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2014年12月19日に投稿されたこの記事は、素人がお笑いを語ることが恥ずかしいものとなった頃に、それでも書きたくて仕方がなくて書かれた。「自分しか書ける人がいない」という妄想は恐ろしいが、M-1グランプリが2019年に生まれ変わったことを知ると、まだまだ味のする記事のはずだ。

はじめに、簡単な結論

2014年12月14日、『THE MANZAI 2014』を制したのは博多華丸・大吉でした。

「漫才は人柄(ニン)」「誰も傷つけない」と話す大吉先生・華丸さんの通り、どのコンビよりも人柄が出た漫才は、劇場で披露するような漫才を適度にコンテスト用にアレンジしたことも功を奏し、誰もが気持よく笑えて、本当に素晴らしいものでした。

決勝の始まる前、決勝進出者の発表をチェックしたとき、そこに博多華丸・大吉の名前があるのを見て、私はそのこと自体に感動していました。それは、今となっては誠に浅慮ながら、**「若手漫才師以外にも面白い漫才師はいる」**ことを証明するためだけに出場したのだと感じたからです。

これは一部は正解で、優勝後のコメントで大吉先生は「本当に面白い漫才師さんは劇場にいます」と言いました。

しかし、結果として、博多華丸・大吉は粛々と番組を進めながら、自然とトロフィーを手にするまでになりました。これが何を意味するか、大吉先生は(華丸さんも)すべて理解していたのでしょう。

「うわーマズいな…」

Cグループを突破したとき、大吉先生は思わずこう言いました。


これから述べることをまとめると、以下の通りです。

博多華丸・大吉が優勝することによって、THE MANZAIは「若手漫才師の登竜門」という看板を完全に降ろすことになり、「年末の大きなお笑い番組」として視聴者を楽しませることになるでしょう。

M-1の初回である2001年、優勝したコンビは中川家でした。彼らの優勝から10年強の間に、M-1における漫才は進化を遂げました。そして2014年、博多華丸・大吉の優勝によって、これらの歴史は終わりを迎えました。誤解を恐れずにいえば、THE MANZAIはM-1を殺しました。

このことは、M-1とTHE MAZNAIがもともと全く異なる性質の番組だったためで、博多華丸・大吉が優勝したことでM-1は殺害されたのでなはなく、むしろM-1を殺害するために博多華丸・大吉が優勝した、と考えてもよいぐらいです。

以下、好事家のために「M-1」と「THE MANZAI」について私なりに補助線を引きつつ、上記の説明をしてみたいと思います。

M-1の持つ権威と審査性

THE MANZAIは、M-1を引き継ぐプロジェクトとして始まりました。ですから、THE MANZAIを理解するには、もう一度M-1を簡単にでも振り返る必要があります。

結論からいうと、M-1は「権威」と「批評性」を打ち出しながら、同時に「物語=歴史」を積み重ねることで、モンスター級のポップさと裏読みの可能性を持った番組として、2000年代のお笑い界に君臨しました。

M-1の**「権威」**というのは、賞金と審査員のことです。1000万という破格の金額が一夜にして入ってくる。さらに、それらを審査する人間の中に、「松本人志」という日本のお笑いのカリスマがいる。

この2つは2001年当時のお笑いコンテストの状況を考えると(オンバトでルート33やハリガネロックが活躍した頃ですからね!NHKの漫才コンクールで赤井英和が審査してる頃ですからね!)、どれだけこのコンテストがガチだったか想像できるかと思います。

お時間あれば、2001年のM-1を見てみてください。ブルー系の舞台美術も相まって、緊張感がすごいです(笑)。


もう一方の**「批評性」**というのは、「言葉で説明できる」と言い換えてもよいですが、漫才を評価するようになったこと、わたしたち視聴者が漫才について語ることができるようになったことです。

モニターの前の視聴者は「笑う」ためにテレビの前に待機していたのでなく、自分の中に住む「リトル松本」(古い例えですかね)を最大限に表面化して各コンビを審査しました。

2001年のM-1で特徴的なシーンがあります。フットボールアワーの漫才中にサブリミナル的に挿入された、ラサール石井のメモをとる姿です。

このシーンは、視聴者にM-1の視聴法を教育したことでしょう。

**視聴者はもうバカ笑いするだけの人間ではない。**どこが面白くて、どこでスベって、どこで爆発して、どこで間が悪くて、ボケとボケの間の時間はどれくらい長くて、どこのボケが独創的で、どこの手法が新しくて、どれほど会場は温まっていて、前説のくまだまさしはどれくらいウケていたのか、そのすべてを受け取りました。

音楽やミュージカルを見るようにではなく、フィギュアスケートを見るように、スポーツを見るように、視聴者は漫才を鑑賞しはじめました。

権威と批評性は、M-1が続く中で飛躍的に大きくなっていきました。

ちなみに、ここは割と重要ですが、上にアップした中川家はM-1の中では最もベテランにあたる10年目であり、彼らの漫才は安定性のある劇場ネタでした(中川家ファンとして心苦しいですが、2005年にこの漫才をしていたら最下位だったかもしれません)。

M-1の物語、審査性の飽和

前述のようにして、権威と審査性を打ち出して盛り上げたM-1ですが、大会が進むに連れて、そのガチさに別のエッセンスを取り込み始めました。それが**「物語=歴史」**です。

M-1は、大会を重ねるたび、さまざまな物語を生み出しました。2003年は前回2位のフットボールアワーが「悲願」の優勝。2004年は前年の敗者復活で大盛り上げしたアンタッチャブルが「悲願の正面突破」で優勝。2007年は敗者復活で勝ち上がったサンドウィッチマンが勢いのまま優勝。2010年は晴れて笑い飯が優勝、などなど。

もちろん優勝コンビだけでなく、2位のコンビや「麒麟枠」と呼ばれるコンビなど、確実に「M-1の歴史」のようなものが積み重なっていきました。

その中で、視聴者は当日の漫才の出来を「審査」するだけでなく、当日の流れを「予想」するようにもなりました。「誰が勝つか?」だけでなく、**「今年のM-1は盛り上がるか?」**という問いが重要になってきたわけです。

好事家の中には「〜が優勝する流れだろう。でもその流れを壊す力を持っているのが〜で、敗者復活から〜が上がってきたらすごい面白い。しかし、そういう大会なんだから、大事な1枠を使ってまで〜をなぜ決勝に上げたのか理解できない」といった具合に、さまざまな観点からM-1を予想、評価していた人も多いはずです。

また、番組自体の面白さを追求する一方で、「批評性」に特化した漫才、いわゆる「M-1用の漫才」も生まれました。

前述の通り、2001年は普段通りの漫才をM-1で披露しただけでした。しかし、2005年のブラックマヨネーズが島田紳助に「4分の使い方抜群!」と言われたことや、2008年のNON STYLEやナイツの「手数」が取り上げられたように、漫才師はいかにしてM-1の4分間を攻略するかを考え、視聴者もそのチャレンジを審査していました。

この行く末は、みなさんもまだ覚えているかもしれません。

M-1が終わる2010年。「よくある漫才」を披露するコンビは銀シャリぐらいでした。そして、手数による攻略法が飽和した結果、最終的にスリムクラブのような手数を無視した遅すぎる漫才に視聴者と審査員は唸り、笑い、どうしてもこれを評価せざるを得ませんでした。こう考えると、この年にM-1が終わったのは正しい選択だったのかもしれません。

M-1のような、そうでないTHE MANZAI

えー、やっとTHE MANZAIに帰ってきました(笑)。

このようにしてM-1が終わったすぐ後、THE MANZAIが「M-1の後継プロジェクト」として始まりました。しかし、これまでのような説明を踏まえて、THE MANZAIを見ると、M-1と明らかに違う点がいくつもあります。さきほどのキーワードで比べてみましょう。

  1. **THE MANZAIには「権威」がない。**1000万もないし、松本人志もいない。ビートたけしは大物だが、「今」のお笑いを評価することに納得する人は少ないだろう(たけしはお笑いの一線にいるわけじゃないから)。テリー伊藤やヒロミが面白い漫才師を決めて納得するか?

賞金も、お金でなく冠番組が手に入ったり、カップラーメンがたくさんもらえたり、豪華なバラエティー番組の印象を受ける。

  1. **THE MANZAIには「批評性」がない。**カットインされる審査員の映像はみんな笑っているもので、視聴者は冷静に「審査」するよりも楽しく「笑う」ことに誘導される。

この誘導は、とくに「ワラテン」というシステムが象徴している。「『あははは』と笑う感覚でボタンを連打する」、このシステムを使用するためには、クールな姿勢ではいられない。

  1. **THE MANZAIには「物語」がない。**まだ歴史が積み重なっていないだけかもしれないが、私の見立てではおそらく今後も歴史は発生しない。むしろ、より刹那的になるはずだ。それは決勝に出る漫才師が本戦サーキットの得点によって自動的に決まる、ある意味M-1よりもガチな決めた方も理由の一つである。

また、コンビ結成期間の制限もないため、どんなコンビでも出てこれる。博多華丸・大吉はこのシステムがあったから当然ながら出場できた。だから「最後のチャンス」というのは永遠に訪れない。

これらの要素から、THE MANZAIという番組は、「M-1の直後に始まった番組」というだけであり、まったく違う観点でデザインされていたことがわかります。

では、その観点とはなにか。それは、結局のところ「爆笑ヒットパレード」のような、家族みんなでご飯でも食べながら見れるような番組なのではないか、ということです。

これは、今年のTHE MANZAIの序盤のシーンでも見てとれます。プロジェクションマッピングを使用した出演者紹介から、たけしの開会宣言という体をとったコント。これを見たうえで「さて、真剣に漫才師を批評しよう」と思う視聴者はほとんどいないはずです。

しかし、一方で視聴者は、そしてTHE MANZAI自体も、そう簡単に変化はできません。M-1による10年間の学習は、THE MANZAIにも適用されてしまいます。**THE MANZAIはM-1である。**そう思っていた視聴者は多いことでしょう。

これは出演する漫才師も同様でした。新しいことやインパクトの強さを漫才に込める必要があると信じ、M-1でやるようなネタを持ってきたコンビもいました(今年でいえば、和牛などはM-1タイプのネタだと思います)。

THE MANZAIのテンダラーと博多華丸・大吉

このように、なんとなくM-1のような番組かと迷いながら見ていた視聴者に対して、THE MAZNAIがM-1でなくTHE MANZAIであることを伝えたコンビがいました。2014年のオープニングでも登場したテンダラー、そして優勝した博多華丸・大吉です。

彼らの登場によって、M-1では絶対にあり得なかったことが起きました。野望に燃えた若手漫才師の競い合いを見るのでなく、主にベテランの味を楽しむことができるようになったのです。それは、「誰が優勝するか?」というM-1にとって重要な問いを無効化するものでした。

私も、2011年の博多華丸・大吉を、2012年のテンダラーを、「ベテランの漫才もやっぱり面白いなー」と感心して見ていました。

ただし、これは彼らが決勝に進出しないことを念頭に置いた感想です。なんだかんだいってもTHE MANZAIは「若手漫才師の登竜門」であり、主役はこれからのお笑い界に殴りこむ若手漫才師だろう、とタカをくくっていたからです(実際、テンダラーにはめっちゃくちゃ笑いましたが、実際に買ったのはハマカーンでした。もちろんハマカーンも面白かったけどさ!)。

そして、このような甘い考えをブチ破ったのが博多華丸・大吉でした。あらためて見直すと、これは偶然でもなく必然にも思えます。

まず、博多華丸・大吉と争った三拍子について、審査員が彼ら2組のどちらに投票したかを見ると、明らかな特徴(「特徴」なんて生温い。「殺意」と言っていいと思いますが・笑)が見て取れます。

それは、三拍子に投票した審査員のほとんどはM-1の審査員を務めた経験があり、博多華丸・大吉に投票したほとんどはTHE MAZNAIではじめて審査員を務めた側である、ということです。多かれ少なかれ、それぞれの「姿勢」が反映された瞬間です。

このように審査員の整備がキッチリ完成したとき、博多華丸・大吉が決勝進出を決定したことで、THE MAZNAIはM-1を殺し、自分の人生を歩き始めることになりました。

簡単な結論と、おわりに

たいへん長文になって恐縮ですが、博多華丸・大吉が決勝進出を決め、さらに優勝したときに、いっぱいの感動が訪れたのと同時にどれだけ大きな衝撃が示されたか、少しでもご理解いただければ嬉しいです。

以下、頭のおかしい25歳の妄想だと思って聞いてほしいのですが、実のところ、THE MANZAIはM-1というモンスターコンテンツの扱いに戸惑っていたのだと思います。だから、4年かけて周到な殺人計画をたてた。フジテレビは犯行現場や凶器の準備をしました。博多華丸・大吉が結果的に引き金をひきましたが、今年がダメだったらまた来年・再来年を待つだけでした。大吉先生の「うわーマズいな…」というつぶやきは、自分たちが決勝進出したことの意味を深いほどに感じて思わず出てしまったのではないでしょうか。だって、2011年の彼らの漫才だって十分優勝できたんだから。「今年の漫才」である必要はもうないんだから。

この大会を境に、THE MAZNAIは「若手漫才師の登竜門」という看板や「もっとも面白い漫才師を」という意義からやっと解放され、まるでレッドカーペット賞を決めるような軽さで、その日一番ウケたコンビを称えるようなコンテンツに変わるのだと思います。

これをどう評価するかは別れるかもしれませんが、私は良い変化でもあると感じます。M-1による審査性が高まった結果、とんでもない情報量の漫才が編み出され、M-1の価値観が漫才の価値観とイコール化しはじめたことで、漫才の楽しみ方が逆に狭まった可能性は否めません。

THE MAZNAIは、M-1のような漫才の進化を促すフォーマットではありませんが、代わりに、そのフォーマットによる枷を外し、博多華丸・大吉のような素晴らしい漫才師を紹介することができるし、その中で注目の若手も紹介できる(そういう意味では、もっと負けたコンビに対する言及が欲しいところ)。ビートたけしがちょっと邪魔に感じたことも、ワラテンによる一票がどうしても気に入らないことも(だって爆発力はワラテンじゃ測れないじゃん!)、すべてがプラスの方向に転じるかもしれません。


M-1の中川家が始点、THE MANZAIの博多華丸・大吉が終点となり、ひとつの歴史が幕を閉じました。その間に、たくさんの漫才師が生まれ、漫才が生まれ、進化があり、硬直化があり、そして解放がありました。

2015年からの漫才はどうなるのでしょうか。これまでより少し和やかに笑っていることは確かかもしれません。


Kobori Akira

IT業界の社会人。最近はプロレスと音楽の話題が多め。
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