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この文章を、浅草公会堂、堂内の喫茶店で打っております(ほんとうは『天国』という喫茶店に行きたかったのですが、人がいっぱいでした。自動的に地獄行き〜)。

すでにご承知の通り、5年という短いような長いような歳月を経て、『M-1グランプリ』は復活しました。

「うさぎとかめ」よろしく、M-1が島田紳助の引退に合わせてスヤスヤ寝ている間に、たった5年間ではありますが、日本・世界では様々なことが起こりました。

とくにM-1に関して言えば、『THE MANZAI』という80年代からの使者によって、M-1は冬眠中に息の根を止められました。(※拙記事「THE MANZAIはM-1を殺した―中川家から博多華丸・大吉まで」をご覧ください。また、M-1以外の、より規模の大きなことについては、取り扱う資格が私にはありません。)

いや。正確には、息の根を止められた「はず」でした。 2015年、M-1はまさかの復活を雄叫びを上げます。

なぜM-1が復活したのかも、誰がこの状況を待ち望んでいたのかも、そして2015年のM-1がどうなるかも、誰も理解できていないままに、M-1は再始動しています。

できることは、とにかく会場に赴き、そして笑うだけです。


えー、現在はネタを見終えた翌日、いつもより腹筋が痛い2015年11月4日です。

いろいろな感想がありますが、ひとつ挙げれば「やっぱりM-1は「語らせる」力をまだ持っているなー」でしょうか。浅草公会堂を出た直後、口からは様々な感想が飛び出し、耳には様々な感想が飛び込んできました。THE MANZAIの予選にはこの光景は無いのでは、と思っています。 今回の予選を鑑賞するにあたって、自身に課した設定がひとつあります。それは、

「以前のM-1的な価値観をなるべく思い出しつつネタを見ること」 です。

詳しく言えば、「面白いかどうか」という単一の基準の裏に隠れた、「新しいかどうか」とか「上手いかどうか」とか「4分間に魅力が凝縮されているかどうか」、つまり「M-1らしいネタかどうか」を考えながら見ることにしました。

---結論を先に出しますと、これを気取ったお笑いヒニリストのカッコつけ発言と取らないでいただきたいのですが、 東京予選に出場した51組中、「M-1らしいな」とか、もっと言えば「決勝でやってる姿が目に浮かぶ」というコンビは、厳しめに見ると4組でした。

そして、このこと以上に痛烈に刺さったのは、 「M-1を目指して作ったネタではない」コンビが多くいた ことです。

ここで勘違いしないでいただきたいのは、「4組しか笑えなかった。残り47組はめっちゃスベってたわー」とか「このネタじゃ予選通過なんて無理やわ。おつかれさん」などとは決して思っておらず、むしろ、これこそが今年のM-1につきつけられた問いなんですが、

「M-1的な漫才」より笑える漫才がたくさんあったんですけど、どうします ⋯⋯? という、「お前、今更かよ⋯ッ!

フレッシュ!」ばりの三村ツッコミでも出てきそうな。それでいて「だってそうじゃん!」って感じの、どうしようもないタイプの問いが重くのしかかっています。

これを招いたのは紛れも無く『THE MANZAI』です。THE MANZAIがM-1の歴史をなかば引き継ぐ形になってしまったところに、博多華丸・大吉が王冠をとってしまった。(※補足というか感謝で、私のブログ記事をななめ読みすると、博多華丸・大吉が悪者みたいに扱われてるんですが、いまのところそういう炎上はありません。ありがとうございます。)

言い換えれば、面白さに新たな基準を与えたM-1の(漫才に限らず、コントにも波及はあったと思います)、その基準をTHE MANZAIは無効化してしまった訳です。これが「面白くなければテレビじゃない」のフジテレビがやった、というのは出来過ぎでしょう。

---つまり、『M-1グランプリ2015』は復活直後いきなり、ひとつの大きな分岐点を迎えることになります。その分岐とは、 「過去のM-1の歴史をそのまま持ち込み、賞レースとしての正統性を確保するか」 それとも 「直近のTHE MANZAIの歴史をそのまま持ち込み、賞レースとしての現代性を確保するか」 です。

言い換えれば、「M-1グランプリ2011」にするのか、「M-1グランプリ2015」にするのか。って感じです。M-1の歴史の連続/断絶と言ってもいいと思います。

どちらを採用するかによって、決勝進出者の顔ぶれも、かつ審査員の顔ぶれも変わります。もちろん、M-1が持つ権威性もです。後者に舵をとった場合は、松本人志が審査員席から外れる可能性すら有り得ます。

直感では、「どちらも抱えようとしてグダグダになるんじゃいか」というのが予想なんですが(笑)、正直どうなるかは、やはり誰にもわかりません。

---最後に、決勝進出予想でもしてみようと思います(いくつになっても予想は楽しいですね・笑)。 上述の通り、今回は2パターンが考えられます。 まず、M-1が正統性を確保した場合。つまり、M-1的な価値観で突き進んだ場合ですが、個人的には、

  1. 馬鹿よ貴方は2. セバスチャン3. 天竺鼠4. ダイタク5. ボーイフレンド6. オジンオズボーンなどなど、まだ10組ぐらいいますが、こういうメンツが上がってくると思います。個人的には、ダイタクやボーイフレンドみたいな「ああ、多分アレやるんでしょ?」みたいなコンビがとても面白くてビックリしました。裏切られる、って気持ちいいですよね。

で、もしM-1がTHE MANZAIに押し切られて、新しく歴史をつくろうとした場合ですが、そのときは1. 東京ダイナマイト2. トレンディエンジェル3. POISON GIRL BAND 4. 笑撃戦隊5. チーモンチョーチュウあたりでしょうか。正直、こっちの予想はかなり適当です。 ひとつだけ言えるのは、 今回のM-1グランプリの鍵を握るのはPOISON GIRL BANDです。 彼らが決勝に進出するか/どこで落選するかは、血眼になってチェックするつもりです。

そんな流れで個別のネタに関する話もしたいんですが、決勝が終わってからにします。それでは。

※「優しさは失敗のもと―2015年のM-1は成功するか?」で取り上げていますが、「コンビ結成15年以内」というルール変更は、いまのところそれほどの悪影響を及ぼしていません。いまのところは、ですが。


久しぶりにニヤニヤする本に出会ってしまった。本書の内容がどうかはともかくとして、

「いやー、そうですよねー。そういう気持ち、オレ、めっちゃわかります!!」

という種類の、共感や共感から生まれるワクワク感みたいなものに包まれてしまった。 [amazonjs asin=“4122052831”locale=“JP” title=“料理の四面体 (中公文庫)”]## 感想本書は、「イッパツで料理の一般的原理を発見し、それを知ったらあとは糸を紡ぐように引けば引くだけ次から次へと料理のレパートリーが無限に出てくる」(※1)方法を考え、提示した本である。

還元すれば、 数多の料理法をあるひとつの理論で説明する 、という無茶にも程がある種類のチャレンジだ。

こういった欲望は、さまざまなジャンルで顔を出す。音楽も、さまざまな人が理論をつくり、統一的な説明が試された。しかし、音楽の構造を把握した者は誰一人いない。

著者の 玉村豊男さんは、現在はワイナリーを経営していて、実際に彼の料理を食べに行くこともできる。サイン本も購入することができる(笑。「ヴィラデスト ガーデンファームアンド ワイナリー l 玉村豊男のワイナリー カフェ」より。)

文体は、タイトルや内容から論文のようなものに思われ、手に取る気になれないかもしれない。しかし実際は、著者の体験談がエッセイのように並べられ、体験から得た結論を最後の数十ページにまとめた、とても読みやすい形式になっている。

「料理が好き。レシピを読むのが好き。自分でレシピを考えるのが好き」なんて人であれば、充分な面白さを得られることは保証したい。


さて。さきに結論を書くと、あるものの全てを一つの統一的な理論で説明すると無理が生じることは上述したが、この本もおそらく同じような歪みを抱えている。

しかし本書は、だからといって切り捨てるには、あまりに惜しいほどの魅力を持っている。無茶なことをやってるからといって、トンデモにするには勿体無い。

これは個人の意見だが、分析というのは「誤りがゆえの魅力」を持つ数少ない学問であり、いわば「ハズすからこそ楽しい」娯楽でもある。

『料理の四面体』は、上のような意味でバランスのよい「分析」がされていて、文体も洒脱で読みやすく、かつ現実的な側面もたくさん含んでいる。

こういうのを何という? 「最高」だ。

頂点と底面―「火」と「空気、水、油」

本書のタイトルである「料理の四面体」とは、他ならぬレヴィ=ストロース(彼については橋爪大三郎『はじめての構造主義』〜ヨーロッパ文明を破壊したレヴィ=ストロースの構造主義で少し触れている)の**「料理の三角形」** という言葉がモチーフになっている。

とはいえ、読めばわかるように、実際の関連はない。アカデミック的な面白さを期待すると面食らうだろう。

四面体の「頂点」と「底面に含まれる3点」をそれぞれ重要な要素と考え、それぞれの線分の間に料理を置いているのだ。確認してみよう。

「頂点」にあたる、料理において最も重要な要素は、約40万年前から人類が使っている 「火」 だ。火によって、人間は「料理」という技術を覚える。

(※「料理」を表す”cooking”、“cuisine”はラテン語の”coquere”から来ている。“coquere”の意味は、「火熱を加える」という意味だ。この点から筆者は、欧米における料理が「加熱すること」と不可分であり、たとえばサラダのような加熱しない料理が”hors-d’œuvre”(オードブル。直訳で「仕事の外」)であることを指摘する。あわせて、日本では、おける刺身の包丁捌きのような、加熱しない技術を「ものごとを料(はか)り理(おさ)める」ものとして「料理」と名付けられていることも指摘する。)

そして、その火に合わせる3つの要素は、 「空気」、「水」、「油」 だ。

「空気」を例にとる。「空気」を「火と加熱する物体の間にあるもの」と定義すれば、空気の量を調整した加熱として、グリル、ロースト、干物、燻製が挙げられる。

ここで個人的に重要なのは、干物だ。干物は単に外気に晒しておくだけであり、「空気」だけの料理に見えるかもしれない。

しかし、干物にも「火」は利用されている。それは太陽なのだ。

干物の場合はくんせいよりももう少し火から離れていて、火源との距離が一億五千万キロメートルほどあるだけなのである。 (※2)

この一文は、本書の魅力を端的に表す一文だと思うが、どうだろうか。

すべての料理は「料理以前」である

上の話も魅力たっぷりだが、本書はまだ止まらない。

それは、サラダに関する話だ。サラダとは「生の食材に調味料・ソースを混ぜわせたもの」であるとし、これを拡大的に解釈するシーンだ。少し長いが引用してみる。

一本の胡瓜に、塩をつけて食べるとしよう。 その場合、胡瓜につける塩は“ソース”であり、塩のついた胡瓜は“サラダ”ということになる。
一枚の焼き肉に、塩をつけて食べる。 とすれば、その塩は焼き肉の“ソース”であり、塩味のついた焼き肉(ステーキ)は、そう、“サラダ”ということになる⋯⋯。
(※3)

つまり、 「加熱後のもの」を、もう一度「加熱前のもの」とみなしている のだ。

ステーキが意外すぎるなら、ポテトサラダでどうだろう。ポテトサラダは、じゃがいもや人参を茹でている。(※これは「火」と多めの「水」による料理法だ。)

しかし、この茹でた野菜をもう一度生の状態として和えているから、この料理はポテト「サラダ」なのだ。

この例は著者への僅かなお礼として、著作権フリーで差し上げたい。

無限のレシピ

雑にまとめれば、本書の内容は次のように説明できる。

どんな料理でも、「空気、水、油」と「火」の使用とドレッシング(調味する)を繰り返せば、すべての料理を作ることができる。

おそらく、例外はあるだろう。しかし、大事なのはこの理論を知ったあとの自身の認識だ。

私はいま、どんな料理を食べても、あるいは自分で料理しても、この理論が頭を巡る。 今日はハンバーグのパイ包みを食べた。さて、四面体に配置してみようか。

(※1)玉村豊男『料理の四面体』、中央文庫、2010年(単行本は1980年)、12頁。 (※2)同91頁。 (※3)同173頁。

目次

  1. 料理のレパートリー2. ローストビーフの原理3. てんぷらの分類学4. 刺身という名のサラダ5. スープとお粥の関係6. 料理のレパートリー7. 料理の構造――または料理の四面体について## 読んでみたい/関連する参考文献
  • 辻嘉一『御飯と味噌汁』

中島美嘉を取り戻し、古き良き時代を取り戻し、21世紀の日本で流行るかもしれないポリリズムを取得してみよう、の第3回です。

前回までの流れは、こちらから辿ってください。

繰り返しになりますが、 このエントリ群は、できれば最初からお読みになって、音源もひとつひとつ聴かれたほうが楽しいです。

文面だけ読んでわかるレベルにポリリズムをご存知でしたら、多分面白い話はあまり無いと思います。 まずは、この連載のインスピレーション元である中島美嘉「Love Addict」を聴いてみましょう。肩/脇フェチにとっては、サビの映像はたまらないですねー。昨日はじめて『さや侍』を見ましたが、同じくらい性的です(『さや侍』が性的すぎた、って意味です)。

クロスリズムを、図と音でインストールする

今回は、これまで取り上げた「ベース(ハイハット)とピアノ(スネア)でのリズムの違い」について、いよいよ <クロスリズム>という言葉を使って説明してみます。 まず、こちらを聴いてみてください。前回の最後に紹介した音源です。 [audio mp3=”http://koboriakira.com/wp-content/uploads/2015/10/4.mp3”][/audio]### 2(偶数)と3(奇数)をそれぞれ意識する上の音源だけだと何をやってるかわからないので、下の図をもとに解説していきますね。 3-1 この図で重要なことは、2つあります。 ひとつは、

キックとキックの間(これを「1小節」とします)に音符が6つ入っていることです。ただの言い換えですが、1小節という時間の間に音を6つ鳴らせられるわけです。

実際に6つの音を敷き詰めてみたのが、下の音源です。強弱がないので、6つの音がひとつながりになって鳴っているイメージを持ってもらえれば、以降がわかりやすくなります。

[audio mp3=”http://koboriakira.com/wp-content/uploads/2015/10/3-2.mp3”][/audio] 文字化すれば、「 ツツツツツツツツツツツツ|⋯⋯」って感じですね。 そしてもうひとつの重要な点は、 6つの音を、ハイハットは2つごとに区切り、スネアは3つごとに区切っている ことです。

ここ、めちゃくちゃ大事です。大事ですが難しくはありません。簡単ですし、ここさえ分かれば、クロスリズムは体得できます。

この章で最初に聴いてもらった音源は、区切りの箇所でしか音が鳴っていません。なので、下の音源では、1つ目の重要な点(6つの音を敷き詰める)を参照し、実際に6つ鳴らしながら区切りを強調してみました。

ハイハット(2つ区切り、「Love Addict」のベース)

[audio mp3=”http://koboriakira.com/wp-content/uploads/2015/10/3-3.mp3”][/audio] 文字化すると、「 ッ| ッ|⋯⋯」になります。

スネア(3つ区切り、「Love Addict」のピアノ)

[audio mp3=”http://koboriakira.com/wp-content/uploads/2015/10/3-4.mp3”][/audio] 文字化すると、「 ッッ ッッ| ッッ ッッ|⋯⋯」ですね。 ここまで読んでもらったら、最初の図をもう一度見てみてください。クロスリズムがどのようなものかわかるでしょうか。

ハイハットは、2つの音をひとかたまりとして区切っています。だから、6÷2=3で、3つのかたまりができます。

一方でスネアは、3つの音をひとかたまりとして区切るので、6÷3=2で、2つのかたまりができます。


以上。ここから、クロスリズムが定義できます。クロスリズムとは、

「1小節(ないしは2以上の小節)が、さまざまな数の音のかたまりに分かれ、同時に鳴っているリズム」 なのです。

まがいもののクロスリズムに注意!

ゆっくり読んでいただければ、これから説明するような間違いは無いのですが、おそらく10人に3人程度は有り得そうな間違いを紹介します。(※)

(※)「間違い」と書いていますが、なんも悪くはありません。ただ、これをクロスリズムとは呼ばない、という意味です。実際、J-POPでもよく利用される、非常に一般的なリズムの工夫です。

下の音源を聴いてみてください。 [audio mp3=”http://koboriakira.com/wp-content/uploads/2015/10/3-5.mp3”][/audio]なんか音がいろいろなタイミングで鳴っているので、「クロスリズム?」と思ってしまうかもしれないんですが、これはクロスリズムではありません。

このリズムは、図にすると下のようになります。 3-2

注意していただきたいのは、1小節(キックの間)に入っている音の数がそもそも違っていることです。 クロスリズムでは、1小節の中に入っている音の数は同じにならなければいけません。

またいずれ再登場願います

で、そうなると、「じゃあこのリズムは何なんだよ」って話ですよね(笑)。

さきに言葉で説明をすると、「3連符にしたか、していないかの違いです」とか、「1拍をどのように分割するかの問題です」とかになるんですが、

この連載では、もう少しあとで扱ってみたいと思います。

次回予告

というわけで、第3回にして、ようやくクロスリズムの話にたどり着きました。

ツイッターの140文字どころか、もう文字すら読む気になれない、インスタグラムに「いいね!」して終わり。な時代の中、ここまで読んでもらってありがとうございます(笑)。

次回からは、もう一度中島美嘉「Love Addict」に戻して、どうリズムを取ればノレるかを実践的に書いてみようと思います。では。

12年ぶりに、中島美嘉「Love Addict」をポリリズムの観点から再評価する(4)


10代の中には知らない人も当然いるでしょうが、 中島美嘉 という女性シンガーがいます。

わたしの世代(1989年生まれ)にとっては、デビュー時から見ている歌手です。冬のバラードと言えば「冬の華」ですし、高校時代(かな?)にカラオケに行けば、女子はこぞって「GRAMOUROUS SKY」(映画『NANA』の主題歌)を歌っているなど、まあ牧歌的な時代でした。

かくいう私も、デビュー作から3枚目ぐらいまでは熱心に聴いていて(※1)、結構好きな歌手です。


で、今日は彼女が出した楽曲の中で、とても不思議だった曲について、雑筆しようと思います。 曲名は 「Love Addict」

(2ndアルバム『LOVE』に収録)。

これ、初めて聴いたのはまだ中学生だった頃、やっと自慰行為を覚えたぐらいの頃です。楽曲のオトナな雰囲気もあいまってか、聴いたあとはしばらくボーッとしてしまって、それからは何十回もコスるほど聴いてました。

もし未聴でしたら,とりあえず一度聴いてみてください。 「なんだ。全然単純じゃん」

と思うかもしれませんが、できれば中学生ぐらいの頭で聴いていただければ(笑)。

クロスリズムのポップスとして再評価する

一聴してみて、いかがでしょうか。オシャレでジャジーがゆえに、演奏の難しそうな楽曲に聴こえるでしょうか。。

実際、中島美嘉自身もこの楽曲に対しては、難しく感じていることをインタビューで告白しています。

--そういったスタイルだからこそ歌うことが出来た曲ってたくさんあると思うんですけど、例えば『Love
Addict』。かなりジャズの要素が濃いナンバーですけど、あれを吸収するのってかなり難易度が高いというか。
中島美嘉:大変でした(笑)。いまだにうまくは歌えませんね。 すんなり歌えることはあんまりない。
なので、今も吸収中だったりするんですけど。ただライブで歌うときはそういうことは気にしないですね、上手い下手なんてどうでもいい、楽しければいい、みたいな(笑)。自分で後から聴いて「ひっどいな」って思うんですけど、「まぁいいか、楽しそうだし」って思うことにしてるんです(笑)。
([中島美嘉 『BEST』インタビュー | Special | Billboard JAPAN](http://www.billboard-
japan.com/special/detail/210))

また、一般の方がカバーしている動画も見てみましょうか。たしかに難しそうですね(ボーカルに耳をとられると思いますが、この記事を読み終えたら次はピアノに注目してみてください。かなり簡素化されてます)。

しかし、このエントリでは、楽曲の演奏の難しさにはまったく触れません。 では、どこを扱うか。それは「Love Addict」のリズムについてです。

結論から言うと、「ジャジーでオシャレ」というイメージを剥ぎ取ると、「Love Addict」はJ-POPとしては相当難しい、というか相当「大衆的でない」 ことにチャレンジしています。それは、 <クロスリズム> の利用です。

クロスリズムを使ったJ-POPは、2015年現在でも珍しいです。「Love Addict」は現在でも咀嚼しきれていない楽曲であると私は思っていますが、その理由はこれです。(※2)

以降、ドラムを付け足して解説します。ここから面白くなるから(27人に1人ぐらいは)、まだページを閉じないでくれー!(笑)

どの「リズム感」でこの曲を掴むか?

おそらくこう聴こえてる(踊る)はず

まず、「 たぶん、こう聴いて、踊るんじゃないかなー 」というパターンを出します。 [audio mp3=”http://koboriakira.com/wp-content/uploads/2015/10/love1.mp3”][/audio]はじめて聴いた場合、ほとんど方は、上のハイハットと同じリズムで聴くでしょう。 図にするとこんな感じです。

love1-1

キックは1小節ごと、ハイハットは1拍ごとを表しています(面倒なら覚えないでも大丈夫です)。

図を見ると、1小節(キックからキック)の間に拍(ハイハット)が3つあります。この状態、一般的には4分の3拍子(or8分の6拍子)なんて呼ばれたりします。

もしこう聴こえていたなら、それはベースに先導されているはずです。ベースとハイハットの鳴るタイミングが一緒ですよね。

シャッフルを感じる

もう少し聴いてみましょう。同じくイントロ。今度はドラムが入ってくるところからです。 [audio mp3=”http://koboriakira.com/wp-content/uploads/2015/10/love2.mp3”][/audio]2-1

こうなると、拍の取り方に少し変化(追加?)がでます。図のような シャッフル として聴こえてくるはずです。

「シャッフル(ビート)」というのは、3連符を使ったハネのあるリズムのことです(用語ばかりで面倒臭いですが、重要なところです)。1拍を3等分に割って、その3つの真ん中の音を抜かし、リズムをとります。

ピアノがつくり出すリズムの混沌

さて。上のようなリズムの取り方をしたとき、違和感を感じる楽器があります。それは、ピアノです。

ミックスによる気持ちよさもあって、ちょっと聴いただと違和感も無くスーッと入るかもしれません。

違和感を強調するために、スネアをピアノのタイミングで打ってみることにします。 [audio mp3=”http://koboriakira.com/wp-content/uploads/2015/10/love3.mp3”][/audio]こうすると、最初はちいさな違和感だったのが、ちょっとずつ増幅されてきませんか。

その違和感の原因は、ハイハットを除いてスネアだけで聴いてみると、よくわかるかもしれません。 [audio mp3=”http://koboriakira.com/wp-content/uploads/2015/10/love4.mp3”][/audio]3

図で表すとより分かりやすいのですが、ハイハット(ベース)が3つ鳴っていたのに対して、スネア(ピアノ)は2つしか鳴っていません。

このスネアに引っ張られながら聴くと、さっきと違うリズムで「Love Addict」が耳に入ってはこないでしょうか。

あるいは、このスネア入りの音を聴きながら、最初感じたリズムをとることはできますか(もし出来て、なおかつ「気持ちいい」と感じたら、それは新しい世界の第一歩かもしれません)。

この話、長引きそう⋯⋯

随分長々と話しましたが、このエントリで伝えたいことは、次のとおりです。

1つの楽曲の中で、1小節(キックとキックの間)を3つに割るリズムと、2つに割るリズムがある。

これ、文章で読むとそれほど「ガーンッ!」って感じじゃないんですが(笑)、2種類のリズムを交互に変えながら聴くと、その違いに驚かれるはずです。

実際、私はめちゃくちゃ驚き、そして今ではこの曲の解説を書こうとしているぐらいです(笑)。

---すこし疲れたので、続きはまた次に。まだクロスリズムの単語すら出てきませんでしたね(笑)。 久しぶりに長い記事になると思いますが、ゆっくりお付き合いいたければ幸いです。たまにブログをチェックして、「ああまだ更新されてないかー」とかやるのも楽しいと思いますので。

(※1)バラードのイメージがある彼女ですが、本質はダンスミュージックにこそあると思います。ただ、全て売れなかったんですよね(笑)。「Helpless Rain」は、2000年代のR&B;の筆頭として挙げても違和感の無い名作です。

(※2)いつか後述されることになりますが、実際にクロスリズムを利用したパートというのは僅かです。しかし、それでもなお、この楽曲のリズムは通常のJ-POPとはまったく異なります。 12年ぶりに、中島美嘉「Love Addict」をポリリズムの観点から再評価する(2)


はい、「Love Addict」をこねくり回しながら聴くシリーズ、第2回ですー。

前回はこちらから。この連載は、多分途中から見てもつまらないです。少なくとも140字でまとめられないタイプのヤツです。

まずは音源の再確認から。PV見ると、この頃の中島美嘉ヤバいですね。いまは橋本環奈さんや渡辺美優紀さんがメジャーなのでしょうか(先週までAKBの「みるきー」こと渡辺美優紀さんについて、本名が「渡辺みるき」なんだと勘違いしてました。コボリはモー娘。の飯窪さんとJuice=Juiceのさるきちゃん推し。どうでもいいですね)。

前回のおさらいと、「Love Addict」の聴きどころ

繰り返しになりますが、前回の話をもう一度。

ベース(ハイハット)が刻んでいる「4分の3拍子」に対して、ピアノ(スネア)の打点が少しおかしな位置にあるんじゃないか。 というのが前回のまとめです。

前回はイントロを使って話を進めましたが、サビも同様です。最後の「愛に狂う女は美しい」の部分は、スネア的なリズムの取り方ができます。 それで、「Love Addict」のカッコ良さのひとつに、このような パート内(サビ全体、Bメロ全体とか)でのリズムの切り替え があります。

この技法をもっとも気持ちよく使っているのは、サビ前でしょう。 上の音源に戻って、 「一瞬の儚いものに指令は下された」 の箇所を聴いてみてください。

(2:06あたりから)

それぞれのリズムに揃える

ここまで書いた時点で、すでに「 もしかすると前回のおさらいだけで終わるのでは⋯⋯」という予感が脳内に突き刺さっておりますが、あー、多分おさらいのみで第2回はクランクアップします(笑)。

とはいえ、単に冗長化を狙っている訳ではなりません。このあたりの話がめちゃくちゃ面白く、まだ一般化していないと思うので、なるべく丁寧にやりたいんですよね。

閑話休題。 さきほど挙げた「一瞬の儚いものに指令は下され」を、2種類のリズムごとに聴いてみます。(※1)

まずは4分の3拍子。ハイハットのみで合わせてみます。 [audio mp3=”http://koboriakira.com/wp-content/uploads/2015/10/1.mp3”][/audio]「一瞬の儚いものに」の箇所は、リズムがバシッと一致します。しかし、「指令は下され」のところでコケそうになりませんか。

では、逆に「指令は下され」のリズムに合わせて聴いてみましょう。スネアのリズムですね。3つのハイハットが詰まっていたところを、2個のスネアに変更しました。

[audio mp3=”http://koboriakira.com/wp-content/uploads/2015/10/2.mp3”][/audio]こちらは、「一瞬の儚いものに」がメチャクチャに感じる反面、「指令は下され」でビシッと揃います。伏線が回収されたような気持ちよさ(笑)。

2種類のリズムを切り替えてみる

現時点では難しいと思いますが(※2)、ここで2種類のリズムを切り替えることにチャレンジしてみましょう。

「一瞬の儚いものに」はハイハットで、「指令は下され」はスネアで、それぞれ刻むようにしてみますね。 [audio mp3=”http://koboriakira.com/wp-content/uploads/2015/10/3.mp3”][/audio]ガイドがあるので、なんとなく掴めると思います。切り替わる瞬間にガクッとなるかもしれませんが、いまは根性で乗り切ってみてください(笑)。

もしこの切り替えによって「楽曲の気持ちよさが格段に上がった!」とか「この音源を聴きながら机を叩いてるだけで30分経った!」なんて方がいらっしゃれば、最高です。

クロスリズムの導入と次回予告

この「難しさ」や「気持ちよさ」について、次回ではいよいよ <クロスリズム> を取り上げて説明してみたいと思います。

なるべく早く次回も書き上げますが(※3)、お待ちいただく時間ももったいないでしょうから、使用する音源だけ載せておきますね。

ガイドとして載せていたハイハットとスネアだけを取り出して、簡単なクロスリズムを組んでみました。 [audio mp3=”http://koboriakira.com/wp-content/uploads/2015/10/4.mp3”][/audio]次回はこの仕組みを書きます。 (※1)「下された」の「た」があまり発音されていないので、「た」を取って解説しています。

(※2)これは、「読者の方のリズム感が悪いから難しい」という意味ではありません。リズムを上手くとる方法をまだ書いてないだけです。 (※3)「早く知りたい!

もっと深く知りたい!」って場合は、菊地成孔がニコニコ動画でやっている「モダンポリリズム講義」を視聴するのがベストです。私のこの記事は、講義内容を身体化させるためのプラクティスのようなものですから。

12年ぶりに、中島美嘉「Love Addict」をポリリズムの観点から再評価する(3)


熱意はよく伝わるんだけど、自分の心に響きはしなかったなー。 という、まさしく「若者」のコメント。 [amazonjs asin=“4584124892”locale=“JP” title=“若者が社会を動かすために (ベスト新書)”] 本書は、 税所篤快さんによる最新作で、著者自身の経験と8人のインタビュー(と田村淳のとの対談)から、若者が社会を動かすために必要な要素を考える内容になっている。

『ゆとり世代の愛国心』を含めて、私が著者の書籍を読むのは2冊目(『ゆとり〜』は本人のFB告知が目に入り、応援の意味も含めて購入した)。今回は、親友が構成を担当していたこともあり、発売後にすぐ購入して読破した。

信頼できる人が構成をやっているので、読みやすさはあらかじめ保証しよう。 しかし、内容は賞賛と違和感の詰め合わせ、というところ。

感想

賞賛したあとに批判してしまうと批判しか残らないので、まず先に違和感のほうから。

「独り語り」に共感はできなかった

この本を最後まで読んで解決しなかった問題がある。それは、 「この本を誰に届けたいのか?」

ということだ。この疑問は、「はじめに」を読んだときから発生していた。 「おそらくこういう人に向けてるんだろうなあ」と感じた箇所があるのだが、

「なんでそんな無謀な挑戦を続けられるんですか?」僕にそう聞いてくる若者は少なくない。きっと彼らは「自分たちに社会を動かすことなんてできない」と思っている。
[⋯] 社会を大きく動かすために必要なことは何なのか。 月並みかもしれないが、僕は“人のつながり”だと思っている。
(税所篤敬『若者が社会を動かすために』、ベスト新書、2015年、5−6ページ。)

ここから、読者層は社会を動かすことを諦めている若者、あるいは、社会を動かしたいけれど行動に起こせない若者なのだろう、と推測した。

しかし、この推測を頭に入れて本書を読んでも、著者のメッセージをストレートに飲み込むことはできず、恥ずかしながら 「俺はこんなことを成し遂げたんだ!

今も最前線で俺は走っている!」 程度の読解に終わってしまった。

なぜ社会を変えなければいけないのか?

で、読み進めるうちに、ひとつの疑問が出てきた。 それは 「なぜ社会を変えなければいけないのか?」 という疑問だ。

僕も最初は足立区の教育を変えたくて、動き出した。生まれた場所を少しでもよくしたい、という思いが僕の活動の原点だったのだ。 (同、110ページ。)

上の熱意には理解ができる。でも、それ以上に「こっちが本音かな?」と思ったのは、下の箇所だった。

「夢中になれる何かをしたい」そんな僕を社会起業へと向かわせた原点には、二冊の本がある。 (同、19ページ。)
「一人前の男になってやる。世界に出て、修行をする」 僕は大学に入って最初に付き合っていた彼女に、突然別れを告げられた。本当に、突然のことだった。
男として、僕に何が足りなかったんだろう。もう二度とこんな思いはしたくない。さまざまな思いが去来する中で、一人前の男になるべく世界に出ることを決めた。
(同、24ページ。)

ここだけを引用するのは、なるほど卑怯かもしれない。しかし一方で、この箇所以上に、著者の熱意が伝わるものを私は見つけられなかった。

この疑問には、著者も(現時点で)明確な回答を持ちあわせていないのだと思う。もちろん、私もだ。

すべての人間は輝くべきなのか?

なぜこんなところに引っ掛かるかというと、著者が「世界を変える」ことに必要以上の正しさを置いていたり、「日本は〜、でも世界は〜」とよく耳にする論調に絡み取られているように感じたからだ。

根本的な批判をすれば、 著者の人間観は「世界を変える元気のある人/無理だと思っている疲れきった人」という二項対立に支えられている。

少なくとも、この本ではそのように読めてしまった。

いまの日本では、閉塞感を感じている若者、世界なんて変えられないと思っている若者は多いと思います。淳さんは、どうやったら世の中を変えられると考えていますか?
(同、250ページ。)

著者からすれば、私は「世界なんて変えられないと思っている若者」だ。そして、この分断はある種の怖さもある。

しかし、現代に生きる大人たちを見渡すと、“やりたいことをやって輝いている人”は悲しいほどに少ない。一度きりの人生なのに、どうして多くの人たちはやりたいことから離れていってしまうのだろうか。
(同、184ページ。)

上記の意見には、なるほど共感できる。 しかし、よくよく考えると、 「やりたいことをやって輝いている人」が少ないことは本当に悲しいことなのかな、とも思ってしまう(あまのじゃくの面倒臭さよ)。 このことを考えたとき、大学時代に受けた労働に関する授業で、教授のある印象的な台詞を思い出した。 曰く、

「ある決まった時間にこの教室の電灯を消す仕事があったとして、この仕事に従事する者を悪く言う権利は誰にも無い」

やりたいことをやって輝くのは勝手だ。輝くためにやりたいことを探すのも勝手だ。でも、やりたくないことをやって輝いていない人も必ず存在するし、その生き方が決して悲しいとは誰にも断言できない。

結局のところ、このあたりの価値観が自分にとっては大きな違和感を生み、今でも上手く消化できないポイントであった。

「発言集」としては名著

少々長くなってしまった。 批判だけで終わらすにはもったいない書籍なので(上の批判は、いわゆる穿った見方だ)、きちんと面白かったところも残しておきたい。

それは、著者が自身の体験(まさしく「つながり」)の中で得た、 先輩や友人の言葉 だ。拾い読みではアツさは伝わらないと思うが、いくつか拾ってみよう。

破壊的なことを外でやればやるほど日本に創造的な影響を与えられる。時代はあなたが体現したエネルギーを失っているんだよ。[⋯]君は日本人のレベルを超えた挑戦ができるステージにいるんだ。20年挑戦し続けられたら、あなたの勝ちだ。
(同、55ページ。)
はじめに描いたビジネスモデルがうまくいく例なんてほとんどない。みんなやりながら変えていきながら、生き残っていくんだ。みんなアイデアだけの空中戦になってはいけない。一番大事なのは小さくはじめること。小さくていいから成功モデルをつくることだ。
(同、92ページ。)
僕は、彼らが不利益を被っていることに憤りを覚えました。その憤りは社会に向けたものであり、いままで気づけなかった自分に向けたものでもあります。
(同、192ページ。)

他にも、著者が関わる先輩や友人の言葉から、その生き方や考え方を伺うことができた。

著者批判にならないと思うので書くが(これも狙いの一つだと思うから)、著者以上に強い関心を持った人物もたくさんいる。 とくに、インタビュー集の中でも大木洵人 氏との対談は、この本のハイライトだ(3つめの引用はそれから)。

もし立ち読みをするなら、ここを読んでみてほしい。本書の魅力は、このあたりに詰まっていると感じた。


いろいろと書いたが、裏を返せば、それぐらい私たちにとっては他人事のようで実は自分事の話なのだ。

同年代なら、共感や啓発、批判や嫌悪、すべてを含めて、この本を出発点に自身について様々に考えることができると思う。

目次

  1. つながりが社会を動かす1. ゼロからプロジェクトを立ち上げるために2. ビジネスモデルを生み出すために3. 世界にプロジェクトを広げるために4. タフな環境で闘うために5. 変革を起こすために2. 社会を動かす若者たち