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2017年11月9日に執筆されたこの記事は、以前書いたKREVA論を引き継いでいる。
現在は『AFTERMIXTAPE』が最新のアルバムであるが、いまだにKREVAはイノベーターだ。きっと次作もスゴいものになると思っている。

久しぶりにブログを書くモチベーションが出てきたので、書きたいものから順に書いていきます。というわけで、まずはKREVAの『嘘と煩悩』を取り上げたいと思います。

えー、以前めちゃくちゃ気合を入れて書いた記事がありました。

**「KREVAを1万字で語るぞ! でも1万字じゃ足らない!」**なんて感じで書きまして、けっこうな内容だったんですがまあまあのページビューがあり、まだ活字中毒者はいるのかもな、なんて思った次第です。

【レビュー,批評】11,000字のKREVA論〜ラップの<ノイズ>と<啓蒙>【けっきょく、J-POP】

それで今回はそのレビュー後にはじめて発売されたアルバムです。タイトルは『嘘と煩悩』。嘘の「800」と煩悩の「108」が足されると「908=クレバ」になるんだ、というなかなかウィットの効いたタイトルです。

これは本当にKREVAというラッパーの宿命なのかもしれませんが、今作も(ネットで見るかぎりは)ほとんど批評が見つからない状況でして、熱狂的なリスナーはtwitterで「クレさん最高」と言い、音楽評論家は「KREVAはメジャーフィールドで活躍しつつ、かつヒップホップ的な評価も得ている、稀有なラッパーである」みたいな。プロップスこそあれど、ほとんど黙殺に近いよね、と感じています。

というわけで今回も勝手な使命感を持ちつつレビューします。語るべきところはいくつだってあると思いますが、基本的にはトラックと、そのリズムが中心です。

実験作となるアルバム

まずアルバム全体として、本作は「これぞKREVAの真骨頂。現時点での彼のすべてがここに凝縮している」みたいな、そういったものではないと思いました。言い換えれば、はじめてKREVAを聴こうとする人にはオススメしません。

もちろん「神の領域」における高速ラップは凄味を増しており、あたらしい「基準」を打ち立てたという意味では名盤かもしれません。しかしアルバム全体として見たときに、どうしてもまとまりが感じられないことも事実でした。

つまり立ち位置的には『OASYS』に近く、いわば「実験作」だという判断です。

「嘘と煩悩」、「想い出の向こう側」の何がスゴいのか

では、その「実験」とはなにか。私は「リズム」だと考えます。

基本的にヒップホップは16ビートの音楽です。16ビートかつハネが強め/薄めのトラックがあり、ラッパーは自分の身体的な気持ち良さを感じるものでラップをします。

しかし本作では、これを崩そうとするトラックがありました。 1つ目は 「嘘と煩悩」で、これは3連符のトラックです。この曲は「ためしに3連符でやってみた」という次元を超えて、このスタイルもKREVAのひとつとして認められるであろうぐらいの、素晴らしいラップ(ラップ的歌唱)をやっています。

またかなり細かいですが、2小節ごとに入ってくる2拍3連のパーカッション(右側で鳴っている)が効いていて、1拍3連と2拍3連が絡み合う瞬間はかなり気持ちいいです。

そして「実験」のもう1つが「想い出の向こう側」です。 この曲が本作のハイライトである 、と言い切ってしまいましょう(笑)。

この曲については、メイン部分のトラックはシンプルです。しかしイントロ部分そして間奏で入ってくる3拍子のトラックと、それぞれ(イントロ、メイン、アウトロ)で歌われる3種類のフックはメインストリームの楽曲にしては「攻め込んで」います。

詳しい解説は次の記事で書くつもりですが、ザックリといえばKREVAは「ma cherie」につづくクロスリズムのラップ/トラックを作ろうとしています。自分の読みだと、次作でもこの試みはゼッタイに行われるはずです。

スクエアかつ複雑なリズム

ちなみに「リズム重視」の兆候は、アルバムには取り入れなかった傑作「under the moon」から見て取れます。というか個人的に「under the moon」は、KREVAの作品を一覧したときに重要な転換点だと思うぐらいです。

一聴しただけではビートの構造を掴めないトラックですが(3拍目にスネアが入っている、ダブステップにようなものだよ。と言ってしまうことは簡単です)、その中でKREVAのラップはいつも通りトラックに噛み合っていました。

ここで強調しておきたいのは、 これまでのKREVAのリズムに対するチャレンジがすべて「スクエア」なものであることです。つまりビートを適当にズラしていくのではなく、一度細かく分解してから再構築していくような、緻密でロジカルなトラック/ラップである、と。

次作がマスターピースとなる

以前の記事で私はこう書きました。

というわけで、10,000字ほどの長文になってしまったが、言いたいことは140字以内でも十分に言えるほど単純だ。それは序文でも書いたが、「KREVAは、何よりも「ラップの面白さや難しさ」を日本の一般的なリスナーに理解させたかった」ということだ。
今後どのようなことを仕掛けてくるのかはまだ不明だが、「under the moon」で見せたようにビートを崩し始めたところからすると、KREVAの<啓蒙>はラップからトラックへと変化していく可能性は否めない。想像できないが、いわゆる「ディラ系」のモタついた<ノイズ>まみれのビートに乗るKREVAを聴くこともできるかもしれない。
もちろん、これは期待のひとつだ。兎にも角にも、KREVAが<ノイズ>をさらに増やす瞬間。そのときがKREVAの「三限目」であることは間違いなく、そしてそれは近いうちに訪れるだろう。
【レビュー,批評】11,000字のKREVA論〜ラップの<ノイズ>と<啓蒙>【けっきょく、J-POP】

KREVAが次に登ろうとしている山は「リズムの向こう側」であり、それはおそらく次回または次々回のアルバムでマスターピースとして評価されるだろう。というのが自分の読みです。

というわけで次回は「想い出の向こう側」の解説をやりたいと思います! ご興味あればもうしばらくお付き合いください。

というわけで「想い出の向こう側」の解説を書くつもりのまま3年が経過した。個人ブログなんてそんなものだ。エントリ内でも触れられているようにクロスリズムになっていることを説明しようと思ったのだが、多分もうやらない。「聴けば分かりますよ」という、個人ブログだからこそできる結論で終わりにしよう。


2015年6月26日に書かれたこの記事は、KREVA本人がブログで取り上げてくれた程度には盛り上がった。
すでに5年が経過しているが、ここで書いているように、いまだにKREVAに対する不理解は変わっていないと思う。

20150625 1152 1

※KREVAさんご本人から、このエントリに対する言及をいただきました。大変恐縮です。

**お忙しいだろうに、きちんと論旨を掴んで読んでいただきまして。「あかさたなはまやらわをん」を入れてないのはおかしいだろ!

とまで仰ってもらいました(笑)。本当にありがとうございます。**

ってことで、まずは、このエントリをスルッと読むための準備として、「あかさたなはまやらわをん」から始めましょう。


KREVAさんは、どれだけ成功しても常に「まだ足りない」「納得いかない」という不満を抱えている人だと思うんですね。
KREVA:まさに。常にフラストレーションがある。そのフラストレーションの形が時々によって変わるから、表現や歌う内容が違ってくるだけで。
ヒップホップの挑戦者、KREVAが語る「悔しさばかり覚えてる」 - 音楽インタビュー :CINRA.NET

KREVA(クレバ、908)は、今最も売れている「ヒップホップ」のアーティストである。

これは、おそらくKREVAを紹介するときに必ず出てくるセンテンスだろう。もう少し詳しく説明するなら、日本語ラップを本当の意味でメインストリームに届けた最初の人物でもあり、日本のヒップホップの地位の向上に貢献した人物がKREVAである。

しかし、 「KREVA」というラッパーについて、その凄まじさを正しく理解している人は、そのリスナー数に比べて極めて少ない。

KREVAは2015年現在にいたっても不理解と誤解を背負ったまま、それでも(だからこそ)第一線を走り続けているラッパーだ、と私は考えている。その証拠に「KREVA 批評」、「KREVA レビュー」と入れてみてほしい。納得いくテキストに出会ったことがあるだろうか。

では、なぜKREVAは理解されぬまま、売れていながらもある種の「黙殺」を受けているのか。 それはとても単純だ。「ラップに対する理解がまだ追いついていない」のである。

とくにインタビュー記事に顕著だが、ほとんどの記事で取り扱うのは歌詞の内容であり、ラップのテクニカルな部分やビートに対する言及や質問はされていない。このことは、KREVAの歌詞の訴求力が強いことを示している訳でもあるが、同時にKRVEAの本質を理解することを遠ざける要因にもなる。

なので、試しにまず自分から、キーパンチを試みよう。KREVAの全てをたった10,000字のテキストで説明することはとても困難であり(新書が1冊書ける)、具体的な記述が少ないために単なる印象論で終わってしまうかもしれない。それでも、熱意だけで書かれたこのテキストに多少の意味はあるはずだ。

以下のレビューでは、基本的にラップ詞の解読(「これはこういう意味で、当時の背景は…」など)はしない。代わりに、KRVEAのラップがどのように変容したかを中心に書いていく。

キーワードは<ノイズ>、サブキーワードは<啓蒙>である。

これを念頭に読んでいただければ、ひとつぐらいは手土産を持ってブラウザを閉じることができるはずだ。

では、とりあえずバース1をキックしよう。

序文と結論:KREVAに対するDISについて。<ノイズ>の無さが<ノイズ>を生む

まず、KREVAの「誤解」について話をしておきたい。

2015年現在でこそ見かけることは減ったが、KREVAは最近まで「セルアウトだ」、「ヒップホップではない」などと、とくにヒップホップ側(つまるところ同業者、ラッパーですが)から批判されることが多かった(日本語ラップの改革者KREVA 彼に寄せられる批判に妥当性はあるか? - RealSound|リアルサウンド)。

一方で、これは想像ではあるが、KREVAがソロ活動を始めてからのファンは、KREVAが「セルアウトか?」とか「ヒップホップであるか?」などは気にしていないだろう。

あるアーティストの読み込み方に置いて、これほど「同業者」と「ファン」の間の隔たりが大きいのはKREVAぐらいではないか。片方からは「ヒップホップではない」と攻撃され、もう片方からは「ヒップホップかどうかとか関係ない! KREVAの曲が好き!」とリスペクトされる。

この隔たりの原因は色々とあると思うが(商業的な成功による妬みという単純なものや、歌詞にジャーゴンが入っていないため同化できない、など)、このエントリでは音楽的な側面からそれを探してみたい。

私なりに答えを挙げれば、それは <ノイズ> の有無だ。 <ノイズ>とは、いわゆる文字通りの「ノイズ=雑音」ではなく、「 わかりにくさ、曖昧さ 」と捉えてもらいたい。

たとえば、手書きの手紙は、書いた本人のクセ字やペンの種類などが原因で読みにくかったり、誤読される可能性がある。これは<ノイズ>の多い文章だ。一方で、キーボードで打たれたゴシック体の文字は読みにくさがなく、万人が同じように読んで理解することができる。これは<ノイズ>の無い文章だ(※1)。

音楽を例に挙げて説明しなおそう。たとえば、KREVAをディスっていた同業者がよく挙げる好きなラッパーにNasがいる。下の音源はNasの一番売れたアルバムの収録曲だ。1分でいいので聴いてみてほしい。

ここにKREVAの大ヒット作「音色」を並置してみて、どんなところが違うか考えてみたい。一聴して、KREVAの曲と異なるところがあるのは分かってもらえるはずだ。大雑把ではあるが、私なりに説明するなら次の3点になる。

  1. NASはズレのあるリズムの上でラップしているが、KREVAはスクエアなリズムの上でラップしている(※2)。
  2. NASのトラックはローファイ(音が悪い。低音中心)だが、KREVAのトラックはハイファイ(音が良い。高音もキレイ)だ。
  3. NASのラップは複雑(一聴しても覚えられない)だが、KREVAのラップは単純だ。(言語の問題でなく、構造として)

これらの3点をまとめて説明すると、 KREVAの曲は典型的なヒップホップの曲に比べて、構造的にも音質的にも、あまりに「キレイ過ぎる」のだ。

つまり、KREVAの音楽には<ノイズ>が少ない。この点は、KREVAを理解するにあたって最も重要なことだ。

<ノイズ>の多さで比べると、KREVAの曲はなるほどJ-POPに近く(正確なリズムの上で歌い、音は非常にクリアで、メロディの構造がわかりやすい)、ヒップホップ側からブーイングの声が聞こえることにも一応の納得はできる。

しかしこの<ノイズ>の少なさは、KREVAがソロ活動を続けるうえで、切っても切り離せない要素なのである。それはなぜか。

KREVAは、何よりも「ラップの面白さや難しさ」を日本の一般的なリスナーに理解させたかったからである。

これはマーケティングな意味(潜在的な購買層を増やす)もあるが、個人的には<啓蒙>の思想が強いと判断した。つまり「ラップってこんなに面白くて、難しくて、楽しめるものなんだ」とリスナーに感じてほしい一心なのだと思う。もう少しセンチメンタルに書けば、自身のファンにKREVAというラッパーのことをより理解してもらうため、丁寧な自己紹介を続けているような感じだ。

このとき大事なのは、リスナーへの<啓蒙>を第一の目的としたとき、上述したリズムのズレ、ヒップホップ的なローファイな音質、複雑な構造のラップ、つまり<ノイズ>の多い曲を制作することは目的を達成する手段としては不適切なのである。

このように、<ノイズ>の少なさは、KREVAの<啓蒙>と密接な関係にある。では、これを念頭において、2015年までに発売されてアルバムを振り返ってみたい。

(※1)「<ノイズ>なんて言わずに<わかりやすい音楽>で良いんじゃない?」い言われるかもしれないが、これはあえてだ。それは、これほどの長文を簡潔に読むためのキャッチーなキーワードが欲しかったことがひとつ。そして、<ノイズ>という用語には様々な意味があるからだ。たとえば<ノイズ>は、アナログ/デジタルの問題を、身体性の問題を含むことができる。これは結部で昇華される。

(※2)時間の関係上、詳しい説明は省きましたが、要望があればちゃんと書きます。

『新人クレバ』:KREVAの大いなる「一限目」

KREVAは2004年6月、『希望の炎』でソロデビュー。同年11月にアルバム 『新人クレバ』をリリースした。このアルバムを手にしたのは、おそらくKICK THE CAN CREW時代からのファンがほとんどだったであろう。

もしKREVAを真剣に批評しようと思った場合(これが存在しないわけだが)、まずブチ当たるのが「希望の炎」や「音色」だ。とくに、オートチューン(音程矯正ソフト。Perfumeのボーカルのアレで有名になった)をかませたラップソング「希望の炎」は、当時驚きを持って迎えられたのを覚えている。

では、なぜKREVA「希望の炎」のような曲を作ったのか。その答えを考える前にまずは『新人クレバ』の特徴を抑えよう。

『新人クレバ』でKREVAがチャレンジしたのは<ノイズ>の少ないヒップホップである。それは音数の少なさ、ズレの少ないリズム、音の綺麗さ、そしてラップのわかりやすさである。

「ラップのわかりやすさ」とは、端的に言えば「 自分も同じラップができるか(再現性)」という意味だ。極端な話、カラオケでKREVAと同じように歌えれば、それは「わかりやすいラップ」と言える。

<ノイズ>の少ないKREVAの曲は、再現性の高い曲でもあるのだ。

反対に、日本でもっとも再現性の低い=<ノイズ>のある曲を例としてTHA BLUE HERB「続・腐食」などを挙げよう。KREVAファンのリスナーの中には、拒否反応を覚える人もいるかもしれない。

学校で使っていた教科書を思い出してほしい。教科書には試験までに覚えておきたい最低限の内容が書いてある。この教科書があるから、私たちは重要な知識を体系的、効率的にインストールすることができ、またこれを土台として応用的な内容の学習にジャンプアップすることができた。もし、最初から国語便覧を丸暗記しようと思っても、絶対に無理だ。

このように考えると、「希望の炎」、そして「音色」のようなメロディアスなラップを採用したKREVAの意図も掴めてくるのではないか。

KREVAは、「ラップ」が必然的に持つ「不確定なリズム(身体的なリズム)」、「不確定な音程」を楽譜に起こすようにメロディにすることで、ラップをより理解しやすいものにした(※3)。 いわば、KREVAは『新人クレバ』で 日本語ラップの教科書の執筆を始めた。

はじめて「ヒップホップ=ラップ」に接するリスナーに対して、最低限の教養が身につけられるようなアルバムを作ろうとした。

KREVAの場合、その「最低限の教養」とは 「韻=ライム」 である。

「韻=ライム」とは、広義には「聴いた感じが似ている」言葉の組み合わせだ(ex.「クレバ」と「黒田」)。もっと狭くKREVA風に定義すれば、「母音が一致している」言葉の組み合わせが韻である(ex.「びっくりさせる」、「じっくり耐える」)。

KREVAが『新人クレバ』でリスナーに提示した唯一の要望は、「 母音の一致を利用してラップしていることに気付いてほしい 」ということである。そして、このチャレンジは以降の作品でも同様に行われ、より精度が上がっていく。

(※3)「希望の炎」になぜオートチューンがかかっていたかも、ここから考察することが可能である。オートチューンは音程矯正ソフトであり、すべての音を無理矢理ドレミに変換する。つまり、クリアになるのだ。ちなみに、オートチューンによる音程矯正=<ノイズ>の無化というのは、これだけでひとつのテーマになり、他の題材(ハイレゾ、浄水器、ヘッドホン、twitterなど)も絡んでくるため、ここで打ち切る。

『愛・自分博』、『よろしくお願いします』:基礎の繰り返しとKREVAの成長

2006年2月、2作目のアルバム『愛・自分博』がリリースされた。このアルバムは、日本語ヒップホップのソロアーティストとしては初めてオリコン1位をとった記念すべき作品でもある。KREVAのソロ活動のファンは、きっとこのあたりから増え始めただろう。

『愛・自分博』は、簡単にいえば『新人クレバ』の続編だ。というより、 『新人クレバ』をさらに理解しやすく録り直したものが『愛・自分博』と言える。

遅めのビートにハッキリとした韻を持つラップを乗せることで、リスナーにラップの構造を把握してもらおうとしている。 たとえば「スタート」は、このことがよく分かる曲だ。個人的にはバース1の「そのまた先も/揺れる七色のこの輝きを」あたりのフロウがKREVAらしいと感じる。

翌年、2007年9月には3作目のアルバム『よろしくお願いします』がリリースされる。

『よろしくお願いします』では、KREVAは日本語ラップの教科書としての試みは続けつつも、その中で音楽的なバラエティに富む楽曲を生み出すことに挑んでいる。

最も教科書的な楽曲は、SPITZの草野マサムネをfeat.した「くればいいのに」だろう。ループ物のヒップホップとしてはかなりポップスの要素を強めた本作は、KREVAのラップもメロディ化されており、歌いやすいラップになっている。

一方で、珍しく楽曲のテンポを上げた「Have a nice day!」や、ハネの効いたビートでラップした「ストロングスタイル」。また、次作『心臓』に繋がるようなメロウさを持った「アグレッシ部」などは、これまでの2作では見られなかった音楽的な幅広さの例になるだろう。

このように、KREVAはデビュー作から一貫して「ラップを理解してもらうこと」を中心において作品を制作していた。そして面白いのは、この試みがKREVA自身のラップテクニックや、ソングライティング、アイデアを更に高めていたことだ。

このことは、次作『心臓』で証明されることになる。

『心臓』:日本語ラップ教科書のラストページ、そしてマスターピース

快進撃を続けるKREVAは、2008年にベスト盤『クレバのベスト盤』を挟んで、2009年9月に4作目のアルバム『心臓』をリリースした。

『心臓』で、KREVAによる「日本語ラップの教科書」は一応の完成を迎えた 、と私は考えている。

しかし、この『心臓』は単なる教科書のラストページではない。このアルバムには、デビュー作『新人クレバ』から前作『よろしくお願いします』までの全て(わかりやすいラップ、メロディアスなトラック)をさらいつつ、そのうえで「 KREVAにしか到達できなかった日本語ラップの完成形 」も提示されているのだ。

「KREVAにしか到達できなかった日本語ラップの完成形」というのは、2種類ある。ひとつは『心臓』の前半部だ。とくに「瞬間speechless」はまさしくKREVAにしか作ることのできなかった作品であり、日本語ラップにとって記録的な作品だろう。メロディアスなラップの極地である。オーバーグラウンドに照準を合わせて工夫を続けてきたKREVAだからこそ生み出すことのできた作品、それが前半部だ。

もうひとつの完成形は、『心臓』の後半部だ。これは「日本語ラップの教科書として非常に洗練された曲」と説明するとわかりやすいだろうか。とくに「成功」は、シンプルなラップながらも力強さがあり、かつラップの面白さをストレートを伝えることに成功している。

また、『心臓』がマスターピースである理由は、楽曲自体のクオリティの高さもあるが、何よりKREVAのラップが一段階高いレベルに達したことも大きい(これは結部で後述する)。

とにかく、『新人クレバ』から続けてきたKREVAの<啓蒙>は、『心臓』でひとまず完結した。この時点でKREVAがソロ活動を始めてから5年が経ったが、KREVAのファンはもちろん、日本のユースカルチャー単位で考えても、「母音の一致を利用してラップしている」という理解は一般的になったのではないだろうか。

もはや「Yo!Yo!」なんて茶化すほうがマイナーになってきた。 ここで、KREVAの野望はネクストステップに移行する。リスナーの理解力の「基準」を上げ始めたのである。

『GO』:リスナーを信じ、上げた「基準」

日本語ラップの基礎を準備したKREVAが次にとりかかったのは、いよいよ「ネクストレベル」の提示だ。2011年に9月に5枚目のアルバム『GO』をリリースすることになるが(※4)、このアルバムの制作背景についてKREVAは以下のように語っている。

今作はファンへ強く向けた作品となっており、自分の音楽に興味のないリスナーに重点を置いてたこれまでの作品とは違ったものになった
と本人は語っている。当初はラップと歌が半分ずつあるというコンセプトアルバムのような作品を制作しようとしていたが、シングル「挑め」のリリースでラップへの意識が高まり、その後起きた東日本大震災を受け、自分の一番得意なラップをしようと決め、ラップをより重視したアルバム になったという。
GO (KREVAのアルバム) - Wikipedia

このように、KREVAは『GO』でリスナーに何か新しいことを<啓蒙>しようとしていた。それは、 これまでのアルバムが「ラップの楽しさ」を伝えるためのものだとすれば、 『GO』は「ラップの難しさ」を伝えるためのアルバムだ。

そんな本作の目玉は、どう考えても「基準」だろう(※5)。

「基準」は、これまでのKREVAのラップの特徴だった「歌いやすい」という要素が薄まっている。倍速(早口パート)があったり、一聴してもすぐには慣れることができない。しかし、「今日からはこれが基準」と言うように、こういった難しいラップも織り交ぜていくことを宣言している。

ファンがカラオケで「基準」を歌っている動画をYoutubeで探してみてほしい。これは「ラップの技術」を学ぶうえでとても面白い題材なので、「歌ってみた」に対するネガティブな気持ちはいったん抑えて、客観的に聴いてみてほしい。

「基準」は本当に面白いプロジェクトなので、もう少し書きたいと思う。

これまでのKREVAの楽曲は総じて<ノイズ>の少ない、再現性の高い楽曲で、つまりファンが歌っても<ノイズ>が少なくなる楽曲だった。たとえば、「音色」のカラオケは、上の「基準」よりかはKREVAっぽく聴こえるはずだ(このラップとKREVAのラップに差異を見出すことができることが、KREVAが最終的に望んでいる結果だと思うが)。

つまり、 「基準」は、KREVAがはじめて提示した再現性の低い=<ノイズ>の多いラップなのだ。

その証拠に、「基準」を歌っている彼らは、どちらもKREVAのラップを楽譜的・グリッド的に配置することができず、ところどころでポエトリーっぽく言葉を詰め込む状況になっている。<ノイズ>の発生しやすいラップが「基準」なのだ。

ただし、これも結部で後述することになるが、「基準」という曲は、実のところ「速さ=ベロの動き」が難しくなっただけの曲であり、路線的にはこれまでの曲と同じ構造をしている。つまり「4分音符なら吹けるけど16分音符だと難しい」と同じ、楽譜的・スポーツ的な問題なのだ。この時点で、現在のKREVAがリスナーに提示する「基準」の最初のステップアップは、「詰め込んだ言葉にも対応してくれ。ラップ読解の解像度を大きくしてくれ」ということになる。

まとめると、『GO』によって、KREVAの<啓蒙>は「ラップの面白さ」を教える一限目から、「ラップの難しさ」を教える二限目に移った。この<啓蒙>が成功しているかどうかは、あと数年経ってからでないと判断がつかないだろう。しかし、KREVAはリスナーを信じて、次作ではさらにギアと基準を上げることになる。

(※4)2010年発売の『OASYS』の位置づけはとても難しい。新しい境地に行く前の踏み台とも言えるし、『心臓』の残り香でもあるし、そのどちらでもないとも言える。一番近いのは「機材テスト」だろうが。

(※5)「C’mon, Let’s Go」もなかなか面白い。「Have a nice day!」よりも速いBPMでラップをしている。この頃から、KREVAにとってBPMはさほど重要な要素ではなくなったのだろう。

『SPACE』:リミッターを外したKREVAが見せた世界

2015年現在の最新アルバムが、2013年2月に発売された『SPACE』だ。

『GO』でネクストレベルを提示したKREVAは、この『SPACE』でとうとうリミッターを外したと言えるだろう。「OH YEAH」は「基準」以降の「イッサイガッサイ」と言えるような、倍速を織り交ぜたラップだ。その他、「SPACE」や「Feel It In The Air」、「俺は Do It Like This」、「調理場」も同様である。優しいラップは「王者の休日」ぐらいだ。

しかし、中でも特筆すべきは「ma cherie」だ。これは3拍子のラップで、ラップ全体で見ても非常に珍しく、そして難しい(カラオケ動画もあるのですが、この人は上手い! 自分のビートジャックより上手だ・笑)。

形式だけでも驚くラップの中で、KREVAは相当テクニカルなラップをしている。一部ポリリズムにすら感じる部分があるぐらいだ(※6)。これが2013年時点の「基準」だとしたら、リスナーは相当高いレベルを要求されている。

もちろん、KREVAの歴史は今も続いている。

2015年2月にリリースされた最新作「under the moon」は一聴すると分かるように、もはや『新人クレバ』や『愛・自分博』でラップを優しく教えてくれてKREVAの姿はそこに無い。ビートを変則的にすることでラップに砂をまぶすような、ある意味<ノイズ>をバリバリに出した楽曲になっている。リリックこそ変わらず、優しく寄り沿った内容であるが、リリックをデリバリーするテクニックにおいては「可愛い子には旅をさせよ」ばりに厳しく接しているように感じられる。これが現時点のKREVAだ。

(※6)詳しくは「KREVA「ma cherie」をクロスリズムとして読み解く」をご覧ください## 結論と回収できなかった話:三限目以上が、私なりに描くKREVAのヒストリーである。

最初から読まれた方なら、ここで一度冷静になってみて、あらためてこの変化に驚いてほしい。『新人クレバ』から10年。KREVAをとりまく状況、ヒップホップをとりまく状況、ひいてはラップに対する理解力は、ここまで変化したのだ。

そして、それをリードしたのは他ならぬKREVAなのである。

この10年の間に様々なラッパーがメジャーシーンへ出てきたが、リスナーを<啓蒙>したラッパーはKREVAだけであり、その点において、また<啓蒙>の工夫によって、KREVAは他のどんなラッパーともまったく異なる唯一無二の存在になったのだ。

というわけで、10,000字ほどの長文になってしまったが、言いたいことは140字以内でも十分に言えるほど単純だ。それは序文でも書いたが、「KREVAは、何よりも「ラップの面白さや難しさ」を日本の一般的なリスナーに理解させたかった」ということだ。

「セルアウトか否か」という点で考えるとKREVAについての理解は遠くなってしまう一方で、歌詞に共感しているだけでもKREVAを理解したとは言いがたい。まず、ラップに対する理解が必要なのだ。なので、「KREVAは<ノイズ>の少ない楽曲を通してラップの面白さや難しさを伝えていた」という歴史観のもとで作品を聴き返してみると、割とクリアなディスコグラフィになるのではないか。ということで本エントリを書いた。

とは言えー!!!

熱意だけで書き下ろしたので、ウィークポイントのたくさん残るテキストになってしまった。とくに作品批評に集中してしまい、<ノイズ>の話が少し薄れてしまったので、ここを補足しながらKREVAの未来像を考えたい。

これまで何度も書いたように、KREVAの曲は典型的なヒップホップと比べて<ノイズ>が少なく、再現性が高い。なるほど、たしかに現在のKREVAのラップはたしかに難しい。しかし実のところ、再現性の高い点では実はデビュー時とほとんど変わらない。「基準」のラップは難しい、テンポを落としてゆっくり少しずつ練習すれば誰にでも出来るようになるタイプの曲だ。ソロ活動を始めてから現在までの10年間では、音符の数の違いがあるだけに過ぎない。

しかし、これはKREVAの活動を貶める批判ではまったくない。10,000字も書いておいて恐縮だが、 ここからが私が本当に書きたい内容だ。

ラップというのは、身体のみを使ったパフォーマンスである。当然ながら、身体というのは私たちそれぞれが持つ固有のものだ。KREVAのことをどれだけ好きなファンだからと言って、KREVAと同じ身体を持つことはできない。声色、滑舌の良さ、明瞭さ、発音の特徴、そのどれもが皆それぞれ異なる。

つまり、ここで<ノイズ>の話に戻るのだが、 ラップというのはどれだけ<ノイズ>を減らそうとしても、身体性という<ノイズ>からは逃れることができない(※7)。スタイルのコピペこそ可能だが、原則的にはKREVAがラップすればそれは「KREVAのラップ」になり、あなたがラップすればそれは「○○のラップ」になる。

そして、 ラップの面白さはその<ノイズ>こそ宿る、と私は考えている。掲載したカラオケ動画をいくつか見てもらえば分かるが、仮に同じラップをやったとしても、それは全く違ったものになる。もしかしたら、「カラオケで歌っていたファンのラップのほうが何だか好き」という人もいるかもしれない。そこがラップの面白さである。

KREVAの『心臓』がなぜ素晴らしかったか。それは、前作と比べて明らかにKREVAの身体性やグルーヴ=<ノイズ>を感じることができたからだ。誰だってあのラップなら真似ができる。「成功」なんて誰にだってできる簡単な構成だ。

しかし、簡単にできるラップを「ヤバい」と感じさせるラップテクニックを持っているからKREVAは凄いのだ。

このあたりの話に興味のある人のために、『佐野元春のザ・ソングライターズ』に出演した時のKREVAの発言を貼っておこう。

学生「ラップは速い曲の方がカッコよく聞こえると思うんですけど、遅い曲をカッコよくラップする工夫はどうしていますか?」
KREVA「ドラムにはキックとスネアがあって、このスネアにはポケットがあって、このスネアの持っているポケットのどこまで後ろにのれるか。早いと一気にやれるから何となくカッコ良く聞こえるんだけど、遅いとそこの位置が正確に見えてくるから粗が目立つ。俺はそのポケットの存在をいろんなラッパーとする内に気付いて、遅いビートは逆に得意になった。演歌のベテラン歌手が、どんどん後ろにいく感じ?『そんな歌い方じゃなかったじゃん』って(笑)」
TATEVISION 佐野元春のザ・ソングライターズ サードシーズン Vol.3・Vol.4

KREVAによる<啓蒙>によって、私たちはラップを楽しむ方法、そしてその難しさの一端を学んでいる。

今後どのようなことを仕掛けてくるのかはまだ不明だが、「under the moon」で見せたようにビートを崩し始めたところからすると、KREVAの<啓蒙>はラップからトラックへと変化していく可能性は否めない。想像できないが、いわゆる「ディラ系」のモタついた<ノイズ>まみれのビートに乗るKREVAを聴くこともできるかもしれない。

もちろん、これは期待のひとつだ。兎にも角にも、KREVAが<ノイズ>をさらに増やす瞬間。そのときがKREVAの「三限目」であることは間違いなく、そしてそれは近いうちに訪れるだろう。

その頃、KREVAに対する理解はどうなっているだろうか。

全ては私たち次第、「楽しんだヤツが笑う」のである。

(※7)「身体性から逃れるラップ」という点で面白い試みをしている曲を3つ知っている。m-flo「I WANNA BE DOWN」安室奈美恵「FIRST TIMER feat.DOBERMAN INC」、そしてXnaga yuzo「Cute Ass (future school intro) ft.初音ミク」だ。


2014年12月19日に投稿されたこの記事は、素人がお笑いを語ることが恥ずかしいものとなった頃に、それでも書きたくて仕方がなくて書かれた。「自分しか書ける人がいない」という妄想は恐ろしいが、M-1グランプリが2019年に生まれ変わったことを知ると、まだまだ味のする記事のはずだ。

はじめに、簡単な結論

2014年12月14日、『THE MANZAI 2014』を制したのは博多華丸・大吉でした。

「漫才は人柄(ニン)」「誰も傷つけない」と話す大吉先生・華丸さんの通り、どのコンビよりも人柄が出た漫才は、劇場で披露するような漫才を適度にコンテスト用にアレンジしたことも功を奏し、誰もが気持よく笑えて、本当に素晴らしいものでした。

決勝の始まる前、決勝進出者の発表をチェックしたとき、そこに博多華丸・大吉の名前があるのを見て、私はそのこと自体に感動していました。それは、今となっては誠に浅慮ながら、**「若手漫才師以外にも面白い漫才師はいる」**ことを証明するためだけに出場したのだと感じたからです。

これは一部は正解で、優勝後のコメントで大吉先生は「本当に面白い漫才師さんは劇場にいます」と言いました。

しかし、結果として、博多華丸・大吉は粛々と番組を進めながら、自然とトロフィーを手にするまでになりました。これが何を意味するか、大吉先生は(華丸さんも)すべて理解していたのでしょう。

「うわーマズいな…」

Cグループを突破したとき、大吉先生は思わずこう言いました。


これから述べることをまとめると、以下の通りです。

博多華丸・大吉が優勝することによって、THE MANZAIは「若手漫才師の登竜門」という看板を完全に降ろすことになり、「年末の大きなお笑い番組」として視聴者を楽しませることになるでしょう。

M-1の初回である2001年、優勝したコンビは中川家でした。彼らの優勝から10年強の間に、M-1における漫才は進化を遂げました。そして2014年、博多華丸・大吉の優勝によって、これらの歴史は終わりを迎えました。誤解を恐れずにいえば、THE MANZAIはM-1を殺しました。

このことは、M-1とTHE MAZNAIがもともと全く異なる性質の番組だったためで、博多華丸・大吉が優勝したことでM-1は殺害されたのでなはなく、むしろM-1を殺害するために博多華丸・大吉が優勝した、と考えてもよいぐらいです。

以下、好事家のために「M-1」と「THE MANZAI」について私なりに補助線を引きつつ、上記の説明をしてみたいと思います。

M-1の持つ権威と審査性

THE MANZAIは、M-1を引き継ぐプロジェクトとして始まりました。ですから、THE MANZAIを理解するには、もう一度M-1を簡単にでも振り返る必要があります。

結論からいうと、M-1は「権威」と「批評性」を打ち出しながら、同時に「物語=歴史」を積み重ねることで、モンスター級のポップさと裏読みの可能性を持った番組として、2000年代のお笑い界に君臨しました。

M-1の**「権威」**というのは、賞金と審査員のことです。1000万という破格の金額が一夜にして入ってくる。さらに、それらを審査する人間の中に、「松本人志」という日本のお笑いのカリスマがいる。

この2つは2001年当時のお笑いコンテストの状況を考えると(オンバトでルート33やハリガネロックが活躍した頃ですからね!NHKの漫才コンクールで赤井英和が審査してる頃ですからね!)、どれだけこのコンテストがガチだったか想像できるかと思います。

お時間あれば、2001年のM-1を見てみてください。ブルー系の舞台美術も相まって、緊張感がすごいです(笑)。


もう一方の**「批評性」**というのは、「言葉で説明できる」と言い換えてもよいですが、漫才を評価するようになったこと、わたしたち視聴者が漫才について語ることができるようになったことです。

モニターの前の視聴者は「笑う」ためにテレビの前に待機していたのでなく、自分の中に住む「リトル松本」(古い例えですかね)を最大限に表面化して各コンビを審査しました。

2001年のM-1で特徴的なシーンがあります。フットボールアワーの漫才中にサブリミナル的に挿入された、ラサール石井のメモをとる姿です。

このシーンは、視聴者にM-1の視聴法を教育したことでしょう。

**視聴者はもうバカ笑いするだけの人間ではない。**どこが面白くて、どこでスベって、どこで爆発して、どこで間が悪くて、ボケとボケの間の時間はどれくらい長くて、どこのボケが独創的で、どこの手法が新しくて、どれほど会場は温まっていて、前説のくまだまさしはどれくらいウケていたのか、そのすべてを受け取りました。

音楽やミュージカルを見るようにではなく、フィギュアスケートを見るように、スポーツを見るように、視聴者は漫才を鑑賞しはじめました。

権威と批評性は、M-1が続く中で飛躍的に大きくなっていきました。

ちなみに、ここは割と重要ですが、上にアップした中川家はM-1の中では最もベテランにあたる10年目であり、彼らの漫才は安定性のある劇場ネタでした(中川家ファンとして心苦しいですが、2005年にこの漫才をしていたら最下位だったかもしれません)。

M-1の物語、審査性の飽和

前述のようにして、権威と審査性を打ち出して盛り上げたM-1ですが、大会が進むに連れて、そのガチさに別のエッセンスを取り込み始めました。それが**「物語=歴史」**です。

M-1は、大会を重ねるたび、さまざまな物語を生み出しました。2003年は前回2位のフットボールアワーが「悲願」の優勝。2004年は前年の敗者復活で大盛り上げしたアンタッチャブルが「悲願の正面突破」で優勝。2007年は敗者復活で勝ち上がったサンドウィッチマンが勢いのまま優勝。2010年は晴れて笑い飯が優勝、などなど。

もちろん優勝コンビだけでなく、2位のコンビや「麒麟枠」と呼ばれるコンビなど、確実に「M-1の歴史」のようなものが積み重なっていきました。

その中で、視聴者は当日の漫才の出来を「審査」するだけでなく、当日の流れを「予想」するようにもなりました。「誰が勝つか?」だけでなく、**「今年のM-1は盛り上がるか?」**という問いが重要になってきたわけです。

好事家の中には「〜が優勝する流れだろう。でもその流れを壊す力を持っているのが〜で、敗者復活から〜が上がってきたらすごい面白い。しかし、そういう大会なんだから、大事な1枠を使ってまで〜をなぜ決勝に上げたのか理解できない」といった具合に、さまざまな観点からM-1を予想、評価していた人も多いはずです。

また、番組自体の面白さを追求する一方で、「批評性」に特化した漫才、いわゆる「M-1用の漫才」も生まれました。

前述の通り、2001年は普段通りの漫才をM-1で披露しただけでした。しかし、2005年のブラックマヨネーズが島田紳助に「4分の使い方抜群!」と言われたことや、2008年のNON STYLEやナイツの「手数」が取り上げられたように、漫才師はいかにしてM-1の4分間を攻略するかを考え、視聴者もそのチャレンジを審査していました。

この行く末は、みなさんもまだ覚えているかもしれません。

M-1が終わる2010年。「よくある漫才」を披露するコンビは銀シャリぐらいでした。そして、手数による攻略法が飽和した結果、最終的にスリムクラブのような手数を無視した遅すぎる漫才に視聴者と審査員は唸り、笑い、どうしてもこれを評価せざるを得ませんでした。こう考えると、この年にM-1が終わったのは正しい選択だったのかもしれません。

M-1のような、そうでないTHE MANZAI

えー、やっとTHE MANZAIに帰ってきました(笑)。

このようにしてM-1が終わったすぐ後、THE MANZAIが「M-1の後継プロジェクト」として始まりました。しかし、これまでのような説明を踏まえて、THE MANZAIを見ると、M-1と明らかに違う点がいくつもあります。さきほどのキーワードで比べてみましょう。

  1. **THE MANZAIには「権威」がない。**1000万もないし、松本人志もいない。ビートたけしは大物だが、「今」のお笑いを評価することに納得する人は少ないだろう(たけしはお笑いの一線にいるわけじゃないから)。テリー伊藤やヒロミが面白い漫才師を決めて納得するか?

賞金も、お金でなく冠番組が手に入ったり、カップラーメンがたくさんもらえたり、豪華なバラエティー番組の印象を受ける。

  1. **THE MANZAIには「批評性」がない。**カットインされる審査員の映像はみんな笑っているもので、視聴者は冷静に「審査」するよりも楽しく「笑う」ことに誘導される。

この誘導は、とくに「ワラテン」というシステムが象徴している。「『あははは』と笑う感覚でボタンを連打する」、このシステムを使用するためには、クールな姿勢ではいられない。

  1. **THE MANZAIには「物語」がない。**まだ歴史が積み重なっていないだけかもしれないが、私の見立てではおそらく今後も歴史は発生しない。むしろ、より刹那的になるはずだ。それは決勝に出る漫才師が本戦サーキットの得点によって自動的に決まる、ある意味M-1よりもガチな決めた方も理由の一つである。

また、コンビ結成期間の制限もないため、どんなコンビでも出てこれる。博多華丸・大吉はこのシステムがあったから当然ながら出場できた。だから「最後のチャンス」というのは永遠に訪れない。

これらの要素から、THE MANZAIという番組は、「M-1の直後に始まった番組」というだけであり、まったく違う観点でデザインされていたことがわかります。

では、その観点とはなにか。それは、結局のところ「爆笑ヒットパレード」のような、家族みんなでご飯でも食べながら見れるような番組なのではないか、ということです。

これは、今年のTHE MANZAIの序盤のシーンでも見てとれます。プロジェクションマッピングを使用した出演者紹介から、たけしの開会宣言という体をとったコント。これを見たうえで「さて、真剣に漫才師を批評しよう」と思う視聴者はほとんどいないはずです。

しかし、一方で視聴者は、そしてTHE MANZAI自体も、そう簡単に変化はできません。M-1による10年間の学習は、THE MANZAIにも適用されてしまいます。**THE MANZAIはM-1である。**そう思っていた視聴者は多いことでしょう。

これは出演する漫才師も同様でした。新しいことやインパクトの強さを漫才に込める必要があると信じ、M-1でやるようなネタを持ってきたコンビもいました(今年でいえば、和牛などはM-1タイプのネタだと思います)。

THE MANZAIのテンダラーと博多華丸・大吉

このように、なんとなくM-1のような番組かと迷いながら見ていた視聴者に対して、THE MAZNAIがM-1でなくTHE MANZAIであることを伝えたコンビがいました。2014年のオープニングでも登場したテンダラー、そして優勝した博多華丸・大吉です。

彼らの登場によって、M-1では絶対にあり得なかったことが起きました。野望に燃えた若手漫才師の競い合いを見るのでなく、主にベテランの味を楽しむことができるようになったのです。それは、「誰が優勝するか?」というM-1にとって重要な問いを無効化するものでした。

私も、2011年の博多華丸・大吉を、2012年のテンダラーを、「ベテランの漫才もやっぱり面白いなー」と感心して見ていました。

ただし、これは彼らが決勝に進出しないことを念頭に置いた感想です。なんだかんだいってもTHE MANZAIは「若手漫才師の登竜門」であり、主役はこれからのお笑い界に殴りこむ若手漫才師だろう、とタカをくくっていたからです(実際、テンダラーにはめっちゃくちゃ笑いましたが、実際に買ったのはハマカーンでした。もちろんハマカーンも面白かったけどさ!)。

そして、このような甘い考えをブチ破ったのが博多華丸・大吉でした。あらためて見直すと、これは偶然でもなく必然にも思えます。

まず、博多華丸・大吉と争った三拍子について、審査員が彼ら2組のどちらに投票したかを見ると、明らかな特徴(「特徴」なんて生温い。「殺意」と言っていいと思いますが・笑)が見て取れます。

それは、三拍子に投票した審査員のほとんどはM-1の審査員を務めた経験があり、博多華丸・大吉に投票したほとんどはTHE MAZNAIではじめて審査員を務めた側である、ということです。多かれ少なかれ、それぞれの「姿勢」が反映された瞬間です。

このように審査員の整備がキッチリ完成したとき、博多華丸・大吉が決勝進出を決定したことで、THE MAZNAIはM-1を殺し、自分の人生を歩き始めることになりました。

簡単な結論と、おわりに

たいへん長文になって恐縮ですが、博多華丸・大吉が決勝進出を決め、さらに優勝したときに、いっぱいの感動が訪れたのと同時にどれだけ大きな衝撃が示されたか、少しでもご理解いただければ嬉しいです。

以下、頭のおかしい25歳の妄想だと思って聞いてほしいのですが、実のところ、THE MANZAIはM-1というモンスターコンテンツの扱いに戸惑っていたのだと思います。だから、4年かけて周到な殺人計画をたてた。フジテレビは犯行現場や凶器の準備をしました。博多華丸・大吉が結果的に引き金をひきましたが、今年がダメだったらまた来年・再来年を待つだけでした。大吉先生の「うわーマズいな…」というつぶやきは、自分たちが決勝進出したことの意味を深いほどに感じて思わず出てしまったのではないでしょうか。だって、2011年の彼らの漫才だって十分優勝できたんだから。「今年の漫才」である必要はもうないんだから。

この大会を境に、THE MAZNAIは「若手漫才師の登竜門」という看板や「もっとも面白い漫才師を」という意義からやっと解放され、まるでレッドカーペット賞を決めるような軽さで、その日一番ウケたコンビを称えるようなコンテンツに変わるのだと思います。

これをどう評価するかは別れるかもしれませんが、私は良い変化でもあると感じます。M-1による審査性が高まった結果、とんでもない情報量の漫才が編み出され、M-1の価値観が漫才の価値観とイコール化しはじめたことで、漫才の楽しみ方が逆に狭まった可能性は否めません。

THE MAZNAIは、M-1のような漫才の進化を促すフォーマットではありませんが、代わりに、そのフォーマットによる枷を外し、博多華丸・大吉のような素晴らしい漫才師を紹介することができるし、その中で注目の若手も紹介できる(そういう意味では、もっと負けたコンビに対する言及が欲しいところ)。ビートたけしがちょっと邪魔に感じたことも、ワラテンによる一票がどうしても気に入らないことも(だって爆発力はワラテンじゃ測れないじゃん!)、すべてがプラスの方向に転じるかもしれません。


M-1の中川家が始点、THE MANZAIの博多華丸・大吉が終点となり、ひとつの歴史が幕を閉じました。その間に、たくさんの漫才師が生まれ、漫才が生まれ、進化があり、硬直化があり、そして解放がありました。

2015年からの漫才はどうなるのでしょうか。これまでより少し和やかに笑っていることは確かかもしれません。


新装開店

2020/08/16

2020年8月16日、日曜日。

長年使っていたWordPressを辞めて、Gatsby+Github+Netlifyに切り替えてみた。サイトの記事が全部なくなってしまったが、これから復元していく予定。

WordPressはリッチテキスト(?)でブログを書いていたのだが、これが面倒になってMarkdownですべてを完結させたいと思うようになってきて、今回の移動になった。GatsbyはReactを使っておりキャッチアップが必要なので、これを機にフロントエンドも少しはできるようになろうかな。


ちなみにブログを書いていない間は、ずっと動画を撮っていた。

具体的には非公開のVlogとしてLinuCの学習進捗を記録していたのだが、これが個人的にはすごいよかった。すでに40本ぐらいの動画を撮って(1時間勉強したら動画を撮るようにしたので40時間ほど勉強したこともわかる)、そろそろ最終回を迎えそう。

ブログの他には、QiitaPythonでゆっくり学ぶ「依存関係逆転の原則」を投稿し、現在はnote用に楽曲レビューを投稿しようと下書きをまとめた。大声では言えないけど、B(Baby。以前見たテレビで赤ん坊をそう言っていたのが個人的にツボに入った)を育てながら久しぶりにニート時代のような素晴らしい時間を満喫しているように思う。


2020年5月12日、火曜日。

午前6時に起床。最近朝早く起きる(起こされる)ことが当たり前になってきて、生活リズムが変わりつつあることを感じる。Bのおかげで自身のQOLが向上しているわけで、育児ってのはメリットもあることを実感。

その時間は何をしているかといえば、Bをあやしながら撮り溜まったバラエティを見るだけで、総集編らしく、どのバラエティも腹爆発レベルの回だった。その中でも『くりぃむナンチャラ』と『有田ジェネレーション』は何度見ても面白い。パンティ仮面の相撲対決を二度も見たのだから、もう一生忘れないだろう。


CourseraはSeriesとDataFrameについて勉強。一次元と二次元の違いがあることや、“Boolean Masking”と呼ばれるデータの絞り込みについて学んだ。

あと目移りしてばかりだけど、Linuxの試験勉強もいいかなと思った。とくに現キャリアにおいて早めに効果を感じられる気がするので。


Coursera再開

2020/05/18

2020年5月11日、月曜日。

すこし余裕が出てきたので、ついにCourseraの学習を再開。かんたんなNumPyの使い方のエクササイズをクリアする。とはいっても調べながら解答したので身についている訳ではない。

やったことを動画とか音声でまとめておいてもいいかな、と思った。これを配信するとYoutuberになる訳だ。