koboriakira.com

2017年12月発売。

ストリーミング

販売先

lyric

Yes,I know.

もてる限りの才能 すべて費やしてこんなものさ難しいね音楽は頭の中 まんま身体の中 乱れに乱れて まるでザンバラキーボード連打 無意識の奴隷だ 予測変換 駆使して詩を書く想像力の汽笛を待つ終発からだいぶ経った 始発まだ見えない乱れたダイヤ 何になれ何になれぬ? 独りなら神になれる夜は全て隠すが 朝が全て暴くさ 鏡は嫌だ 「やれるさまだ」

言ってるうちに鏡見たらこんなザマだ明かり照らすは 「オレ」と「ぼく」との落差夜は全て隠すが 朝が全て暴くさ悪い妄想ばっかり 使いきったハッタリあの珠玉の名文は 所詮切って貼った詩平行世界のアイツに一言いってから去ろう「お前が絶望した そのときまた会おう」

何になれ何になれぬ? 独りなら神になれる夜は全て隠すが 朝が全て暴くさ## ライナーノーツ『私、部屋、ブルース』から2年も経ってしまい、「何かやらないと!」という気持ちで作ったものです。アマチュア音楽家としては、一番よくあるタイプの制作物だと思います。

ただこの2年間ボーッとしていた訳ではなく、まずは最近明るみに出しましたが<絶対忘れるな>という5MC1DJユニットのトラックメイカー兼バックDJとして、色々と遊ばせてもらっています。私は途中参加のいわゆる「唯一の2期生」でして、ハロプロで言えば小田さくらのような感じです(笑)。

で、このクルーで活動している間に、「一人でしかできないことをやろう」という気持ちがどんどん大きくなっていき、年を越す前になんとか人前に出すことができた、って感じです。

「一人でしかできないこと」というのは、端的に言えば「日本語ラップとポリリズムの実践」であり、よりキャッチーに言えば「もしもKREVAやDrakeがポリリズムに踏み込んだら?」という、ドリフターズと同じ系統のものになります(だから笑われたとしてもそれは想定内。って言えば傷つかずに済みますかね・笑)。

この曲は6/8拍子のバースと3/4拍子のフックで構成されており、ふだん聴くヒップホップとは違った心地よさがあれば、と思います。慣れてくれば、ずっと6/8拍子(またはずっと3/4拍子)で踊ってみたり、いっそのこと4/4拍子に直して踊ってもいい感じです。

歌詞はかなり昔に書いたものなので、もう自分が書いたものには見えませんね(笑)。なんか恥ずかしいこと書いてるなー、って程度です。

そんな感じで今年はあといくつか曲を発表できればと思っています。スワローズの調子がよければたくさん作れそうな気がするので、差し支えなければスワローズともども応援をよろしくお願いいたします。


忘備録としてのエントリですが、他の人たちのこの種の記事はいつも楽しく読めるので、その一つになれば幸いです。

以降で書いていますが、すべてSpotifyで聴けます。youtubeなどは載せていません。順不同で紹介しています。

総括

これだけは書いておく義務がありますが、 「今年聴いた曲、あるいは今年聴いたものとして思い出せる曲」のすべてがSpotify経由であることです。ですのでSpotifyに登録されていない曲は、一切出てきません。

千円札を3枚にぎりしめてアルバムを購入していたあの頃と比べれば、これがあまりにも刹那的・快楽的な音楽鑑賞であることは疑いの余地がありません。とはいえ、これを悲しむべきなのかは自信がありません。

私はもうすぐ29歳ですが、小中学校あたりはちょうどWinnyそしてWinMX(もはや歴史の授業で出てきそうな単語たちよ!)、あるいはTorrentの全盛期でして、ちょっとした洋楽ならTSUTAYAで借りるよりネットで落とすほうが楽だったチルドレンです。

iPodとWinnyが合わさることで何が起こったかと言えば、「よくわからない音楽をとりあえず落としてiPodに放り込んでおく。そのままよく聴かずに、あるいは全曲のイントロだけ聴いてあとは放置する」という行動に違和感を感じなくなった、つまり音楽への所有感覚がかなり変わりました。ライブ(フェス)やヴァイナルに対する欲望(※)は、この結果です。

※個人的な所感としては、これはリスナー側だけでなくアーティスト側にもあります。たとえば最新作をカセットテープで出すような売り方は、マーケティングやイメージ戦略以上に、「自身(の音楽)の所有がどのように所有されるか」をコントロールしたい欲望のあらわれだと考えます。

そんな青春時代を送った自分にとって、Spotifyなどのようなストリーミングサービスは「お金を払っているWinny」のようなものだと思っていました。しかしどんなメディアにも異なる点はあり、Winny時代には「mp3というモノを所有」できていましたが、Spotify時代ではmp3すらなくなり、より純粋な「音楽」だけが残りました。

Spotifyには「保存」という機能があります。しかしこれは音楽自体をハードディスクに保存する訳でなく、自分が好きだと思った曲・覚えておきたい曲をマークする程度の意味しかありません。Spotify上で我々ができる最大限のリスペクトは、こうやって音源にツバをつけていくことだけです。

繰り返し、これは決して批判的な感想ではありません。ただしこういった態度が新しい種類の悲劇を産んだことは正しいでしょう。実際に私はPUNPEEの『MODERN TIMES』について、いまだに1円たりともお金を出していません。かといってmp3を所有することによる空虚な満足感すらも無く、Spotifyの「保存」ボタンを押して、ただ彼の音楽を聴いているだけなのです。


つまりは、そんな時代のマイベストが、どれだけ「マイ」の「ベスト」なのか、という不安についての話でした。とはいえ音楽自体は何も変わっていない。変わったのはその周りであり、試されるのはその環境下での私たちの態度、とくに私たちの記憶です。

というわけで以下は、出会ってしまったせいで「いつか忘れてしまうのではないか」と病的な気持ちを引き起こしてしまうような名曲たちです。

Little Gree Monster - 私らしく生きてみたい

いきなり2016年の楽曲ですが(笑)、2017年のアルバム『Joyful Monster』に収録されているのでカウントしました。私が飼っている「女としてのアタシ」にとっての名曲は、ずっと安室奈美恵「Baby, don’t cry」でした。これを更新しそうになったのが本作です。

2番のBメロ、「鏡で嫌なところ探して隠していても 自信もない不自然なだけ個性はチャームポイントにしなきゃ輝かない」というフレーズは、さんざん擦られているフレーズでありながら彼女たちが歌った瞬間に「そうよ!」と叫ばずにはいられないものだと思います。

2番のサビ後半の娘のボーカルも胸に突き刺さります。亀田誠治プロデュース。

PUNPEE - 2057

PUNPEEのデビューアルバム『MODERN TIMES』のオープニング。interludeですが、もしかしたらこのトラックを一番聴いている可能性があります。自分じゃ絶対に作れないもので、畏怖の念しか浮かんできません。冗談でもなんでもなく、「あの始まりの曲は〜」で毎回泣いています。

ゴスペラーズ - Fly me to the disco ball

ゴスペラーズがどれだけ良いアーティストなのか。もっと日本全体に知られるべきだ、と思ってから15年ぐらいが経つでしょうか。「日本の名曲を歌う」みたいなテーマで年に1枚アルバム出してるだけでもいい身分なのに、こうやってオリジナルを、しかも3連譜のディスコに挑戦するグループを、他に知っているなら教えてほしいぐらいです。

今年発売になった『Soul Renaissence』は、ファン以外の人にもオススメできるかというと微妙なところなのですが、シングル単位でいうと、 「Fly me to the disco ball」の他にも「暁」や「Deja Vu」という傑作があります。とくに「Deja Vu」は、これぞゴスペラーズ! って種類の作品で、いま中学生活を送っている冴えない男子に聴いてほしい一曲です。

Drake - Passionfruit

Drakeは私にとってのスタープレイヤーなのですが、相変わらず素晴らしい、というのがファンの声です。ラップ・ボーカルも流石ですが、ローファイなトラックにちょうど馴染むようミキシングされたボーカルが本当にすごいと思います。

DJ CHARI, DJ TATSUKI - ビッチと会う

「Spotifyで出会った」はじめての曲ということで。クレジットに関する知識は一切ありませんが、タイトルから曲調、リリック、その全てが噛み合っていると思います。でも来年には忘れてるだろうな(笑)。

MISIA - 来るぞスリリング

『MISIA SOUL JAZZ SESSION』とタイトルから連想されるワクワク感とガックリ感が半分ずつあると思いますが、その針はワクワク側におもいっきり振って問題ありません。不勉強ながらMISIAの曲はあまり知りませんが、いくつかの新曲とカバーをまとめた本作は全曲が素晴らしいです。

黒田卓也はJTNC経由で知りましたが、個人の作品をもっと追っかけようと決めました。

AKLO, JAY’ED - Ballin’ Out

今年いちばん聴いた可能性がある作品。両アーティストとBACKLOGICの3人のコラボミニアルバム『Sorry…come back later』より。帰宅途中はこの曲と「Be What You Are」ばかり流れていた気が。ポップスとしても聴けるところが本当に好きです。

BASI - Peppermint

『LOVEBUM』も悪くはありませんでしたが、個人的にはシングル限定(?)の本作のほうがフィット感があり、夏の休日はだいたいこれが流れてました。

Scoobie Do - MI.RA.I

不勉強ながらスクービードゥーの曲はあまり知りませんが、Spotifyがなんとなく繋いでくれたおかげで、こんないい曲に出会うことができました。本作が収録されている『CRACKLACK』もこれから聴きます。

sui sui dack - swim2

Spotifyと契約してなければ絶対に知ることがなかっただろう記念に。こういうロックのほうが私にとっては「踊れるロック」です。本作が収録されている『FEEL』もこれから聴きます。

BANANALEMON - I WANNA, I WANNA

ワザとらしい「ダサさ」に対する嗅覚は鋭いつもりでして、その鼻で断言しますが(鼻がしゃべるのか?)、この曲のダサさはピュアだと思います。で、それが本当に最高。この他の曲があまりよくない気がしますが、ひきつづき追っかけたくなります。

フィロソフィーのダンス - ニュー・アタラクシア

別名義の活動で一緒にやったことがまだ信じられませんが、そんな気持ちを更に増幅させたのが本作も収録されている『ザ・ファウンダー』です。「ダンス・ファウンダー」や「ライク・ア・ゾンビ」も最高なのですが、せっかくなら今後隠れそうな名曲を紹介しておきたい。

シティポップやファンク、ディスコを土台としているアイドルですが、そこにラテンをふりかけると彼女たちとの混ざり具合がよくなる気がしています。あとボーカリストとしての十束おとはさんのポテンシャルがずっと楽しみです。

ノーナ・リーヴス - Danger Lover feat. いつか(Charisma.com)

ノーナ・リーヴスほど「聴けば聴いたで最高だな!」というアーティストもいないと思います。どうしてもヒップホップばかり聴いているので、あまり触れるチャンスが少ないですが、Spotifyによって不意を突かれるかたちで名曲を流し込まれました。いつかは、キリンジにfeat.された『AIの逃避行』も是非。

JJJ - COWHOUSE feat. YOUNG JUJU

JJJがどういうラッパーか知らないのですが(KANDYTOWNの人でしたよねたしか)、『HIKARI』は佳作でした。その中でも本作はリズムへのアプローチが面白く、よく聴いていました。

このあたりのラッパーとフランクに接することができたのも今年のニュースだった気がします。話変わりますが、ISSUGIのアルバムもなかなかよかったです。「Time」とか。

KICK THE CAN CREW - 千%

29歳のラップ好きにとってこれは外せません。新作『KICK!』については別記事を書けていませんが、KREVAが久しぶりに「J-POPへの挑戦」みたいなところから離れて、実家に帰ってきたようなトラックとラップをやっているところが、完全にいい方向に出ていると思います。

KREVA - 想い出の向こう側

そんなKREVAのソロ作品『嘘と煩悩』から。これは拙記事でも取り上げています。本作はいちばん挑戦的な作品で、次のアルバムへの期待感を高めてくれるものです。

N.E.R.D - Kites feat. Kendric Lamar, M.I.A

今年いちばん衝撃を受けた曲は、まさかの12月末に聴きました。民族風のコーラスから始まったかと思えば、3連符(スウィングですね)でラップが入ってきて、この時点でかなりカッコいいんですが、そこからまさかの808ドラムでの倍速に切り替わり(裏では最初のビート感を残した上モノが鳴っている)、「うわーやべー!」って言っているうちに終わっていました。

N.E.R.Dって「ヒップホップかつロック」みたいなイメージがあり、これまではそれほど琴線に響かなかったのですが、この曲を機に過去曲で聴き逃したものがないかチェックしています。

コボリアキラ - 朝がすべて暴くさ

そんなわけで、最後は自分の曲を。2017年が終わる直前に配信開始しました。この記事のあとに広告記事を書きますが、バースでは8分の6拍子、フックでは4分の3拍子をラップする、というちょっとしたおもしろ曲です。たまにはこういう日本語ラップを聴くのも、精神衛生上いいと思います(笑)。


12月18日。 『ザ・ゴール2』から『クリティカル・チェーン』を流れで読破。10年前に大学で聞いたTOCがやっと自分の身近なテーマになってきた。あの先生が話していた内容がどんどん思い出されていく。

N.E.R.Dの新作が出たことをSpotifyで知り聴いてみたら最高だった。というか2017年の最高傑作で間違いなさそう。みんなの評価を読んでいないが「Kites」は交通事故に近いレベルの傑作だと思う(このブログの投稿までに100回は聴いてるかも)。


12月20日。

また熱を出す。「熱を出す」なんて朝飯前で、「あ、もう1ヶ月経ったのね」ってぐらいのもんだ。ただ最近は毎回高熱になってしまうのが惜しい。今回も38.9度という高スコアを叩き出してしまい、早々に退社。

布団に横になりながら『LIFE』を見た。放送日を覚えていられないのでたまに見ることになってしまったが、見るたびに感動でいっぱいになる。こっちのほうが発熱以上に病気だ。

ただ今回はそれも仕方なく、内村の出身地である熊本をテーマにした回で、内村が熊本に帰ってロケをするシーンがあった。自分も3年前ぐらいに熊本に行ってアーケード街を見てきたので、同じ道をウッチャンが歩いているだけでちょっとヤバかった。

ここ最近のウッチャンは、もはや「面白さ」でなく「哀愁」とか「なつかしさ」のようなものが強すぎて、ちょっと気軽に見れるようなものではなくなってしまった(だから司会がちょうどいい)。でもそろそろ、10年代の内村光良のマスターピースのようなものが出そうな気がしている。たぶん舞台になるだろう。

まだ寝れなかったので『ユージュアル・サスペクツ』も見た。映画史に残る傑作、なのかどうかは分からなかったけれどとても面白かった。たしかに2回見たくなった。

---12月22日。 別名義の変名ユニット、というもはや「何をどう隠しているのか?」というツッコミは不可避であるが、とにかくDJとしてお呼びをかけてもらった。 自分のDJはともかく(いい感じのヒップホップでもかけようかと思っていたら、思わずハウスから始めてしまって勝手に焦ってた)、一緒になった出演者の方たちがとにかく良かったことは明記しておいたほうがいいだろう。

その中ではじめて見たのが「もつ酢飯」というヒップホップユニットだったのだが(DJ MOTSUと関係あるのかしら)、これが一番印象に残った。先週見に行ったCMBにも出ていたワッショイサンバさんとムノウさんのコンビで、二人のかけあいがとてもよかった。

やっていた曲を買えるか聴いてみたら無料とのことだったので、早速下のリンク先に飛んで音源を確保した。フリースタイルでもあれだけオリジナリティがあったのだから、曲はもっともっと期待していいと思う。

もつ酢飯はチョコレートマカロンの夢を見るか?

あとこの場でもUDFの簾ンデゲオチェロと一緒になり、本当に気の合う人だなと思った。自分で自分のことは理解できないので同じタイプかは断言できないけど、暗そうに見せて底抜けに明るいヤツってのはいつだって友達になれる。

帰宅後もまだ寝れないので、上のアルバムを聴きながら『クリティカル・チェーン』でも読んで睡魔を待つ。


12月15日。 すでに退場された協力会社の人たちと飲む。そのまま久々の麻雀になだれこみ、ちょっとだけ勝たせてもらった。


12月16日。

妻が道重さゆみのバスツアーに急遽行けることになり、出かけていった。一番身近な遊び相手がいなくなってしまい、仕方なくウイイレをやったり週次レビューをしたり。

夕方に池袋でイベントがあることを思い出し、池袋のカーリースクラムでUrban Drive Family(UDF)とHYDROさんのライブを見ることに。

会場の雰囲気がなかなか面白く、伝わるか微妙だけど「歌声喫茶」のような感じがあった。実際、入ったときにはバンドセットを従えたラッパーが即興でカマしていた。つぎの言葉を切り取るとディスに読み取れてしまうが、ひとつの部屋に円形状に座り誰かのラップを聴く、この感じに一番近いのはダルクなどの集団セラピーだ。そういうのもあっていいよね、と思う。

UDFは久しぶりにライブを見れてよかった。ez do dan子さんのラップはいつ聴いても面白い。大声を出すタイプではないので、もっと音響設備のいい場所で彼女のラップを聴けたら最高だ。HYDROさんも自分の道をそのまま突き進んでいる感じがして好きだった。

どうせ帰っても誰もいないので、イベント後もUDFの人たちと飲むことに。サポートで入っていたドラムの人がビックリするぐらいツボに入ってしまい、何度かパトロンの契約を結ぼうとしてしまった。自分もヒモ適正がかなりあるほうだけど、ときたまモノホンに会うと「自分はちゃんと働こう」と思える。

---12月17日。 起きたらSummer Rocketのワンマンが終わっていて、深い罪悪感を感じながら起床。新メンバが発表されて7人体制になるとのこと。夏のアイドルなんだし、人が増えるのは楽しくていいんじゃないかと思う。 『ザ・ゴール2』を読みながら時間をつぶしつつ、夕方からは「絶対忘れるな」というラップグループのセルラ伊藤さんが出場するフリースタイルの大会を応援しに行った。

「シンデレラMCバトル(CMB)」と名付けられたこの大会は、その名前の通りフィメールラッパーだけのMCトーナメントであり、セルラ伊藤さんは次点でギリギリ出場者に滑り込んだ。

となると懸命なブログ読者(の2名の方)はお気づきだろうが、つまりこれはサンドウィッチマンであり、トレンディエンジェルである。正確には「予選で負けた」訳でもないのだが(知名度的にトーナメントに参加できるかどうか微妙だったのだと思う)、その雰囲気をまとった人というのは強い。1,2回戦を余裕で勝ち上がると、好ゲームだった準決勝も勝利を収めてしまい、「マジかよ!www」とか言っている間に決勝。

優勝決定戦こそ緊張が上回ってしまい負けてしまったが、今大会を盛り上げたラッパーの一人であることは間違いない。本当におつかれさまでした。優勝したMC frogさんもおめでとうございます。

個人的に気になったのは、フィメールラッパーの半数ぐらいが「現場叩き上げ」系であり、「仲間を背負ってる」とか「○年やってきた」とか「フィメールラッパーのシーンを」とか、そういった言葉を選択していたことだ。私からすると、これらはもう「死んだ言葉」だと思う。すくなくとも彼女たちが「発明」した言葉ではないはずだ。

そんな言説が取り囲んでいた大会だったこともあり、「MCビキニ」という名前の通りビキニをでフリースタイルする(事務所に無理やりさせられている)ラッパーがいたのに対する風当たりが強すぎて辟易してしまった。

たとえばMCビキニの1回戦の相手も、(いつもそうなのか知らないけれど)ビキニを着ていた。つまりどっからどう見たってキャットファイトをMCバトル化させている訳だが、これにファックするぐらいならそもそもマッチアップしちゃいけないし、ステージに出すからにはちゃんと応援(ないしはちゃんとブーイング)してあげないといけない。

大会の空気感に関しては他にも思うところはあったが、もちろんいいラッパーを見つけられたことに感謝しているので一切不満はない。セルラ伊藤の3回戦の相手であるリルデビもキャラが立っていたし(最初はJuice=Juiceの宮崎由加かと思った)、ワッショイサンバもセルラ伊藤と同系の、感情と理性をギリギリのバランスで保ちながらラップするタイプで楽しかった。

次大会があるなら、いい頃合いで「セルラ伊藤 vs. ワッショイサンバ」のバトルをやってほしい。そのときは、たぶん「これがシンデレラMCバトルか」というような、大会のアイデンティティが前面に出てくるようなバトルになると思う。


12月6日。

別名義のライブ。親友のリリースパーティだったのでバチッと決めてやろうと思っていたのだが、自分の機材トラブルでいくつかミスがあった。アットホームな雰囲気のおかげで、ギリギリ事なきを得た(と思いたい)が、メンバにも共演者にもお客様にも悪いことしたなーと反省。

それにしても、他責するつもりはこれっぽっちもないけどTRAKTOR AUDIO 2 MK 2は●●だ(笑)。一世代前のほうが安心するし、それほどギミックにこだわらないならCDJに変えようかしら。

POLLYANNAははじめて見たがとてもよかった。「ああいうライブをできるような人生もありだったなー」と思わせてくれるバンドを見ると刺激をもらう。4*4=16は、どんどんライブが「舞台」になりつつあり、最終的には東葛スポーツみたいなことになったりする未来をイメージしてしまった。今からVJの勉強しようか迷ったほど。


12月9日。 ガーデンシネマで『ネルーダ』を見る。すぐ近くに映画館があるのだから行かないのは損だろう、という軽い気持ちで見たのだが面白かった。

引用したくなるような台詞がたくさんあり(実在した者と映画の中で生み出された者との会話やモノローグがあるのだから、そりゃあ使いたくなる)、覚えておこうと思ったのだが、映画のはじまった30分頃から尿意が止まらず(笑)、最終的には真実と虚構、と尿意の入り混じった、「これをマジックリアリズムというのか」って体験になった。

---12月10日。 別名義の曲のアイデア出しをしつつ、kobori akira名義の曲も久しぶりに作った。久々にラップを録音したが、また一歩目からやり直さないといけないぐらいのレベルになっていた。わたしも再デビューしないといけない。 曲は6/8拍子と3/4拍子を交互に入れ替えつつ、クロスリズムとしても遊ぶことができるようなトラック・ラップになった。技術的には貧相なものでも、アイデアだけは第一線にいるラッパーたちと肩を並べるものだと思う(多くのラッパーがこの手法を覚えてチャレンジするようになったら、すぐ抜かれてしまうけど)。

このあとミックス・マスタリングをして、はじめてのSpotify配信に挑む。もうCD BabyではなくTunecoreを使うべきなのかしら。


12月2日。 美容院の待ち時間中に『嫌われる勇気』を読む。

帰宅後ちょうど『めちゃイケ』と『IPPONグランプリ』、『さんまのお笑い向上委員会』が続けざまにやっていたので、カット野菜を鍋に放り込みつつ見る。ここ数年の『めちゃイケ』はヒール役を担い続けていたので、番組終了後になってやっとベビーフェイス化すると思っている。DVDとか発売される頃には「伝説の番組」みたいな。

『IPPONグランプリ』はいつも通り面白かった。堀内健の大喜利が見れるってだけでスゴい番組だと思う。あと最近になってやっと気づいたけれど、もはやバラエティ番組(とくにコンテスト系の)に《ドラマ》は必要とされてないのだろう。

自分でも驚いているけれど、明日が『M-1グランプリ』の決勝であることをつい先日思い出した。その頃には残念ながら別名義の活動が入っていて、人生ではじめての「どんなコンビが出るのはよく把握してない」かつ「生放送で見ない」M-1になるのだ。

これが何を意味するかは分からないけれど、自分の感情から分析するに、これが「どうでもいいなー」と思ってしまった。『にちようチャップリン』とM-1の何が違うのか、今の自分にはわからない(※翌日の日記で大きく変わりました・笑。詳しくは以下の日記を)。


12月3日。

モード・カフェ・ギャマンで週次のレビューを終えたあと、別名義のリハーサルに。自分のつくった曲をはじめて通しで歌ってもらい、やっと命が吹き込まれた。メンバに感謝を。

自分でボーカルをとらない曲をつくるのは久しぶりだったが、「思い通りにならない」感じも楽しめている自分を俯瞰して、なかなか悪くないじゃないか自分、と思った。

帰宅後、ファミマで買ったカルボナーラを食べながら『M-1グランプリ』を見る。例年にない感動的な展開で、ちょこちょこ泣いてしまいそうなシーンがあった。

これを認めるのはツラいけれど成長のためとして書こう。もう自分のようなM-1の見方は古すぎる。M-1グランプリそのものは歴史を持つし、それをずっと見ている我々(20代後半以上)も同じ歩みを辿っているわけだが、視聴者はそれが全てではない。そしてそういう観点から言うと、M-1の視聴者はすでに一周した(そして我々は「一蹴」された、とでも書きたくなる)。

M-1という「新しい漫才のルール」と、これを「攻略」しようとしたかつての芸人たち。そして今、漫才はこの壮大なドラマを超えたところで展開されている。「手数」なんて言葉は陳腐となり、お笑いはまた答えのない問いへと進んでいく。

今大会で最もチャレンジしたコンビであるジャルジャルを見れば、まだM-1はいくらでも面白くなるのだと分かる(そして福徳のあの表情は、M-1史上でもトップを争う名シーンだ)。そして「コンビ結成15年まで」という新しいルールのうえで勝ちをもぎとったラストイヤーのとろサーモンには、ギリギリで感動が勝って落涙した(敵方は「結成10年以内のコンビが出てこそM-1だろ」という老害的批判)。

「破壊と創造」という言葉を忘れていたことを思い出した。『ドキュメンタル』のゾンビタイムよろしく、バラエティという世界では一度死んだ者は必ず復活するのだ。それは人物のみにあてはまらず番組、大会も同様のようだ。『M-1グランプリ』がいま、また大きな産声を上げた。