メモの最終形
2022/08/06
「メモをとる」ことは、現代ではわりと有用なメソッドとして捉えられていると思う。『メモの魔力』なんて本が売れるぐらいだから、メモを書いて何かに役立てようとする人は多いはずだ。
しかし一方で「メモはとったけど、それで終わってしまった」という人も多い。かくいう自分も同じである。
なぜメモを書いているとかと言うと、ただメモをとりたい訳ではなく、その先になにかしらの結果を出そうとしているからだ。ということは、メモをとっただけでは意味がない。
これを学習すると、次は大量のメモをなんとかしてなにか高尚なものへ昇華させようとチャレンジする。成功すればメモを書いた甲斐が出てくるはずだ。
しかしこれも徒労に終わることが多い。書きなぐりのメモや読書メモ。買い物のメモや昨日測った体重のメモ。明日やることのメモや雑学のメモ。
さまざまな種類、そして重要度のメモに囲まれた状態で、どんなアウトプットが出せるだろうか。
『TAKE NOTES!――メモで、あなただけのアウトプットが自然にできるようになる』で紹介されている「ツェッテルカステン」という手法では、上記のようなメモとは別に、永久的なメモをつくることを説いている。
この永久的なメモは、単なるメモではなく、小さなアウトプットである。この時点でメモは、小さな勝利を手に入れたことになる。
メモは揮発させるために存在する訳でもなく、土の中に埋めるために存在する訳でもない。他のメモに触発されながら大きなメモへと育ち、そして気がついたときには大きな成果を出すための前提となっているのである。