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4月からの保育園の準備をちゃんと確認して驚愕する。とうとう「縫い物」が必要だとわかってしまった。昼寝用のマットにかぶせるバスタオルに平ゴムを縫い付けるらしい。

別に上記自体は構わないのだが(直前だから焦るけれど)、これからもしかして謎の巾着みたいなやつとかゼッケンとかも縫わないといけないのか? と思ったら途方もないガッカリ感に襲われてしまった。モチベーションのないものづくりは、拷問より苦痛に近い。愛情でなんとかなるか…? それかむしろ楽しむ方向に持っていくか…?


仕事の開発はけっこういい感じ。テストを書くことに慣れてきた感じがして、それこそ「途方もなさ」のようなものがかなり軽減された気がする。「とりあえず無視して実装しよう」ではなく「とりあえず書いておこう」を優先できている感覚。

またこのタイミングでデザインパターンを覚えたいなと思い、ちょうどセールになってた『Java言語で学ぶデザインパターン入門第3版』を購入。適宜読みながら利用してみようかな。

個人開発はtwikitを利用したTwitterのスクレイピングを完成。これで原宿ぽむ選手のツイートもNotionにクリップできるようになった! 「あのツイートをもう一回見たい!」となったらNotionを漁ればよくなる。

「一元化したい」って人間の根源的な欲求なのではと思うぐらい、インプットした情報をNotionに転記している。コレクション欲みたいなのと同じなんだろうな。


子どもが野菜を食べないことが、そのまま自身の食生活にも響いている。いつも夕食が茶色い! これも思い出になるかもね。


以前書いた通り、副業の話がほぼ締結しそうで、ちょっと前貸しでシラバスを検討している。

シラバスつまり「私が差し出せるもの/あなたが受け取るべきもの」をリストアップするときは、その人の性格がかなり浮き彫りになる瞬間だと思う。半数はそもそも考えたことがないだろう。残りの半数の大多数は、ありったけを差し出し、それをすべて持ち帰ることを予定しているだろう。そして残った一部は、わずかほどの小さな原石を持ち帰ってくれる可能性に賭けているだろう。優劣はつけない。

私がなにか授業のようなものをやるとき、とにかくまず最初に「なんか楽しい」が念頭にある。これは上記の性格とも関連するのだけれど、何も持ち帰らない(持ち帰っている間に落とす)人のほうが大半だという信念があるので、授業しか結果「もう〜の分野に関わるのは辞めよう」と思われるようなことだけは避けている。

すくなくとも受験勉強が終わったあと、さらに勉強ごとで「おちこぼれ」みたいなことをやる必要はないだろう。そして本当に勉強したい人は勝手にする。これらを合わせると、自分のスタイルはいつも「参加者のナレッジ・スキルの最低値に合わせつつ、最上の参加者がシラけないような面白いコンテンツを提供する」みたいな感じになる。きっと今回もそうだるだろう。


夜はさんかく屋根のお家へようこそ!の配信。


深夜に「和階堂真の事件簿」を1話やってから就寝。あまりにまっすぐ進みすぎて「え?」って感じはあるけれど、全体的には好きなパターンで楽しい。このパターンだったら後半(というかラスト)にもっと大きな裏切りが欲しいなと思いつつ、次の話を楽しみにしている。


今年度でいま通っている保育園は卒園となるため、次の保育園に入るための持ち物の準備をする。とうとうリュックと上履きを用意した。これまでずっと手ぶらだったから、リュックなんて背負えるのか? って感じ。

あと枕のコーナーを通ったら、思いのほか興味を示してくれたので本人用の枕も購入。そういえば先月頃からくっつかなくても寝るようになってきたな…。寂しさはあるのだけれど、体力的には本当にありがたい。週に何度かある蹴りを入れてくることがなくなれば完璧だ。


[ビジネスロジックを「型」で表現するOOPのための関数型DDD / Functional And Type-Safe DDD for OOP - Speaker Deck](https://speakerdeck.com/yuitosato/functional-and-type-safe-ddd-for-oop)が相当良くて、あとで読み直しながら個人開発に活かす予定。DDDまわりについて理解度というか納得度が深まってきている感じがする。久々にブレークスルーに近い気持ちよさがある。

個人開発は、よくクリップするサイトをNotionに正しく紐づけるようなことを進めている。AIでやってもいいレベルのことを手動でやってるのがちょっとアレだけど、詳細な処理でAIを利用するほうが上手くいくかもなというのが今の印象。極端に大雑把か極端に詳細かが良い、という感じだろうか。

AWS SOAの学習は、グローバルリソースに関することとS3の基礎知識の学び直し。


かみーゆBD

2024/03/23

3月21日。ひさびさに開発をガッツリやっている週で疲れながらも楽しい。会社の利益になっているのか知らないけど、これで一生暮らせるなら退職なんてしないだろうなと感じる。

仕事後、はじめて「ワンダバ」に飲みに行き、戦隊モノやライダーシリーズの話を聞いてきた。シンプルに「何が好きすぎる」人の話は面白い。私はアニメ・マンガ・乗り物は苦手だけれど、それ以外のマニアは全員好きかもしれない。「戦隊シリーズ順番に言えたりするんですか?」と酔った勢いで大変失礼をしてしまった。完璧に詠唱され、さらに畏怖の念を抱いた。

そのあとはもはやいつも通りというか、bar tで談笑。本当に「談笑」という感じで、いろんな話をしたりしてもらったりする。ブレッド&バターの「特別な気持ちで」を聴かせてもらって、それは「I Just Called To Say I Love You」のカバーではなく、むしろスティービーのセルカカバーみたいな話は覚えておかないと。(←の理解は違っているようで、正確には心の愛 - Wikipediaを参照)

こっちでも「西友でディスコがかかっている」話をして楽しくなってしまった。この話題で盛り上がれるかどうかは、私が(ミュージックバーで)楽しく飲めるかどうかの基準のひとつだ。「はあ…?」っていう人が大多数だろう。


今日。個人開発を済ませたあと、ついに上福ゆき選手のバースデイイベントに参加してしまった。

「バースデイイベント行く人ってすごい熱意だよな…」とつい最近まで思っていた自分も「こっち側」の人間だ(もちろん私はただ敷居をまたいだだけで、その先にはまだまだディープなエリアがある)。昔からのファンが集まっているだろうからちょっとだけ参加を迷っていたのだけれど、なんというか、まあ色々考えた結果「今行くしかない」と思って、きちんと予約をした。

以前のトークイベントで「間近でかみーゆを見る」ということには少し慣れたと思ったけれど、2,3杯飲んでいるところですっかり酔いが回ってしまった。忘れたくない(オフレコなので記録できない)話が多かったと思うけれど、ちゃーんと忘れた気がする。

上福選手の魅力は、ご本人がプロデュースする「美しさ」や「自分らしさ」がその大半だが、私が思うに本質は「見え隠れする内面」にあると思う。その内面の「さらけ出している感」と「さらけ出ている感」のバランス、さらにはそのバランスすら俯瞰して観ていることの複雑な関係。ナルシストに表現するならば、とても近いものを感じる。だから共感するし、自分を投影して応援してしまう。



/2024/03/20/

2024/03/20

一日中個人開発に熱中していた。テストを充実させつつ、実装をガシガシ書きまくった。

AWS SOAの学習も再開。VPN接続まわりについて少しイメージができた。というかテストの受験日程をはやく決めないと。覚えている間に合格してしまいたい。


仕事はひさびさにコーディングをガッツリ。ペアであーだこーだ言いながらやるのは楽しい。相手がベテランならなおさらだ。お互いにPHPの書き方を忘れていて、2,3割は書き間違いを直していたような気もする。

「学習用テスト」の発想をちょっと取り入れてみて、微妙に本質を取り違えているのだけれど、とりあえずの動作確認に使ってみたりした。そのなかでライブラリの謎仕様も見つかったりして良い感じ。なんというか、これまでテストをあまりに頭でっかちに考えていたような気がしてきた。


夜に個人開発をガッツリやる。最近個人開発が楽しい。上記のように、またひとつ上のステップに行けているような気がするからだ。

そんな感じで「成長」しているのは楽しいのだけれど、最近は「(右肩上がりの、というような意味合いを込めた)成長」からすこし距離を取りはじめている。「学習」は好きだし死ぬまで続けるべきだが「成長」はどこかで諦めるべき、というか「成長しなくてはいけない」という言説に巻き込まれないようにすべきだ、と感じている。サバンナ八木は「人生はどう下るかが大事だ」と説いている。笑いながら聞いていたけど、これは本質だと思う。明日がもーっと楽しくなれば最高だが、ならなくたってそれは最低の第一歩ではまったくない。


原宿ぽむ選手のぽむちゅーぶが久しぶりにあって良かった。明日はアプガプロレスのイベントだけど行けなくて残念。