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推しは偉大だ。齢35にして知るとは思わなかった。

寝かしつけで寝落ちしてしまい、汚い居間を思い出しながら「もうこのまま寝てしまおうか」と思ったが、ちょうど原宿ぽむ選手の #ぽすぺ が始まったことを知って飛び起きる。

せっかく聞くならば何かしようと思い、ぽむちゃんの喋る残り45分程度の間に残っていた家事をフル稼働で全部終わらせることにした。他のおもちゃと分別しながら散らかったニューブロックを箱に入れるタスクを中心に、ちょっと気力のいる作業をやることができた。

こんまり曰く「ときめき」が重要だが、モノに対するときめきだけでなく、ヒトに対するときめきもキレイな部屋の維持に重要かもしれない。

仕事はAI関連のプロジェクトで自身に白羽の矢が立つ。内容はともかく、いい感じの流れになってきて個人的にはニヤニヤ。なにかしらのポジションに座るのはメリットが大きいことを経験的に知っているからだ。


ブログを書かないうちに、どんどんと時間が進んでいる。

子どもの寝かしつけといっしょに寝る(寝てしまう)のが日常になってしまい、ブログを書く時間が欠落していた。今日はたまたま夜更かししているけど、これが日常にはならないだろう。頑張って日中にブログを書いておかないとなー。絶対に無理そう。

ちょっとブログをサボっている間に、子どもは驚くぐらい変化している。最近はまたニューブロックを500個ほど買い足した。それを使って近代美術のようなものを作っている(動画を観ながらなので著作権はない)。あとは以前よりポケモンにハマっている。飲み屋で譲ってもらったポケモンカードを小出しにしながら渡すつもりなのだけれど、今日だけでもすごい感動していた。「ミュウツーは出るの?」と聞いていたので、もう射幸心を煽られる年になってそうだ。


GW最終日の5.6に開催された東京女子プロレスの「YES WONDERLAND ’24」は、とんでもなかった。一言で言えば、メインイベントの渡辺未詩中島翔子は、東京女子プロレスの2024年のベストバウトだ。ワンノブゼムじゃない。もうこれを超える試合は出ないだろう、と言い切ってもいいぐらい(それを裏切ってくれー!)。

二人の試合はグラウンドから始まったが、本当に久しぶりに「これだけずっとやってほしい」と思えるぐらい美しいグラウンドの攻防だった。じわじわと盛り上げながら気付いたら最高潮に達していた。中島選手の動きはどこを切り取っても美しかったし、最後にそれをたった一度のレーザービームですべて壊した未詩選手のパワーに驚愕した。

第1試合の鈴木志乃対凍雅は、志乃選手の初勝利という劇的な展開。鈴木志乃はとてもつもない才能の塊だと思う。彼女は未勝利ながらサクセスストーリーを自ら作り上げ、それを着実に進めている。この初勝利をきっかけに、この年のさらなる展開が楽しみになった。


5.12は、角田奈穂選手の舞台「権乱業火3」を観に中野ザ・ポケットへ。このときの角田選手は「選手」でなく女優だった。正直に告白すると、劇の内容はあまり面白いものではなかった(シリーズものであることと、まだ続く可能性を残したことから、まあ今回だけで満足するのは難しいのかもしれない)。ただそんなことはどうでもいい。脚本だけが全てではない。今回ははじめて「一人の女優の活躍を観に行く」という経験となったが、そういう観点で見るととても楽しかった。角田さんが出てくるたびに「わー!」となったりして、周りにいた俳優のファンたちの気持ちをまっすぐ共感するようになった。

大井町に戻ってきたあとはLOTIでたらふく飲み食いして(はじめて1次会からスタートできた。本当に最高。ここを超えるバルってある?)、はじめてハードロックのバーに行ってきた。マスターはレコーディングエンジニアだったようで「なぜ(当時の)日本のレコーディングはダメか」を1時間ぐらいかけて教えてもらった。「あー、そういう老害のやつね」と思うことなかれ。本当に勉強になる時間だった。なぜ自分がこれまでミックスした音源が微妙だったのかもよくわかったし、もう一度ちゃんと踊れる曲を作りたくなった。

ちなみにリファレンスにはアース・ウインド&ファイアーの「Let’s Groove」とマドンナの(曲名忘れた)を使っているようで、その理由もふくめてめちゃくちゃ面白かった。時間が来てしまったので残念ながら退室。2杯飲んで1000円だったので、またすぐ行くことを決意。


今日は、5.11に大阪で開催された「TJPW LIVE TOUR 2024 SPRING」を配信で視聴。とにかく高見汐珠が素晴らしい。主人公じゃん。単なるロリータではない。もちろん上福ゆきらくの両選手が素晴らしいのだけれど、その力をうばって自分の魅力に変えてしまうところが素晴らしい。すべての視線を自分に集める力があるように見える。というかかみーゆとうたちゃんのコンビ、もしくは対戦は今後もずっと名勝負になるような気がする。

そして大阪の原宿ぽむ選手は、あいかわらず素晴らしかった。プロレスである以上「昨日より強くなる」ことは正義だと思うのだけれど、彼女はそれ以上に「今日を楽しくする」ことに焦点を置いているように感じる。ゆえに勝利を得られないことがファンとしてはもどかしいが、そんなことは短期的なフラストレーションだ。いつかの勝利でいくらお釣りを貰っても足りないぐらいの感動をもらう予定になっている。


WRESTLE MAGIC

2024/05/04

昨晩もatticbar tを巡回。

編曲家の船山基紀のファンがいて、その編曲縛りの選曲。大変素晴らしい時間だった。知らない曲をたくさん聴いたと思う。この2曲は相当に良かった。

あとははじめてゴスペラーズがTodd Rundgrenの「A DREAM GOES ON FOREVER」をカバーしていることを他人に話せた。そのお客さんとはLINEも交換したりして、フリーソウルの話をしたりした。

そのあとnext doorで黙ったり喋ったり。天然素材のファンだった方の話を聴きながらメーカーズマークのダブルバレル?(カスクストレングスだった)をいただく。めちゃくちゃ美味しくてビックリした。酔ってないときにちゃんと飲んでみよう。


今日は子どもと公園で遊んだりしつつ、空き時間はほぼプロレスの中継に使う。

「WRESTLE MAGIC」はもちろん楽しかったのだけれど、やっぱり「NOAHにとっての」魔法であることは感じてしまい、いまいち最後まで盛り上がりきらずに終わってしまった。これが通常のビッグマッチだったらとんでもなかったのだけれど、PPVで買ってまで観るべきだったかというとちょっと疑問。

ただそれでもスターダムを蹴ってマリーゴールドへ旅立ったレスラーたちの覚悟のようなものは感じ取れたのが良かった。とくに桜井まい=桜井麻衣=貴婦人は、なぜだかとても注目してしまうというか、共感を強く覚えてしまう。貴婦人マイクは引き継げるようでとても安心した。あとMIRAIもスターダム以上に輝いてなかった? 団体移動の多い彼女だし、東京女子ファンとしては複雑な気持ちも多少はあるけれど、まちがいなくより輝ける場所を選び取っているような気がする。



仕事はアイモカワラズ順調。

「順調」というのはポジティブな意味合いの言葉だけれど、かならずしも良い側面だけではない。そのうち半分くらいは「昨日の自分から変化がない」みたいなニュアンスを含んでいるからだ。

おなじみ「成長しなくてはいけないのか? 必ずしもそうではないだろう」という反論が出てくるけれど、単純に「面白さ」の観点だけで言うと面白くはないだろう。大変であれば快適を求めるし、快適であれば大変を求める。適切にコントロールされた大変さ、を少し超えたように錯覚できるような大変さが求められる。キッザニアみたいな世界になっちゃうけどさ。

一方で個人開発のほうは、なんかすこしブレークスルーがあった。「代数的データ型」について少し理解と納得が進んだからだ。

継承の弱点を考えてみると、それは「継承先がなにかわからない」点にある。抽象的なTaskクラスがあったとして、ToDoTaskクラスとCompleteTaskクラス以外にもあるのか? みたいな(実際にある)。これを型のUnionとして表現できるようになれば、たしかにパターン分けなどは楽になるし、そのほかのメリットもありそうだ。

どうやら上記の関係を直積と直和と表現するらしい。今度ちゃんと勉強しなおしてみようかな。

朝のうちにちょっとした片付けは完了していたので、寝室や浴室の掃除を少しだけ手掛ける。やることをリストアップしながらひとつずつ潰していけば、それぞれ20分ほどで終わる。なぜこれまでやらなかったのだろう。死ぬ直前になって「やりたいことリスト」みたいなのを書いたとしても、いざやったら5日間ぐらいで終わりそうだ。

ほうじ茶のチーズケーキを前から作りたくて、いよいよチャレンジ。これも実質30分ぐらいで終わった。久しぶりに「前を向いて、やりたいことから手をつけよう!」みたいな時期が訪れている。

「意識の高い」みたいな表現を最近聞かなくなったけど、ああいう形容詞はある人間に永続的に係る言葉ではない。むしろ「状態異常」や「バフ」のようなものであって、たまたまそういう時期が訪れているのだと理解したほうがよい。意識の高いモードになったら意識の高いことをすればよいし、世の中を恨むモードになったら徹底的に恨めばいい。人間の連続性なんてそんなものだという感覚がある(いまはニヒリズムか?)。


GWの中日で、子どもは保育園に行くモチベーションを失ったらしく(お腹の調子が悪かったのも原因のひとつだと思う)、なかなか引き渡しが大変だった。以前の小規模保育園だと先生がつきっきりで引き渡せるのだけれど、通常の保育園だとそういう特別扱いは当然なく、さりげなく放置して逃げるようにして帰ってきた。

仕事はコーディングをたくさん。E2Eテストのシナリオを作成したうえで、それを満たすようにコーディングしていく。

ところまではよかったのだが、既存の実装に手を加えるところで迷う。「修正する」だけなら簡単だ。ただ「どの程度のキレイさを保つか」は、開発者によって様々だと思う。たとえば1000行ある既存コードを1200行にしたとき「まあそんなもんだよ」と思えるか「悪事に手を染めてしまった」と感じるか。さらには自己評価と他者評価がある。つまるところコミュニケーションやマネジメント(リクスマネジメント)の領域に足を踏み入れている。

コーディングそれ自体は麻薬のようなもので、ただやってるだけで快感である。だからときおり「この行動は成果につながっているか」を確認してやらないといけない。それすら「うるせぇ楽しいからいいんだ」となるから怖い。

遅ればせながらDMM TVの無料期間をつかって『大脱出』を視聴。ただただ画力の強さで笑う。絶対にこんな仕事はできない。でもつらい目に合いながらも仲間意識で笑っている芸人たちを心から羨ましく思う。友情とは土に埋まらないと生まれないのか。


午後から仕事。コードを書きながら、いろいろと考える。当たり前か。それが仕事だもんな。

コードを書くのは楽しい。一方で(わかりきっている)テストを書くのは、クリエイティビティに欠ける。極端な話「だれでもできる」と感じるときがあるのだ。

しかし最近思うのは、クリエイティビティのない作業においても重要性を理解して先んじてやってこそプロなんだな、とあらためて思う。まったく自慢したりはできないけど、確実に質は高くなるし、個人としての満足度は高い。不足している要素は、口八丁でどうにかなるし。

最近「部屋を片付ける」だけで30分ぐらいかかっている。キレイにするのではなく、足の踏み場がない状態や心がザワつく状態から復旧するだけでこの時間だ。もし一人暮らしだったら、おそらく半分ぐらいのものを勢いで捨てていたであろう。

ミニマリストって「落ち着きのある人」とか「スローライフを生きる人」ってイメージが強いが、私が思うにその実態は「衝動的にものを捨てたくなって、我慢できなかった」とか「ものがあることに耐えられなくなった」とか「少しでもものがあると際限なく増えてしまうことを恐れている」とか、もっとネガティブな要素が強いはずだ。すくなくとも私は20年後ぐらいにそうなるだろう。

朝から子どもを連れてプラレール博へ。朝早かった(といっても8時起き)ので、子どもを起こすも「やだ行きたくない!」と二度寝を敢行しようとしていた。しかし会場に到着した瞬間、そんな思い出はもう存在しなかったであろう。

去年のトミカ博と比べると、すこし大きくなったからか、より楽しんでるような感じだった。尿意をひたすら我慢して、ずっとプラレールを観たりしていた。地下には常設のトーマスのストアもあって、そっちでもトーマスに乗ったりして遊んできた。

会場は池袋のサンシャインシティだったのだけれど、本当に15年ぶりぐらいに行った気がする。動く歩道があったことすら忘れていて、ちょっと泣きそうなぐらい懐かしかった。ポケモンセンター?もあたらしく出来ていて、ちょうどポケモンにハマった子どもはピカチュウのぬいぐるみを相当欲しがっていた。

原宿ぽむ=ぽむちゃんがオススメしていた「KOI Thé」にどうしても行ってみたくて、子どもを抱っこしながらお店まで。もうタピオカじゃなくてタロイモの商品も出ていて驚く。タロイモ入りのほうじ茶ミルクティーを飲む。