を教える一限目から、「ラップの難しさ」を教える二限目に移った。この<啓蒙>が成功しているかどうかは、あと数年経ってからでないと判断がつかないだろう。しかし、KREVAはリスナーを信じて、次作ではさらにギアと基準を上げることになる。
(※4)2010年発売の『OASYS』の位置づけはとても難しい。新しい境地に行く前の踏み台とも言えるし、『心臓』の残り香でもあるし、そのどちらでもないとも言える。一番近いのは「機材テスト」だろうが。
(※5)「C’mon, Let’s Go」もなかなか面白い。「Have a nice day!」よりも速いBPMでラップをしている。この頃から、KREVAにとってBPMはさほど重要な要素ではなくなったのだろう。
『SPACE』:リミッターを外したKREVAが見せた世界
2015年現在の最新アルバムが、2013年2月に発売された『SPACE』だ。
『GO』でネクストレベルを提示したKREVAは、この『SPACE』でとうとうリミッターを外したと言えるだろう。「OH YEAH」は「基準」以降の「イッサイガッサイ」と言えるような、倍速を織り交ぜたラップだ。その他、「SPACE」や「Feel It In The Air」、「俺は Do It Like This」、「調理場」も同様である。優しいラップは「王者の休日」ぐらいだ。
しかし、中でも特筆すべきは「ma cherie」だ。これは3拍子のラップで、ラップ全体で見ても非常に珍しく、そして難しい(カラオケ動画もあるのですが、この人は上手い! 自分のビートジャックより上手だ・笑)。
形式だけでも驚くラップの中で、KREVAは相当テクニカルなラップをしている。一部ポリリズムにすら感じる部分があるぐらいだ(※6)。これが2013年時点の「基準」だとしたら、リスナーは相当高いレベルを要求されている。
もちろん、KREVAの歴史は今も続いている。
2015年2月にリリースされた最新作「under the moon」は一聴すると分かるように、もはや『新人クレバ』や『愛・自分博』でラップを優しく教えてくれてKREVAの姿はそこに無い。ビートを変則的にすることでラップに砂をまぶすような、ある意味<ノイズ>をバリバリに出した楽曲になっている。リリックこそ変わらず、優しく寄り沿った内容であるが、リリックをデリバリーするテクニックにおいては「可愛い子には旅をさせよ」ばりに厳しく接しているように感じられる。これが現時点のKREVAだ。
(※6)詳しくは「KREVA「ma cherie」をクロスリズムとして読み解く」をご覧ください## 結論と回収できなかった話:三限目以上が、私なりに描くKREVAのヒストリーである。
最初から読まれた方なら、ここで一度冷静になってみて、あらためてこの変化に驚いてほしい。『新人クレバ』から10年。KREVAをとりまく状況、ヒップホップをとりまく状況、ひいてはラップに対する理解力は、ここまで変化したのだ。
そして、それをリードしたのは他ならぬKREVAなのである。
この10年の間に様々なラッパーがメジャーシーンへ出てきたが、リスナーを<啓蒙>したラッパーはKREVAだけであり、その点において、また<啓蒙>の工夫によって、KREVAは他のどんなラッパーともまったく異なる唯一無二の存在になったのだ。
というわけで、10,000字ほどの長文になってしまったが、言いたいことは140字以内でも十分に言えるほど単純だ。それは序文でも書いたが、「KREVAは、何よりも「ラップの面白さや難しさ」を日本の一般的なリスナーに理解させたかった」ということだ。
「セルアウトか否か」という点で考えるとKREVAについての理解は遠くなってしまう一方で、歌詞に共感しているだけでもKREVAを理解したとは言いがたい。まず、ラップに対する理解が必要なのだ。なので、「KREVAは<ノイズ>の少ない楽曲を通してラップの面白さや難しさを伝えていた」という歴史観のもとで作品を聴き返してみると、割とクリアなディスコグラフィになるのではないか。ということで本エントリを書いた。
とは言えー!!!
熱意だけで書き下ろしたので、ウィークポイントのたくさん残るテキストになってしまった。とくに作品批評に集中してしまい、<ノイズ>の話が少し薄れてしまったので、ここを補足しながらKREVAの未来像を考えたい。
これまで何度も書いたように、KREVAの曲は典型的なヒップホップと比べて<ノイズ>が少なく、再現性が高い。なるほど、たしかに現在のKREVAのラップはたしかに難しい。しかし実のところ、再現性の高い点では実はデビュー時とほとんど変わらない。「基準」のラップは難しい、テンポを落としてゆっくり少しずつ練習すれば誰にでも出来るようになるタイプの曲だ。ソロ活動を始めてから現在までの10年間では、音符の数の違いがあるだけに過ぎない。
しかし、これはKREVAの活動を貶める批判ではまったくない。10,000字も書いておいて恐縮だが、 ここからが私が本当に書きたい内容だ。
ラップというのは、身体のみを使ったパフォーマンスである。当然ながら、身体というのは私たちそれぞれが持つ固有のものだ。KREVAのことをどれだけ好きなファンだからと言って、KREVAと同じ身体を持つことはできない。声色、滑舌の良さ、明瞭さ、発音の特徴、そのどれもが皆それぞれ異なる。
つまり、ここで<ノイズ>の話に戻るのだが、 ラップというのはどれだけ<ノイズ>を減らそうとしても、身体性という<ノイズ>からは逃れることができない(※7)。スタイルのコピペこそ可能だが、原則的にはKREVAがラップすればそれは「KREVAのラップ」になり、あなたがラップすればそれは「○○のラップ」になる。
そして、 ラップの面白さはその<ノイズ>こそ宿る、と私は考えている。掲載したカラオケ動画をいくつか見てもらえば分かるが、仮に同じラップをやったとしても、それは全く違ったものになる。もしかしたら、「カラオケで歌っていたファンのラップのほうが何だか好き」という人もいるかもしれない。そこがラップの面白さである。
KREVAの『心臓』がなぜ素晴らしかったか。それは、前作と比べて明らかにKREVAの身体性やグルーヴ=<ノイズ>を感じることができたからだ。誰だってあのラップなら真似ができる。「成功」なんて誰にだってできる簡単な構成だ。
しかし、簡単にできるラップを「ヤバい」と感じさせるラップテクニックを持っているからKREVAは凄いのだ。
このあたりの話に興味のある人のために、『佐野元春のザ・ソングライターズ』に出演した時のKREVAの発言を貼っておこう。
学生「ラップは速い曲の方がカッコよく聞こえると思うんですけど、遅い曲をカッコよくラップする工夫はどうしていますか?」
KREVA「ドラムにはキックとスネアがあって、このスネアにはポケットがあって、このスネアの持っているポケットのどこまで後ろにのれるか。早いと一気にやれるから何となくカッコ良く聞こえるんだけど、遅いとそこの位置が正確に見えてくるから粗が目立つ。俺はそのポケットの存在をいろんなラッパーとする内に気付いて、遅いビートは逆に得意になった。演歌のベテラン歌手が、どんどん後ろにいく感じ?『そんな歌い方じゃなかったじゃん』って(笑)」
TATEVISION 佐野元春のザ・ソングライターズ サードシーズン Vol.3・Vol.4
KREVAによる<啓蒙>によって、私たちはラップを楽しむ方法、そしてその難しさの一端を学んでいる。
今後どのようなことを仕掛けてくるのかはまだ不明だが、「under the moon」で見せたようにビートを崩し始めたところからすると、KREVAの<啓蒙>はラップからトラックへと変化していく可能性は否めない。想像できないが、いわゆる「ディラ系」のモタついた<ノイズ>まみれのビートに乗るKREVAを聴くこともできるかもしれない。
もちろん、これは期待のひとつだ。兎にも角にも、KREVAが<ノイズ>をさらに増やす瞬間。そのときがKREVAの「三限目」であることは間違いなく、そしてそれは近いうちに訪れるだろう。
その頃、KREVAに対する理解はどうなっているだろうか。
全ては私たち次第、「楽しんだヤツが笑う」のである。
(※7)「身体性から逃れるラップ」という点で面白い試みをしている曲を3つ知っている。m-flo「I WANNA BE DOWN」、安室奈美恵「FIRST TIMER feat.DOBERMAN INC」、そしてXnaga yuzo「Cute Ass (future school intro) ft.初音ミク」だ。