HOT97、キュレーション
二十数年行きていれば諦めたことなんて数えられないほどあるが(いい会社に入ること、モテること、筋肉をつけること、トリプルアクセル)、そのうちの一つである「HOT97を聴くこと」について、やっと上手くいき、HOT97が聴けるようになった。
プレーヤーを開くと早速Drakeがかかったり(ヤバい!知ってるけど!)、Bruno Marsがかかったり(ヤバい!知ってるけど!)、MACK WILDSがかかったり(ヤバい!知らなかった!)、素晴らしきあの日が戻ってきたかのようだ(これは文章のアヤで、実際にあの日が戻ってきても、フラれたり病気になったりするだけだが)。
そんなアメリカの大人気ヒップホップ番組を聴きながら感じたのは、自分にとってはこれぐらいの情報量が一番合うのかな、ということだ。
「キュレーション」という言葉が流行り始めたのはたぶん今年だろう。最初は「そんな親切なことを!」と思って、キュレータの方々を僕も何人かフォローした。しかし実際は、①教えてくれる情報よりもっと大事な情報(「いい会社に楽して入れる方法」、「素人でもできるトリプルアクセル」)があるんじゃないかと疑ってしまい、②これは本当に自分が欲している情報なのか(「カルピスウォータのCMに出てくる女優まとめ」、「素人でもできるトリプルアクセル」)迷ってしまい、あまり役立っていないような気もしてくる。
また、これはきっとキュレータの質が悪いのかもしれない、もっとキュレータをフォローしよう。とするも、今度はどのキュレータがいいのか迷い、キュレータをキュレーションしてくれるキュレータを探す、という無限ループに陥る可能性もある。ここまでくると、自分にあったキュレータを見つけるためなら、面白い記事を読む時間も惜しんで探すようになるだろう。
上のは冗談も入っているが、HOT97を聴きながら強く感じるのは、情報を見つけ受容することも一種の能動的な行動だということ。また、自ら探して見つけた情報に対して「ありがたみ」を持つことは避けにくく、キュレータがどれだけ素晴らしい情報をまとめて紹介してくれようと、自分で見つけたしょうもない情報のほうが価値があるように感じてしまうのかもしれない。
読者の方々もご存知かと思うが、一流の料理人のつくったディナーは確かに美味しくても、失敗を重ねながらなんとか作ったご飯と味噌汁はそれ以上の美味しさがあるのだ。噓だと思うならぜひ試してみてほしい。あなたが行く予定だった高級レストランは代わりに僕が行ってもかまわない。