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あたしのこの言葉が唇をまたいでいった後 意味を持ったままあなたの胸に残ってます様に (aiko「シアワセ」、ポニーキャニオン、2007年。)

最近、aikoにドハマリしている。それまで「ボーイフレンド」ぐらいしか聴かなかったのだけれど、歳をとれば、女子の揺れ動く乙女心(重複)を少しは理解できるようになるのだろうか。ほとんどaikoしか聴いていない、といっていい。なかでも、印象に残っているのが、この「シアワセ」だ。曲や歌詞が良いのはもちろん、自分はこの曲からメディアのことを考えてしまった。

「メディア」というのは、「medium」つまり「媒介」を指しており、言い換えれば、「人間と何かをつなぐもの」は総じてメディアである(これはメディア論を始めるための第一歩だ)。新聞などのマスメディアは社会と個人をつなぐもの(もちろん他を媒介もする)であるから当然メディアであるが、携帯電話や写真や洋服もメディアであり、身体もメディアであり、言葉自体もメディアである。

そして、冒頭に引用したaikoの「シアワセ」の一節は、そんなメディアの具体例をよく説明していると思う。

この歌詞では、「(あたしの)言葉」と「あなた」を媒介するものとして、「唇」がメディアとして定義されている。唇をまたぐことで、あたしの言葉は相手のもとへ届く。反対に言えば、メディアがない限り、言葉が相手に届くことは有り得ない。そして、この歌詞の素晴らしさは、次のことをサラッと説明している点だ。それは、唇を媒介してあなたに通じる言葉は「意味を持ったまま」かどうか当の本人には分からないこと。

メディアは、ある情報を必ず変質させるのである。 最後に、自分の考察として、もう少しだけ考えを進めてみる。

この曲でaikoの鋭いところは、メディアを媒介したあとの情報が「あたしの」ものではない(=他者化する)ことを歌っているところにある、と思う。自身の気持ちを言葉にした時点では、aikoは言葉を自分のものとして感じることができていた(厳密には、言葉にした時点で既に他者化しているのだが)。しかし、それが唇をまたいだあとは、その言葉は「あたしの」ものではなく、あなたの胸に残るように祈ることしかできないのだ。

「ちゃんと言葉で伝えてよ!」とは、女性が男性によくいう文句であるが(男性のほとんどは「文句」と捉えているためこう書いた。私は優しい助言だと思っているので、どうか炎上しないでほしい)、唇を通した以上、それは他者化した、「あたしの」言葉とは決定的に違う何かになる。

このことは、男女の関係だけでなく、アーティストとリスナーの間も同様であろう。aikoが歌う「幸せ」は、唇やマイクをまたげば他者化し、「シアワセ」となる。そして、他者化された「シアワセ」をどのように変換するかは、わたしたち次第だ。

――「シアワセ」って、すごくストレートなタイトルだけど、なかなか使えないタイトルでもある。でも、この曲にはピッタリですね。 【aiko】
私も最初は、もっと抽象的なタイトルに変えようかなって思ったんですよ。でも、これに代わる言葉がなくて。“好き”“嫌い”とか“YES”“NO”と一緒なくらい、“幸せ”っていう気持ちは“幸せ”でしか表現できない。だから、もうこれしかないなって思ったんです。ただ、ひとつ言えばカタカナにしたところがポイント。自分のなかでは、ちっちゃい幸せもおっきい幸せもカタカナで表現したほうがフラットな感じがしてしっくりきたし、聴いてくれた人が、もし文字で“シアワセ”と書いたときも、それが漢字だったり、カタカナだったり、ひらがなだったりすることで、この歌の届きかたが違うんじゃないかなって思ったんです。
aiko『ORICON STYLE初登場!aikoが感じる胸キュンでシアワセな瞬間とは!?』-ORICON STYLEミュージック


Kobori Akira

IT業界の社会人。最近はプロレスと音楽の話題が多め。
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