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※「つまらなくなるから、ネタバレは辞めてね」と最初に注意されたので、以下はネタバレを許容する人に向けて、ってことで一つよろしくお願いします。 > ―それにしても、監督たちの、下調べをしてこないっぷりが清々しいですよね。でも、その出たとこ勝負が映画全体の躍動感に繋がっていますね。

松尾:最後まで「ビズはさぁ~」って名前間違えてますから。でもよく知っている人が撮ったら「BiSはやっぱりすごい」で終わってしまったはずなんです。下調べなし、リスペクトのリの字も持たない人たちを彼女たちにブツけることに意義がありました。
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松尾:渡辺君に限らず、『キャノンボール』シリーズって女性を相手にしているはずなのに、最終的には男の話になっちゃうんです。僕らはAV監督ですから男なんて撮りたくないんですが、このシリーズだけはどうしても男の話になってくる。今回も、BiSのドキュメンタリーなのに、BiSのことをほとんど紹介してませんからね。
AV監督VSアイドルの騙し合い 映画『BiSキャノンボール』の企み - 映画インタビュー :
CINRA.NET

というインタビュー記事を読み、「AVもBiSも、何もわからなくても観れるかな」と思って(BiSって、tengal6と一緒にラップしてなかったっけ?ぐらいの認識だったので、現状を知ってとても驚きました)、新宿テアトルで観てきました。

まあ、観たのは今日じゃなくてバレンタインなんですが、レビューを書いていたことを思い出しました。

映画の概要

本作は、昨年2014年に解散したBiSというアイドルグループの解散ライブ直前からその直後までを追ったドキュメンタリです。

ただひとつ特徴的なことは、メンバー6人を撮る 6人のカメラマンが全員「ハメ撮りを得意とするAV監督」である こと。映画のキャッチコピーの「アイドル vs AV監督」の文字通り、AV監督はアイドルをハメ撮りすることを目指して、密着取材を進めます。

という、概要だけでも賛否両論が出そうな内容ですが、実際の感想も様々。新宿テアトルのレイトショーの1週目興行収入の歴代1位を記録したように影響力が伺えます。

賛否両論【劇場版BiSキャノンボール】感想まとめ - Togetterまとめ

音楽のない映画、読み込めない<物語>

以降は、BiSのことも、この映画の前作にあたる『テレクラキャノンボール』のことも知らない、事前知識の無い人間から見た感想です。

まず、ものすごい単純に「解散ライブぐらい、最高の状態でやらせてあげなよ(苦笑)」という気持ち悪さ(怒り…かも)はエンディング後にもずっと残りました(今思い出しても同じ感覚です)。

映画に流れるBiSの音楽もあまり好きじゃなかったんですが、劇中で流れる曲のヒドさもあいまって、「 もしかして、音楽はどうでもいいのかな 」と。

※ちなみに、ここに並列することも失礼かとは思いますが、道重さゆみの卒業ライブがこの怒りを誘発したことは否めません。フクムラダッシュと同じぐらいのパフォーマンスを!

とは言わないけれど、いいパフォーマンスをしたい/見たいのは皆同じだと祈りたいところです。

もうひとつ、とくに感じたのは、この映画が<物語>を読み込むことを強く拒絶していたことです。つまり、この映画にカタルシスは訪れない。映画の中にいるのは、「一人のアイドルと、彼女を騙して良い画を撮ろうとする監督」であり、観客はそれをただ受け入れるだけでした。

多分「これは失敗についてのドキュメンタリーだ」とか言われてると思うんですが(監督が言ってました・笑)、まあそれもあまりポジティブには捉えられないですよね(笑)。

ヴェールに包まれた映画

というわけで、端的に「 つまらなかった 」ってことで終わってしまうんですが(苦笑)、それでもいくつか印象的なシーンが2つありました。

そのひとつは、「テンテンコ×ビーバップみのる」で、訳の分からない説得と相談を繰り返し、最終的にビーバップみのるは『プレイボーイ』に掲載されている彼女の写真の上に(自慰行為によって)顔射をするシーン。

そしてもうひとつは、「コショージメグミ×梁井一」で、ハメ撮りに失敗した悔しさから、撮影終了後に彼女の写真をサイドシートに貼り付けてドライブし、途中でナンパした素人女性にその写真をつけてハメ撮りをしたシーンです。こちらも最後は顔射でした。

この2つのシーンは、私には『ヴェールとファロス』を想起させるに十分すぎるものでした。 [amazonjs asin=“4434071858”locale=“JP” title=“ヴェール/ファロス―真理への欲望をめぐる物語”] 上の本は、コボリが大変お世話になった教授の著書です。

本書のポイントを簡潔にまとめると(すみません!!)、「真理があると想像=勘違いしているから、ヴェールを剥がし続ける=真理への探求を続けることになる。しかし、ヴェールを剥がしても中には何もない(orまた次のヴェールがある)ことに気づく」ことを説明しています。

もっと卑近に例えれば、「スカートをめくる前の興奮はものすごいが、実際にめくってパンティを観たときの興奮は大したことない。

われわれはスカートの外からしかパンティを見ることができないのだ 」という感じです(すみません!!!!!!!!!!)。

AV監督は、真理を追求する側として、アイドル(=偶像)にかかったヴェールを剥がそうとしました。しかし、剥がしたと思ったヴェールの中には、またヴェールがかかっていますし、そもそも中身など存在しません。

「わたしの精液は顔=《ファロス》には届かず、誌面や仮面=《ヴェール》に当たるしかない。」

誌面上/仮面上への射精は、このことをわかりやすく伝える映像だな、と感じました。


と、結論部を書けないまま忘れ去られていたテキストですが、とりあえず。


    Kobori Akira

    IT業界の社会人。最近はプロレスと音楽の話題が多め。
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