死なず生きて
年の最終日は今年最大の腹痛に悩まされた。前日にLiLiCoの肛門爆発を見たせいかもしれない。そんなんで今日はずっと寝ながらテレビを観る生活だった。
そんななか、連続で『アメトーーク』と『紅白歌合戦』の有吉弘行を観たら、己の体調不良に関係なく泣いてしまう人が多数だろう。自分も視聴者として笑おうとしたけれど、出てくるものは仕方ない。セキュリティ意識をお尻にしか向けられなかったから、涙腺はユルユルだった。
何も喋らないことは隠しごとの方法として二流だ。一流はさも言及したかのように振る舞って、隠しごとをしてることすら見破られない。本人ですら見破れないときだってある。
しかしアメトーーク最後の、出川からのキスを一切スカさずに受けたシーンと、紅白のあの綺麗な歌声を聴けば、言葉は必要ない。すくなくとも私個人にとっては、やっとちゃんと追悼できたと感じた。来年からは内さまの竜ちゃんの映像でまた大笑いしようと思う。
昨日はずっと観てなかったタカタイチデスペマニアのエル・デスペラード対葛西純戦も観た。血の出る試合はシンプルに苦手だったが、真剣に観るにつれて「殺し合いではない」ことがハッキリとわかってきた。それはレスラーだけでなくセコンド・スタッフも同様である。みんなが誰かを活かすために戦っていた。
それはエル・デスペラードも同じだ。そして誰かを活かすために自身を犠牲にすることも厭わない決心をした。しかしその決心を葛西は否定する。自身も活かし、生かさなければならないのだと。はじめて観た葛西の動きからは、本当にそのメッセージが身体中から発されていた。
そんなわけでトイレに4,5回かけこみながら、紅白が、そして2022年が終わろうとしている。2022年は生きられた。2023年も死なずに生きよう。人生はコントロールできないが、これぐらいのミッションは持ってもいいだろう。