和解 / カジュアルな安楽死
早いほうが良いとは一概には言えないけど
片一方が死んじゃって終わりよりはいい
Mummy-D(Rhymester)とBOSS(THA BLUE HERB)の和解、そしてKREVAとMACCHO(OZROSAURUS)の和解。あまり記憶になかったけど、ストーリーを読み直していたら思い出してきた。とくに前者は「ウワサの真相」が自身のライムス初体験で、はじめて聴いてから数年経ったあとに2chで「このバースは実はBOSSを揶揄していて」ということを知った。
どのラッパーも良いけれど、楽曲としてはBOSSとMummy-Dのラップが神がかってる。4,50を越えてキックされたバースがこんなに素晴らしいとは。本当にテクニックが素晴らしいのか、私がただオジさんになっただけなのか。どうでもいい。
最近ハマってるOpenAIによるふりかえり機能に、Spotifyの視聴履歴を入れようとしている。その日に聴いたものをOpenAIに放り込んでまとめさせるつもりだ。できれば視聴データをデータベースで管理しておいて「最近たくさん聴いた曲」とかもできるだろう。
「Spotifyに機能があるでしょ?」と言われそうだが、微妙に異なる。またとくに「OpenAIにすべてまとめたい」という気持ちが強い。ありとあらゆるサービスから取得したデータをひとまとめにして、それをまとめてOpenAIに処理させられるようになれば、デイリーログの出力は簡単になるだろう。
すえひろ湯に久々に行く。改築後はじめてだ。サウナで足裏を低温火傷した気がしながら。
サウナとはカジュアルな安楽死だと常々思う。水風呂から出て外気浴(すえひろ湯は内気浴だけど)をしながら、すべての感情がゼロになって、ふとしたことを思いついたり思い出したりする。これは (楽に)死ぬ前の感覚なのではないか。
フロイトの精神分析の立場にたてば、刺激とは不快であり、快は死んでいるときがもっとも近い。卑近な例はいくつもあるが、サウナだけで十分だろう。今日はSOFFetのファーストアルバムと「人生一度」がずっと頭の中で流れていたし、途中から口ずさんでいた。本当に、死ぬときもこうかもしれない。
SOFFetファンとしては、いつもこっちが頭で流れる。バースのダブリング(コーラス?)が本当に懐かしい。