『しくじり先生』が「21世紀型の哲学番組」となる日


4月20日、『しくじり先生』がゴールデンタイムに進出しました。ゴールデン進出前の「お任せください!」と、 杉村太蔵の「うるせぇ」がいまだに脳裏から離れません。

番組でもネタとして取り上げていたように、『しくじり先生』がゴールデンに上がることについては、ネットでも「内容が丸くなる」、「もっと深夜でやってほしかった」、「視聴者層が違う」、「オワタ」と言われていたようです。

かくいう私も、似たような感想を持っていたことは否定できません。しかし、実際の放送を見たあとは、「ゴールデン進出は良いチョイスだったんじゃないか。むしろゴールデンで放送すべきなのかも」と思っています。

『しくじり先生』は「21世紀型の哲学番組」

そもそも、『しくじり先生』は失敗談をストックする番組

まず、『しくじり先生』は、下のようなコンセプトをもとに放送されています。

「人生を盛大にしくじった人から「しくじりの回避法」を学ぼう!」をコンセプトに、「しくじり先生」が自らと同じ失敗を犯す人たちが増えないよう、番組オリジナルの教科書を使いながら授業を行う番組。
しくじり先生 俺みたいになるな!! – Wikipedia

つまり、「失敗談のストックを増やす」と言いますか、「失敗パターンを知ることで、いつか訪れるその時に備えよう」というのが、番組本来のコンセプトかと思います。

もう少しライトに観るなら、「こんなヤツいるのか!」とか「悲惨だなあ」みたいな見方もあるでしょう。あるいは、オリラジ中田の語るように「観た後にホッとする。“しくじってもいいんだ”と安心できる」という見方もOKです。

「私的な問題」がコネクトされると、『しくじり先生』は哲学になる

そんな中で私は、『しくじり先生』の視聴の仕方がもうひとつあることに、やっと気づきました。そがゴールデンタイムで成功する理由になるかもしれない、と思ったのですが…。

それは、放送内容を補助線に「私的な問題」を考える、ということです。「先生」の話す内容を客観的に聞いてオシマイ、ではなく、自分が抱える“闇”のようなものと対峙するためのツールとする。

ただハウツーをインストールして終わるのではない。ハウツーなぞ覚えなくていいから、自分はどのように生きるべきなのか。

カタいような事柄ですが、それを最大限やわらかく始めることができるのが、『しくじり先生』の魅力だと感じました(主にDaiGoの回を見ながら・笑)。

哲学者は大統領でもローマ法王でもなく、論説委員でも批評家でもないのですから、「二一世紀の人類」や「民族の将来」を憂える必要はない。「現代の混沌とした価値観」について悩む必要はないのです。そうではなく、与えられた「今ここ」に立脚して自分の「私的な問題」から眼を逸らさず、ごまかさずにそれと格闘すること、それがすべてです。
(中島義道『人生を「半分」降りる―哲学的生き方のすすめ』、ちくま文庫、2008年、189頁)

「無理矢理明るく終わらせない」ことが『しくじり先生』のアキレス腱

というわけで。もちろんバラエティ番組なので、番組の中に「笑い」が無くなるのは当然問題ですが(笑)、『しくじり先生』はその中にヌルッと「哲学するチャンス」みたいなのが滑りこんでくる、面白い番組なのではないか、と思いました。

そこで、ひとつ気になるのは、各先生の終わらせ方です。タレント自身のイメージもあるので仕方ないですが、「昔しくじったけれど、今は〜に気付いて、幸せになりました」的な感じばかりだと、ちょっとまあ、フェイク臭さが漂ってきますよね(笑)。

まだ放送が始まったばかりなので断定的なことは言えません。しかし、このようなことを考えながら、『しくじり先生』がゴールデンタイムに進出した意義のようなものがちょっと分かった気がします。

『しくじり先生』は、単なる「見世物小屋」じゃなかったんだ。