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DJ、とくにJ-POP専門のDJにとって、「選曲」は最も重要な要素のひとつです。(※1)

もし、あなたが初めてDJブースに立ち、「何か流せ」と言われたらどうするでしょう。

あなたはとりあえず「自分の好きな曲を、好きな順にかける」ことにしました。これでお客が盛り上がれば、フロアもあなたも皆が幸せです。

実際、これで盛り上がる現場もたくさんありますが、2,3度DJをした方であれば、この方法が通用しないフロアがあることもご存知でしょう。

では、どのように選曲を行えばよいのでしょうか。


というわけで、この記事では、J-POPにおける「選曲」の方法について、ちょっと真面目に考えてみました。 さきに結論を出すと、

「選曲」をするためには<繋がり>を生み出すことが大事だと考えています。

つまり、ある曲とある曲の間に関連性があれば選曲として機能する、というのが要点です。

以下では、<繋がり>を生み出すための3種類の方法を考えてみようと思います。

(※1)主にPCDJの普及によるテクニカル面の重要性が小さく見積もられたことは、これをさらに推し進めることになりました。言い換えれば、機材のおかげでDJingが出来る現在、自身をDJと定義するための材料が選曲だけの人もいるはずです。

本題に入る前に

とはいえ、「お前、とうとうここの話をしてしまうのか。バッシングに耐える覚悟はあるのだな?」って感じもしています(笑)。

というのは、「選曲はDJのセンスに直結している」、つまり、選曲を褒める/否定することは全人格を褒める/否定することに繋がる、という考え方があるからです。この前提があると、講釈垂れる奴が出るたびに「センス無いお前が言ってんじゃねーよ」っていうツッコミが入ります。

自分にセンスがあるかないかは実際にミックスを聴いてもらうとして(※2)、上のようなツッコミを受け入れていると、この記事はここで「投稿」ボタンを押すことになります(笑)。

というわけで、常識のある方には余計なお世話をとらせて申し訳ないですが、以下の内容はそういった暗黙知的なものをできる限り言葉に直したものであり、DJスキルを理論的に統合している訳ではないことをご承知ください。

とはいえ! 充分に面白いとは思います!(笑) (※2)mixcloudなどで聴けます。「おしゃべりオムライス」の12分頃からあたりは、PCDJの面白さがあると思いますのでご興味あればぜひ。

「おしゃべりオムライス」最終回 DJMIX by コボリアキラ

by Akira Kobori

on Mixcloud

ミックスして違和感のないものを選ぶ

選曲の成功を決めるのは<繋がり>を生み出せているかどうか、というのが全体的な結論です。それでは、具体的にどのように行えばよいでしょうか。

まず浮かぶのは、実際に ミックスされるお互いの曲に繋がりを持たせる ことです。この方法は、DJの一番基本的な考え方だと思います。

リズムの一致しているものを選ぶ

DJはお客に「ダンス」させることが第一の目的であり、まずはリズムを崩さないことが特に重要です。

これは選曲でも同じです。いま流れている曲のドラムパターンやハネ感に似ている曲を選んでいけばDJっぽくなるというか、少なくとも現在のiTunesのランダムプレイには勝てます(笑)。

ドラムパターンは色々とありますが、とくに キックとスネアに注意します。

キックやスネアの位置があまりに異なると、ミックス中の違和感が強くなるからです。また、キックが並ぶ「4つ打ち」はワイルドカード的というか、結構いろんなものに合わせられると思います<span class=“note”>(※3)。

「ハネ感」に関していえば、J-POPではヨレたビートのドラムを使うことは少ないので、それほど気にしなくても上手くいくかもしれません。16ビートのいわゆる「裏の裏」の位置を基準に考えれば完璧でしょう。。

ちなみに、同じジャンルの曲がハマりやすいのは、こういったリズムが一致することが多いからですね。

音色の一致しているものを選ぶ

リズムがまあまあ一致している、あるいはあまり一致していないとすれば、次に揃えてみたいのは「音色」です。つまり、ピアノやギターなどですね。J-POPにおいてザックリ言い換えれば、

「バンドか打ち込みか?」 ってことです。

音色の違いは、場合によってはリズムよりも強い違和感を生み出すことがあります。たとえば、きゃりーぱみゅぱみゅからギターロックに繋げようとすると、どうしても「音色的な有り得なさ」みたいなのが勝ってしまいます。うまく使えば面白くなりますが、やはり「ミックスしやすい」とは言えません。

個人的には、 とくにエレキギターに注意しています。

大体アンバランスなミックスになるときは、ギターが邪魔をしています(楽曲のミックスダウンもギターがキモになることが多いですよね)。ロックDJならギター同士をぶつけて無理矢理推し進める手もありますが、自分はなるべくミックスする曲の片方はギターレスな箇所を使うようにしています。

リズム、音色のズレを無視した繋ぎ方(カットイン、ブレイク)

最後に、上記2つとは異なるパターンを紹介したいと思います。 「カットイン」 と呼ばれるテクニックです。A曲からB曲に一瞬でチェンジ!

ってやつですね。 すでに紹介した2つは、2曲が同時にミックスされることを想定していました。なのでリズムや音色にズレがあると違和感を生み出してしまいます。

その点でカットインは心配はありません。普通にミックスするよりは大胆なアプローチが可能になるはずです。

私はPCDJを使っているのでカットインというよりも「ブレイク(切れ目)」がある曲のミックスで、カットイン的な効果を出すことがあります。

たとえば、川本真琴「1/2」の2番目のサビ後はこのパターンです。 サビで盛り上がって盛り上がって、一気に音数が減る!

ので、このあとには静かなイントロから始まる曲をかけたり、ボーカルから始まる曲を使ったりすることができます<span class=“note”>(※4)。

<span class=“note”>(※3)4つ打ちの魔力というか、どんなものも均等なキックの上ではひとつになる感じがしています。一方で、4つ打ちから別のドラムパターンに移行するのが不自然かどうかは、人それぞれでしょうか。自分はちょっと違和感あるので、8ビートに戻すときはディスコ調の曲を挟んで4つ打ち感を弱めることが多いかも。

<span class=“note”>(※4)自分は「1/2」のあとにセカオワの「Dragon Night」をかけたりしたことがあります。ダダスベった#8943;⋯かな。

文脈が浮かんでくるものを選ぶ

というわけで、お互いの曲のサウンド面に注目したミックスを紹介させてもらいました。とはいえ、他のDJのプレイを聴くと、どうもそれだけでは無い気がします。

それは、もしかすると お互いの曲のバックグラウンド、つまり「文脈」のようなもので繋がれてはいないでしょうか。 たとえばこんなパターンです。

グループ化してみる

ジャンルや曲調が異なっていたとしても、そこに何らかの繋がりが見つられる場合、それらはひとつのグループの中にある、と考えられます。

たとえば、最も単純なものとしては「同じアーティストが歌っている」などです。他にも、同じレーベル・レコード会社から発売されているものもありますよね。

他にも、同じドラマやアニメ、映画で使われている曲であったり、同じテーマ(たとえばクリスマスとか)で作られている曲をまとめてみる方法もあります。

マニアックなものとしては、「逮捕歴がある」とか「みんな離婚している」とか(笑)、知っている人は「あっ⋯⋯、もしかして!」と気付くようなグループ化もできますね。

J-POPイベントの中には、こういったグループ化=「縛り」を課したイベントもあります。ミックスの中で、そのような縛りを一部出してみるのも面白いかもしれません。

歴史をたどる

グループ化が横軸的なまとめ方だとすれば、縦軸的なまとめ方、つまり 時間軸による繋がり も重要でしょうか。

例としては、J-POPではあまり見られませんが、たとえばヒップホップをかけた次にオリジナルソース(原曲)をかける、などです。

J-POPの選曲に応用するならば、今かけてる アーティストや曲の影響元(リスペクト)を辿ってみる、というのはアリでしょう。私の場合は、久保田利伸とかにたどり着きます(笑)。

また、同年代が集まるイベントであれば、個人史を反映した選曲も考えてみてもいいかもしれません。自分の聴いていた曲は、同じ頃にお客さんが聴いていたかもしれないからです。

たとえば、高校生だった頃の曲からはじめてみて、少しずつ昔に遡っていき、小学校の高学年頃まで振り返ったことがあります。退行しながら盛り上がっていく、って感じですよね。

フロアの定番曲から考える

縦横の軸から文脈を探ってみましたが、それならば「いまここ」にも注目してみます。つまり、あなたがDJブースから見渡している、そのフロアです。

フロアには独自の空気があります。その空気を読むことができれば、さらなる多種多様な選曲ができるはずです。

具体的には、フロアでよくかかるアーティストや定番曲など。これが掴めれば、その曲を始点として、あとは上述の選曲の中から適切なものを試すことができます。

他のDJを参考することも、この部類に入るでしょうか。フロアにいるDJは等しくヒントを与えてくれます。他のDJのプレイ中にフロアで踊る人のDJingが好きなのも、踊りながらフロアの雰囲気を察知しているからかもしれません。

知名度の高低差に注意して選ぶ

というわけで、まとめてしまえば「楽曲内の情報(=サウンド)と楽曲外の情報(=文脈)を考えるのが選曲だ!」となります。こう聞くと当たり前ですかね(笑)。でも、楽しんでもらえていれば幸いです。

最後に、後者の文脈による繋がりにおいて、とくにJ-POPで起こりがちな、気をつけたいことを書いておきます。

「バカ曲(超有名曲)」から「マイナー曲」への繋ぎには注意する

それはたとえば、 鈴木あみの「Be Together」をかけた後は注意しようぜ!

という話です(笑)。どんな話だよ、ってツッコミが入りそうですが#8943;⋯。

つまり、めちゃくちゃ有名な曲(個人的に、愛をこめて「バカ曲」と呼んでいます)の次曲は重要になることが多い、ということです。

というのは、「バカ曲」をかけると、フロアが一気に沸き立つことがあります。DJにとってはこの上ない瞬間ではありますが、ハイリターンにはハイリスクがつきもので(スベるのもリスクの一つ)、このあとの盛り上がりをどうコントロールすればいいか、意外に迷うんですよね。

もっとも危険な選択は、マイナー曲を次に流すことです。選曲がバチッとハマれば最高なのですが、諸刃の剣のようなもので、私は現場でやることは少ないです。

かといって、同じようにバカ曲をかけ続けるのも実は落とし穴があります。第一に永遠にピークタイムを続けることは不可能ですし、第二に続いたとすればそれはもはやピークではありません。

あまり煮詰められていないので、「バカ曲を流すタイミングに注意しよう」という話でお茶を濁してしまうのですが、仮に流す場合はその後の流れもちょっとイメージしておいてから流すといいかな、と思っています。

おわりに

以上が、繋がりを生み出す選曲について、自分が考えたことの暫定版です。

繰り返しになりますが、今回紹介した3つのパターンはあくまで個人的経験をまとめたもので、すべての選曲技術を統合したものではありません。もしこれが全てであれば、このアルゴリズムを実装したiTunesにDJさせればいい話です(実際そういう流れもあるんですが・笑)。

選曲は、おそらく、入念な準備と一瞬の閃きです。その「入念な準備」ないしは「一瞬の閃き」のためのヘルパーとして、この記事が参考になれば幸いです。

素敵な選曲ライフを!


M-1の準々決勝が終わり、来週19日はいよいよ準決勝です。

先日、そのメンツが発表されたのですが、東京の準々決勝を生で見ていると(※その感想については、『M-1グランプリ2015』が突きつけられた、たった1つの問いをご参照ください)、嬉しさや驚きなどが何倍にもなりますね。

こうなると、当然ながら「誰が決勝に進むのか?」というのが話題になります。「大好きな○○には一度でいいから決勝の舞台に立ってほしい」とか「あのネタにさえ決めれば絶対に決勝までいける」とか、好事家の話は止まりません。

で、私も私なりにこれを考えてみます。ただし、ネタに関する話はすべて封印して、この大会唯一の特徴をもとに考えます。 その特徴とは、

今大会は「結成15年以内」のコンビなら参加できる、というルールです。これまでは「10年以内」でした(※これは、優しさは失敗のもと―2015年のM-1は成功するか?をご覧ください。結構書いているんですよね・笑)。

「結成10年以上」が、半数いるという実情

まずは、準決勝に進んだ27組のうち、「結成10年以上15年以内」のコンビを調べてみました。ザッと挙げると、

かまいたち、チーモンチョーチュウ、スーパーマラドーナ、とろサーモン、東京ダイナマイト、ナイツ、POISON GIRL BAND、タイムマシーン3号、天竺鼠、ダイアン、ジャルジャル、トレンディエンジェル、囲碁将棋。 というわけで、 27組中13組があてはまります。これを「ベテラン勢がやりすぎ」もしくは「若手が健闘した」と捉えるかは自由です。

もう少し条件を細かく設定してみましょうか。たとえば、この中で「M-1に出場経験があるコンビ」は6組、「M-1またはTHE MANZAIに出場経験があるコンビ」は10組います(かまいたち、とろサーモン、天竺鼠を除いた全組)。 そして、今回の決勝は、

この10組がどれくらい食い込んでくるか。 それがすごい重要になると予想しています。

似たような問いになりますが、彼ら10組が決勝に上がる状況を、私たちは受け入れたり望んだりするでしょうか。ここ、本当に難しいところです。

『M-1』の『THE MANZAI』化

実際、東京の準々決勝では、東京ダイナマイト、POISON GIRL BAND、天竺鼠、トレンディエンジェルが会場の最も盛り上げたコンビでした。

そういう意味で、彼らの決勝進出は(今回のルール上では)妥当であり、そのほうが決勝も盛り上がることは確かでしょう。

しかし、一方で、それは島田紳助の掲げた「結果の出ないコンビの辞めるキッカケをつくる」、いわば「若手漫才師の大会」という看板を降ろすキッカケにも成り得ます。

もしそうなると、それは、 『M-1』が博多華丸・大吉優勝以降の『THE MANZAI』に吸収されたような格好になる ことを表します。「面白ければエエやん」的な、フジテレビ的な発想がM-1に持ち込まれる訳です(これを悪いなどとは断じて思っていません)。

「コボリがまた馬鹿みたいな事を言ってる。あの記事にどれだけおんぶしてんだよ」とお思いかもしれません。しかし、すでにこの『THE MANZAI』化の動きは簡単に見つけることができます。

敗者復活戦では準決勝敗退コンビが漫才を披露し、視聴者投票によってファイナリスト最後の1枠を決定。さらに「GYAO!ワイルドカード」と題し、GYAO!で配信される準々決勝敗退コンビのネタ映像の中で再生回数が1位だった1組を準決勝へと送り出す視聴者参加企画も用意された。
「M-1グランプリ」決勝日程&敗者復活戦決定、歴代王者の直前特番も -
お笑いナタリー

そう。敗者復活戦においては、『THE MANZAI』の「ワラテン」のようなシステムが既に導入されることが発表されています。この時点で、M-1がほんの少し変化を起こし(※)、一般的なバラエティ化を狙っている、と考えることは不自然ではありません。

(※)もちろん、M-1は永久に変わるな! とも思いません。ただ、この変化はM-1のアイデンティティを揺るがします。 『M-1』が『THE MANZAI』のようになったとき、果たしてそこに、あの頃の熱狂は生まれるのでしょうか。

バランスをとった配分になるだろう

というわけで、「決勝進出者を考える」とか言いながら、もっと大きな話をしてしまいました。最後に、上の話をもとにして決勝進出者を考えてみます。

まず、ひとつの見方として、前述した10組と残りの17組とで、どちらが多く決勝に行くのか? という点が重要だと思います。

「10:17≒3:6」ですから、まあ前述の10組から5組出るようなことがあれば、なかなか大きな出来事だと思われます。

しかし、準々決勝の審査は、「10年以上のコンビに扱い」について意識的/無意識的にナイーブさがありました。なので、だいたい上の比率に落ち着くかな、というのが予想です。

どのコンビが行くかは、本当に想像つきません。とにかくPOISON GIRL BANDは出てほしい! ってだけです(笑)。では。


中島美嘉さんの過去を愛でる、つもりも無く、できれば現在進行形で好きでいたいと思いながらポリリズムを練習する、の第5回です。

前回までの流れは、こちらから辿ってください。

リズムの取り方を工夫してみる

前回は、「Love Addict」を使って、クロスリズムの練習に励みました。具体的には、2種類のリズムを「切り替える」ことにチャレンジしました。

では、「切り替えず」に2種類のリズムをとるのはできるでしょうか。

「何を言ってるの?」って感じかもしれませんが(笑)、リズムの取り方に工夫をしてみると、このことがわかると思います。


まずは、前回も載せた音源を再度聴いてみましょう。 [audio mp3=”http://koboriakira.com/wp-content/uploads/2015/11/4-5.mp3”][/audio] この配置を図で表すと、下のようになります。

5-1

前回確認した通り、このリズムだとハイハットは2つ区切り(3拍子)になっていて、スネアは3つ区切りで打たれているような感じです。

それで、それぞれのリズムを「切り替える」のが、前回のテーマでした。 前回は、これを切り替えてノっていましたが、今回は切り替えずにノってみます。

鳴っている音は何も変わりませんが、聞く私たち側の態度で、これを成し遂げてみましょう。

2つ区切り(3拍子)のまま、3つ区切りを感じる

ハイハットを「○」、スネアを「△」で表して説明します。

3つ区切りで表すと、「○×○|△○×」ですね。ちょうどスネアが1つ目(表拍)にきて、スムーズにノれると思います。

それでは、上の音源を「○×|○△|○×」と聴くとどうでしょうか。 つまり、スネアの音を表拍として聴くのではなく、3拍子の中の裏打ちとして感じてみます。

そうすると、 身体の大部分はハイハットの2つ刻みを感じつつも、同時にスネアによる3つ刻みを感じられませんでしょうか。

これが「切り替えずにノる」ことの第一歩です。 「どちらか」ではなく、「どちらも」にする。 どちらのリズムも同時に感じることができる。

これだけなんですが、最初は難しいです。

コツとしては、たとえば右手でハイハットのリズム(○の位置)を叩きつつ、2つ目のハイハットだけ、続けて左手も叩くようにすると、なんとなく掴めてくると思います。

3つ区切り(2拍子)のまま、2つ区切りを感じる

上のができれば、じゃあ反対もやってみよう。というのが世の常。 [audio mp3=”http://koboriakira.com/wp-content/uploads/2015/11/4-7.mp3”][/audio] 図はこんな感じです。

5-2 今度はキックを「□」として表したものも追加して表記しますと「□×△|○□×」です。

スネアを基準に置きながら、1拍目を「タ・ン・タ」、2拍目を「ン・タ・ン」というように交互にやります。2拍目が難しいですね。

スネアのすぐ後のキックを意識してください。ただし、表拍でとってしまわないように。

これ、自分もまだ苦戦中なんですが、やればやったぶんだけ慣れるはずです。ぜひ。

いよいよポリリズム

これがわかると、ついに <ポリリズム> と呼ばれる世界に入ることができます。

とはいえ、ちょっと急スピードで進みすぎたので、次回はこれまでのことをまとめてみようと思います。 せっかくですから音源を変えて、復習できればいいですよね。

というわけで、最近聴いてるチック・コリアの曲に「Love Addict」パターンがあったので、紹介させてください(アクセス数を考えると、チック・コリアのほうが読まれたりして(笑)。とはいえ、中島美嘉が好きなんですから仕方ないですよね)。


「ラスト・シンデレラのほうが圧倒的に良かったよね。まあFREETEMPOが音楽やってたからだけど」でお馴染みの、 **『オトナ女子』**の、主題歌を歌う中島美嘉さんの、2003年に出したシングル「Love Addict」を使ってポリリズムを身体の中に浸していこうの、第4回です。

前回までの流れは、こちらから辿ってください。

たまには最新シングルでも聴いてみましょうか。『オトナ女子』の主題歌「花束」です。玉置浩二さん作詞作曲。メイクは「いつもの」って感じですかね(笑)。個人的には、やはりポップスターでいてほしかったです。

「Love Addict」にクロスリズムを利用してノってみる、

前回は、クロスリズムを紹介し、実際にリズムをとってみました。今回は、「Love Addict」で実際にクロスリズムを体感してみます。

まず、図を再掲しますが、 3-1

1小節(キックとキックの間)を2つに分けるか、3つに分けるか。この2種類のリズムを体感してみます(※最終的には、2つを同時に体感できるようになると完璧です。自分も練習中)。

まずは、2つ/3つに分けることができるように、6つの音を並べた状態でノってみます。

先に書いておきますと、実はこの6つの音を載せた状態はちょっとヘンな感じです。というのは、「Love Addict」はシャッフルビートなので、並べるなら9つなんですよね。とはいえ、これは後々扱いたいと思います。まずは6つの音で我慢して聴いていただければ。

6つの音を並べる

[audio mp3=”http://koboriakira.com/wp-content/uploads/2015/11/4-1.mp3”][/audio]まず、これを身体に覚えさせます。繰り返しになりますが、シャッフルビートの上に重ねているので、違和感あります。

で、これをベースに、2つ区切りと3つ区切りをやってみます。

2つ区切り

[audio mp3=”http://koboriakira.com/wp-content/uploads/2015/11/4-2.mp3”][/audio]#### 3つ区切り[audio mp3=“http://koboriakira.com/wp-content/uploads/2015/11/4-3.mp3”][/audio]この2つも何度も聴いて、身体に覚えさせてください。すると、この2つのリズムを好きに切り替えることができます。

4小節ごとに切り替える

[audio mp3=”http://koboriakira.com/wp-content/uploads/2015/11/4-4.mp3”][/audio]最初は難しいかもしれないんですが、慣れればこれだけで何時間も遊べます。まだ2種類ではありますが、好きなリズムを選べるので、曲に指図されずに踊れるような感じがします。

慣れてきたら、鳴ってるハイハットと反対のリズムでノる練習をしてみます。 そうすると、よりクロスリズムが体得できると思います。

次回予告、ワンランク上のクロスリズム

上記ができるようになったら、このリズムを少しずつ拡張していきます。 何をするかと言うと、 1種類のリズムで2種類のリズムを抱え込んでしまいます。

この説明は次回に回し、とりあえず音源だけ載せておきますね。ぜひ遊んでみてください。 [audio mp3=”http://koboriakira.com/wp-content/uploads/2015/11/4-5.mp3”][/audio][audio mp3=“http://koboriakira.com/wp-content/uploads/2015/11/4-7.mp3”][/audio] 12年ぶりに、中島美嘉「Love Addict」をポリリズムの観点から再評価する(5)


この文章を、浅草公会堂、堂内の喫茶店で打っております(ほんとうは『天国』という喫茶店に行きたかったのですが、人がいっぱいでした。自動的に地獄行き〜)。

すでにご承知の通り、5年という短いような長いような歳月を経て、『M-1グランプリ』は復活しました。

「うさぎとかめ」よろしく、M-1が島田紳助の引退に合わせてスヤスヤ寝ている間に、たった5年間ではありますが、日本・世界では様々なことが起こりました。

とくにM-1に関して言えば、『THE MANZAI』という80年代からの使者によって、M-1は冬眠中に息の根を止められました。(※拙記事「THE MANZAIはM-1を殺した―中川家から博多華丸・大吉まで」をご覧ください。また、M-1以外の、より規模の大きなことについては、取り扱う資格が私にはありません。)

いや。正確には、息の根を止められた「はず」でした。 2015年、M-1はまさかの復活を雄叫びを上げます。

なぜM-1が復活したのかも、誰がこの状況を待ち望んでいたのかも、そして2015年のM-1がどうなるかも、誰も理解できていないままに、M-1は再始動しています。

できることは、とにかく会場に赴き、そして笑うだけです。


えー、現在はネタを見終えた翌日、いつもより腹筋が痛い2015年11月4日です。

いろいろな感想がありますが、ひとつ挙げれば「やっぱりM-1は「語らせる」力をまだ持っているなー」でしょうか。浅草公会堂を出た直後、口からは様々な感想が飛び出し、耳には様々な感想が飛び込んできました。THE MANZAIの予選にはこの光景は無いのでは、と思っています。 今回の予選を鑑賞するにあたって、自身に課した設定がひとつあります。それは、

「以前のM-1的な価値観をなるべく思い出しつつネタを見ること」 です。

詳しく言えば、「面白いかどうか」という単一の基準の裏に隠れた、「新しいかどうか」とか「上手いかどうか」とか「4分間に魅力が凝縮されているかどうか」、つまり「M-1らしいネタかどうか」を考えながら見ることにしました。

---結論を先に出しますと、これを気取ったお笑いヒニリストのカッコつけ発言と取らないでいただきたいのですが、 東京予選に出場した51組中、「M-1らしいな」とか、もっと言えば「決勝でやってる姿が目に浮かぶ」というコンビは、厳しめに見ると4組でした。

そして、このこと以上に痛烈に刺さったのは、 「M-1を目指して作ったネタではない」コンビが多くいた ことです。

ここで勘違いしないでいただきたいのは、「4組しか笑えなかった。残り47組はめっちゃスベってたわー」とか「このネタじゃ予選通過なんて無理やわ。おつかれさん」などとは決して思っておらず、むしろ、これこそが今年のM-1につきつけられた問いなんですが、

「M-1的な漫才」より笑える漫才がたくさんあったんですけど、どうします ⋯⋯? という、「お前、今更かよ⋯ッ!

フレッシュ!」ばりの三村ツッコミでも出てきそうな。それでいて「だってそうじゃん!」って感じの、どうしようもないタイプの問いが重くのしかかっています。

これを招いたのは紛れも無く『THE MANZAI』です。THE MANZAIがM-1の歴史をなかば引き継ぐ形になってしまったところに、博多華丸・大吉が王冠をとってしまった。(※補足というか感謝で、私のブログ記事をななめ読みすると、博多華丸・大吉が悪者みたいに扱われてるんですが、いまのところそういう炎上はありません。ありがとうございます。)

言い換えれば、面白さに新たな基準を与えたM-1の(漫才に限らず、コントにも波及はあったと思います)、その基準をTHE MANZAIは無効化してしまった訳です。これが「面白くなければテレビじゃない」のフジテレビがやった、というのは出来過ぎでしょう。

---つまり、『M-1グランプリ2015』は復活直後いきなり、ひとつの大きな分岐点を迎えることになります。その分岐とは、 「過去のM-1の歴史をそのまま持ち込み、賞レースとしての正統性を確保するか」 それとも 「直近のTHE MANZAIの歴史をそのまま持ち込み、賞レースとしての現代性を確保するか」 です。

言い換えれば、「M-1グランプリ2011」にするのか、「M-1グランプリ2015」にするのか。って感じです。M-1の歴史の連続/断絶と言ってもいいと思います。

どちらを採用するかによって、決勝進出者の顔ぶれも、かつ審査員の顔ぶれも変わります。もちろん、M-1が持つ権威性もです。後者に舵をとった場合は、松本人志が審査員席から外れる可能性すら有り得ます。

直感では、「どちらも抱えようとしてグダグダになるんじゃいか」というのが予想なんですが(笑)、正直どうなるかは、やはり誰にもわかりません。

---最後に、決勝進出予想でもしてみようと思います(いくつになっても予想は楽しいですね・笑)。 上述の通り、今回は2パターンが考えられます。 まず、M-1が正統性を確保した場合。つまり、M-1的な価値観で突き進んだ場合ですが、個人的には、

  1. 馬鹿よ貴方は2. セバスチャン3. 天竺鼠4. ダイタク5. ボーイフレンド6. オジンオズボーンなどなど、まだ10組ぐらいいますが、こういうメンツが上がってくると思います。個人的には、ダイタクやボーイフレンドみたいな「ああ、多分アレやるんでしょ?」みたいなコンビがとても面白くてビックリしました。裏切られる、って気持ちいいですよね。

で、もしM-1がTHE MANZAIに押し切られて、新しく歴史をつくろうとした場合ですが、そのときは1. 東京ダイナマイト2. トレンディエンジェル3. POISON GIRL BAND 4. 笑撃戦隊5. チーモンチョーチュウあたりでしょうか。正直、こっちの予想はかなり適当です。 ひとつだけ言えるのは、 今回のM-1グランプリの鍵を握るのはPOISON GIRL BANDです。 彼らが決勝に進出するか/どこで落選するかは、血眼になってチェックするつもりです。

そんな流れで個別のネタに関する話もしたいんですが、決勝が終わってからにします。それでは。

※「優しさは失敗のもと―2015年のM-1は成功するか?」で取り上げていますが、「コンビ結成15年以内」というルール変更は、いまのところそれほどの悪影響を及ぼしていません。いまのところは、ですが。


久しぶりにニヤニヤする本に出会ってしまった。本書の内容がどうかはともかくとして、

「いやー、そうですよねー。そういう気持ち、オレ、めっちゃわかります!!」

という種類の、共感や共感から生まれるワクワク感みたいなものに包まれてしまった。 [amazonjs asin=“4122052831”locale=“JP” title=“料理の四面体 (中公文庫)”]## 感想本書は、「イッパツで料理の一般的原理を発見し、それを知ったらあとは糸を紡ぐように引けば引くだけ次から次へと料理のレパートリーが無限に出てくる」(※1)方法を考え、提示した本である。

還元すれば、 数多の料理法をあるひとつの理論で説明する 、という無茶にも程がある種類のチャレンジだ。

こういった欲望は、さまざまなジャンルで顔を出す。音楽も、さまざまな人が理論をつくり、統一的な説明が試された。しかし、音楽の構造を把握した者は誰一人いない。

著者の 玉村豊男さんは、現在はワイナリーを経営していて、実際に彼の料理を食べに行くこともできる。サイン本も購入することができる(笑。「ヴィラデスト ガーデンファームアンド ワイナリー l 玉村豊男のワイナリー カフェ」より。)

文体は、タイトルや内容から論文のようなものに思われ、手に取る気になれないかもしれない。しかし実際は、著者の体験談がエッセイのように並べられ、体験から得た結論を最後の数十ページにまとめた、とても読みやすい形式になっている。

「料理が好き。レシピを読むのが好き。自分でレシピを考えるのが好き」なんて人であれば、充分な面白さを得られることは保証したい。


さて。さきに結論を書くと、あるものの全てを一つの統一的な理論で説明すると無理が生じることは上述したが、この本もおそらく同じような歪みを抱えている。

しかし本書は、だからといって切り捨てるには、あまりに惜しいほどの魅力を持っている。無茶なことをやってるからといって、トンデモにするには勿体無い。

これは個人の意見だが、分析というのは「誤りがゆえの魅力」を持つ数少ない学問であり、いわば「ハズすからこそ楽しい」娯楽でもある。

『料理の四面体』は、上のような意味でバランスのよい「分析」がされていて、文体も洒脱で読みやすく、かつ現実的な側面もたくさん含んでいる。

こういうのを何という? 「最高」だ。

頂点と底面―「火」と「空気、水、油」

本書のタイトルである「料理の四面体」とは、他ならぬレヴィ=ストロース(彼については橋爪大三郎『はじめての構造主義』〜ヨーロッパ文明を破壊したレヴィ=ストロースの構造主義で少し触れている)の**「料理の三角形」** という言葉がモチーフになっている。

とはいえ、読めばわかるように、実際の関連はない。アカデミック的な面白さを期待すると面食らうだろう。

四面体の「頂点」と「底面に含まれる3点」をそれぞれ重要な要素と考え、それぞれの線分の間に料理を置いているのだ。確認してみよう。

「頂点」にあたる、料理において最も重要な要素は、約40万年前から人類が使っている 「火」 だ。火によって、人間は「料理」という技術を覚える。

(※「料理」を表す”cooking”、“cuisine”はラテン語の”coquere”から来ている。“coquere”の意味は、「火熱を加える」という意味だ。この点から筆者は、欧米における料理が「加熱すること」と不可分であり、たとえばサラダのような加熱しない料理が”hors-d’œuvre”(オードブル。直訳で「仕事の外」)であることを指摘する。あわせて、日本では、おける刺身の包丁捌きのような、加熱しない技術を「ものごとを料(はか)り理(おさ)める」ものとして「料理」と名付けられていることも指摘する。)

そして、その火に合わせる3つの要素は、 「空気」、「水」、「油」 だ。

「空気」を例にとる。「空気」を「火と加熱する物体の間にあるもの」と定義すれば、空気の量を調整した加熱として、グリル、ロースト、干物、燻製が挙げられる。

ここで個人的に重要なのは、干物だ。干物は単に外気に晒しておくだけであり、「空気」だけの料理に見えるかもしれない。

しかし、干物にも「火」は利用されている。それは太陽なのだ。

干物の場合はくんせいよりももう少し火から離れていて、火源との距離が一億五千万キロメートルほどあるだけなのである。 (※2)

この一文は、本書の魅力を端的に表す一文だと思うが、どうだろうか。

すべての料理は「料理以前」である

上の話も魅力たっぷりだが、本書はまだ止まらない。

それは、サラダに関する話だ。サラダとは「生の食材に調味料・ソースを混ぜわせたもの」であるとし、これを拡大的に解釈するシーンだ。少し長いが引用してみる。

一本の胡瓜に、塩をつけて食べるとしよう。 その場合、胡瓜につける塩は“ソース”であり、塩のついた胡瓜は“サラダ”ということになる。
一枚の焼き肉に、塩をつけて食べる。 とすれば、その塩は焼き肉の“ソース”であり、塩味のついた焼き肉(ステーキ)は、そう、“サラダ”ということになる⋯⋯。
(※3)

つまり、 「加熱後のもの」を、もう一度「加熱前のもの」とみなしている のだ。

ステーキが意外すぎるなら、ポテトサラダでどうだろう。ポテトサラダは、じゃがいもや人参を茹でている。(※これは「火」と多めの「水」による料理法だ。)

しかし、この茹でた野菜をもう一度生の状態として和えているから、この料理はポテト「サラダ」なのだ。

この例は著者への僅かなお礼として、著作権フリーで差し上げたい。

無限のレシピ

雑にまとめれば、本書の内容は次のように説明できる。

どんな料理でも、「空気、水、油」と「火」の使用とドレッシング(調味する)を繰り返せば、すべての料理を作ることができる。

おそらく、例外はあるだろう。しかし、大事なのはこの理論を知ったあとの自身の認識だ。

私はいま、どんな料理を食べても、あるいは自分で料理しても、この理論が頭を巡る。 今日はハンバーグのパイ包みを食べた。さて、四面体に配置してみようか。

(※1)玉村豊男『料理の四面体』、中央文庫、2010年(単行本は1980年)、12頁。 (※2)同91頁。 (※3)同173頁。

目次

  1. 料理のレパートリー2. ローストビーフの原理3. てんぷらの分類学4. 刺身という名のサラダ5. スープとお粥の関係6. 料理のレパートリー7. 料理の構造――または料理の四面体について## 読んでみたい/関連する参考文献
  • 辻嘉一『御飯と味噌汁』