koboriakira.com

初回の感想と批評を書いてから3週間が経ちました。

これまでに、いらんいらん、天然ピエロ、アルドルフ、ダイキリが削られ、残り5組。

「あまりに順当すぎてつまらない」とか、「このガチ感こそNHK。どんどんやれ。でも恋愛は要らねーぞ」とか、「いや、

Aマッソ加納ちゃんがいるからまだ観てるんだ。 とにかくもっと映してくれ!」とか色々あると思いますが(内なる声なのかこれは・笑)、とりあえずは楽しく視聴しております。


初回の感想で「ガチとヤラセ」の話をさせていただきましたが、第4回まではちょっと私の記事が的外れなぐらい、まともに番組が進んでいます。

これ、実は凄いことです。出演者も演出も番組の盛り上がりを過剰に気にせず、面白い漫才をつくることに真剣になっている。恋愛要素もガチであることをわざわざ教えてくれたり(笑)、

とにかく真面目です。 それは、番組の約半分を漫才に費やしていること、ネットで完全なネタを見れること(※1)、そして講師のストイックさからもわかります。

とくに中川家による「ツカミ」の授業は、久々にスカッとしました。たったの1時間程度の講義で「こころ」の漫才が倍以上に面白くなる瞬間に立ち会えたからです。

こころは『笑けずり』にもう欠かせない存在 になってしまいまして、今後もし削られることがあれば、それが『笑けずり』の最終回です。 というか、もう_決勝が「Aマッソ、ザ・パーフェクト、こころ」の対決_ になるんじゃないか、と予想する方も多いと思われます。ここに「ぺこぱ」が割って入れば、まあそれはそれで楽しいですよね(松蔭寺さんのことをどんどん好きなります。すごい芸人ですよねこの時点で)。

次週の第5回は、当コメント欄でも話題になった「セカンドシーズンでいいから呼んでくれ」のバイきんぐが出るようで、そういう意味では、むしろ講師陣のほうが読めなくなってきてしまいました(笑)。

ザックリですが、いまはこんなところです。とりあえず現状記録だけでも。では。

(※1)下のURLから、第3回(笑い飯回)で1位を取ったAマッソの漫才も見れます。1本目、めちゃくちゃ面白かった。このシーズンで一番好きであろう。

http://www.nhk.or.jp/warakezuri/archive/story_03.html


「弁護士ってアレでしょ? たいして仕事も無い割に、暇な時間つかってお笑いの感想書いてお金もらえるんでしょ? いーーーーい仕事だなーーーーー!」 ゲスニックマガジン編集者の血が騒いでなりません。 「NHK「LIFE!」でわかるウッチャンナンチャン内村がテレビでコントをやってはイケない理由 |メディアゴン(MediaGong)」という、衝撃的な記事が公開されました。お笑い童貞、高橋維新さんの最新作です。

一部引用などというのは、こちらの編集が混じってフェアでないですから、読みづらさもあえて飲み込み、全文引用しながら反論します。

またこれで「高橋維新」流れでブログのアクセス数が増えてしまうのだけが悔しいです。KREVA論とかのほうが面白いですよー!

素人好きの童貞弁護士

2015年9月3日、内村光良(ウッチャンナンチャン)をメインに据えたNHKのコント番組「LIFE!~人生に捧げるコント~」(以下「LIFE」)が放送された。
現在、地上波から「コント番組」と銘打ったコント番組はなくなりつつある(http://mediagong.jp/?p=1028)。現在コント番組ということを前面に出している「コント番組」をやっているのは、この内村のほかには、志村けんぐらいのものである。
なぜコント番組が少なくなったか。
端的に言えば、おもしろくないからである。もっと正確な言い方をすると、「コント番組」より確実におもしろいものが他にあるからである。

なかなか魅力的な書き出しです。フリとして機能しています。

コント番組というコンセプト自体が内包するジレンマとして、「この番組はコント番組です」と銘打ってしまうと、視聴者が「今から画面の中でおもしろいことが起こるのだな」と期待してしまい、ハードルが上がってしまうというものがある。
これを回避するためのひとつの手段が、コント番組であることを隠してコントを行う「ドキュメンタリーコント」である。このドキュメンタリーコントという手法は、「めちゃイケ」や「ガキ使」に典型的に見られる(http://mediagong.jp/?p=1028)。
ここまでに述べたのはコント番組全てに共通する問題だが、内村のコント番組には内村のコント番組特有の問題点がある。
台本がガチガチ過ぎる(ように見える)のである。

ここから、「高橋維新節」とでも言うべきか、ものすごい主張が始まりました。

まず、「コントはハードルが高い」って話です。視聴者の期待がハードルを上げるなら、全てのバラエティはハードルが高いのではないでしょうか。

高橋維新さんがいつもご視聴なさってる「めちゃイケ」は、ハードルが低いのでしょうか。ならば、なぜ高橋維新さんはいつも一所懸命に「めちゃイケ」をご批判されていらっしゃるのでしょうか。

歩みよれば、高橋維新さんは「番組に対するハードルではない。ボケに対するハードルなのだ。ボケが起きても「ああ、これは台本上のボケなんだな」となるからハードルが上がるのである」と仰られるでしょう。

ところで。そもそも 「ハードルが上がる」ことの何が悪いのでしょうか。 下がりきったハードルを軽く飛び越える番組を、高橋維新さんはご視聴されたいのですか。

「ヤラセ(台本)はイヤだ。ガチがいい。少なくともヤラセ(台本)だとバレないようにしてほしい」 というのは、

「AV女優はイヤだ。素人女子高生がいい。少なくともAV女優だとバレないようにウブでいてほしい」 というのと同じように聞こえます(まあ、少しは気持ちわかるぜ、維新ちゃん)。 でも、お笑いの批評を書くような方がこのレベルって、いくらなんでも酷くないですか?

薄すぎる「緊張と緩和」

内村は、芝居が巧い。演技力が高い。元は演劇の修業をしていただけあって、本職の役者に匹敵するほどに巧い。だから、台本を忠実に守れる。監督や脚本家の要求を過不足なくこなすことができる。コントにかける姿勢も真摯であるため、台詞も一字一句正確に覚える。
「芸人」と呼ばれるジャンルの演者は、演技力や芝居に対する真面目さの振れ幅が大きく、内村ほど芝居が巧い人(宮迫博之・岡村隆史・田中直樹・塚地武雅など)もいれば、そこまででない人もいる。内村ほど真剣に台詞を覚える人もいれば、そうでない人もいる。そのため、台本通りの演技が求められるシリアスな芝居では、人を選ぶことになる。
しかし、コントのようなお笑いの芝居においては、台本を忠実に守れること、台本を忠実に守ることは、逆に弊害を生む。台本を忠実に守るということは、逆の見方をすると台本から一歩も外に出ないということなので、
台本がつまらなかった場合はどうにもならない。

高橋維新さんの大好きな「めちゃイケ」は、「アメトーーク」は、台本がつまらなくてもどうにかなっているんでしょうか。

トチリやカミからくる笑いも起きなくなる。
これらの笑いは、台本が実現された場合の「狙い通り」の笑いとは種類の違う笑いであり、アクセントになるのだが、台本が守られるとこの「アクセント」が皆無になるので、笑いも一本調子になる。結果、見ている方も飽きやすい。
また、 台本の台詞が忠実に守られた状態で劇が展開すると、緊張感が生じてしまう。
笑いにおいて緊張は大敵であり、緊張それ自体はフリの役割しか果たさない。
「緊張と緩和」理論からも分かる通り、その後「緩和」というボケが来ないと笑いは起きないのであるが、台本や台詞がよどみなく進行すると、緊張しっぱなしになってしまうのである。無論、台本で緩和を足しておく手段もあるが、
本当に起きたハプニングよりは予定調和感が生じるのは否めない。
台本が守られたコントは、笑いにおける「奇襲」や「意外性」をも減退させるのである。演者たちにはもっとリラックスしている様子を見せてもらった方が、学校における友達との会話に参加しているような安心感と自然な笑いを視聴者に提供することができる。
そのような意味で、台本をガチガチに守ることは、逆説的に笑いの本質に悖る所為である。台本は、できることなら緩々の方がいいし、台本を守るよりおもしろい方向性が本番中に見えたのならそちらの方向に進んだ方がよい。
その方が、トチリやカミというアクセントの笑いも生じやすくなる。台本がつまらなかった場合でもなんとかできる。演者も「台本を守らなければ」という緊張感がなくなってリラックスするので、客もリラックスして笑いが生じやすくなる。ハプニングも起きやすい。

「悖る」という難しい言葉を使うも内容はしょーもない、というまさしく「緊張と緩和」を実践しておられます。高橋維新さんは、コントを見て一度も笑ったことがないのでしょうか。台本通りに進んだコンテンツで、お笑いにはなられなかったのでしょうか。

もし、 「緊張=台本通りに進むこと」、「緩和=ハプニング」と捉えているとすれば、これほど薄いお笑い理論もありません。 ただ単純に高橋維新さんがハメ撮りを愛してるだけです。

また、「トチリやカミ」をしきりに強調されておられますが、この種の笑いをコントの笑いと同列に捉えているのは、あまりに愛情が無いと思います。私は吃音の気がありますが、それで笑われても「よし、俺は笑いを取れる」とは思わないです。

というか、「客もリラックスして」って、「LIFE!」はスタジオコントですからね。リラックスも何も、って感じです。

アンタッチャブルは、漫才の台本をザックリとしか作らず、一字一句台詞を指定してはいないという。「オレたちひょうきん族」(フジテレビ・1989〜1989)にも、事前に用意するのはシチュエーションだけで、あとは明石家さんまに好き勝手に暴れてもらうというコントがあった。
「ダウンタウンのごっつええ感じ」でも、演者のアドリブに任されている部分の比重が非常に大きかった。笑いにおいては、台本という予定調和は弊害を生むことの方が多いのである。
内村にとっては、台本を守れるだけの高い演技力があったことが逆に悲劇であった。だから、
内村のコントは台本を守るだけの一本調子のものになり、視聴者も離れていったのである。
内村のこの高い演技力は、彼が芸人よりも役者に向いていることを示している。
もちろん、台本そのものがおもしろければそれを忠実に再現することによって大きな笑いを生み出すことは可能なのだが、そのような台本は極めて稀であるというのが実情である。リラックスした芸人たちの自由に任せた方が、おもしろいものが生まれる可能性が高いのである。

「台本を守る」=「一本調子」という論理が、やはり高橋維新さんの浅さを露呈しています。どんだけハメ撮り好きなんだ、って話です。というか、

ウッチャンの魅力って「台本を守るだけ」ではなく、「台本を抑えつつ、臨機応変にも対応する」ところじゃないですか? 先日の「LIFE!」生放送では、日本代表が3−0で勝ったことに触れたり、VTR振りを女マンでやったりしていますが、どうでしょうか。

笑いが生まれる可能性が高いほうを取るあたり、高橋維新さんはリアリストなのかもしれません。しかし、

その結果生まれる笑いって、明日も明後日も、来年になっても「あれは面白かったなー」って思い出せるような笑いなんでしょうか? 芸人たちの自由に任せたお笑いにそれぐらいのインパクトが出ることって、それこそ極めて稀でしょう。

今回放映された「LIFE」も、このような台本ガチガチのコントの問題点が全部出ている。演者は、主役の内村のほか、役者と、ココリコ田中・ドランクドラゴン塚地という内村に匹敵する演技派芸人で固められており、台本を忠実に守ることが志向されている。
視聴者の眼前に展開されるのは「役者のコント」に過ぎず、「芸人のコント」ではない。
大しておもしろくない台本を忠実に守らされている田中や塚地を見ていると、不憫にさえなってくる。この2人は役者のみならず芸人としてのポテンシャルも高いのだから、「芸人のコント」をもっと自由にやらせてやればいいのになと思う。
笑い所で人工の笑い声を足すという演出も古臭いだけである。このような演出は、裏を返せば、作り手が「笑い所が分かりにくい」と考えているということである。自分でおもしろいと自信が持てない作品を世に出すのはいかがなものだろうか。
今回独自の試みとして、生放送で視聴者に投票をしてもらい、その結果いかんでコントの内容が変わるという部分があった。出演者がみな演技派なので、生放送の部分も収録済みの部分も芝居のクオリティが全く変わらなかったのは確かだが、元の台本が大して面白くないことに代わりはないので利点としては生かせていなかった。
田中扮するプラス車掌というキャラクターが他の演者の変なところを暴露するというコーナーもあったのだが、NHKなので民放の同種の企画と比べれば暴露内容もそれを受けた演者のリアクションも控え目だった。なので、暴露の内容を聞いて笑っている演者たちを見ても、芝居ではないかという疑念が消えなかった。

笑い声を足すことに対する不満ってのは、もう本当に時代遅れというか、じゃあ全部そうじゃないですか! 高橋維新さんに革命を起こしてほしいですよ(笑)。

あと、今回の生放送って本当に「芝居のクオリティが全く変わらなかった」ですかね?

優しすぎですよ高橋さん(笑)。むしろ、生放送に慣れてる羽鳥アナ(とウッチャン)以外は、みんな緊張しているように見えました。ファン的には、それはそれで面白かったんですが、すこしスベってる感もありましたよね?(笑・急にLIFE批判側になったりする)

「笑うこと」だけが「お笑い」なのか?

という感じで最後まで読みましたが、高橋維新さんが「芸人だらけのハプニング大会」をお好きだということはわかりました。

ザックリ言ってしまえば、高橋維新さんは「ガチ」と「ヤラセ」への耐性がちょっと足りないんじゃないか、と思います。あとは、前記事でも書きましたが、とにかく_笑いのツボが少なすぎます。_ 貪欲さが無いです。別に問題はありませんが、ライターとしては失格だと思います。

ここでやっと『LIFE!』に対する自分の視点を書いてみます。『LIFE!』肯定側の意見です。

『LIFE!』は、皮肉にも高橋維新さんのような凝り固まった「お笑い像」をほぐしていくような番組です。 これは高橋維新さんだけの問題でなく、M-1以降の、ひな壇以降の、バラエティに対するひとつのアンチでもあります。お笑いの幅が狭くなってしまったことに対するアンチです。

というのは、現代のバラエティは、 普遍化 (どんな番組にもお笑いの要素が入っている。たとえばトチリやカミ、ですが)と、 島宇宙化 (芸人と芸人好きな人にしか伝わらない、いわゆる身内感)が極端になっている。というのが私の見立てです(ここ、また別の機会に書きたいんですが、まとまらず)。

少し焦点がズレますけれど、高橋維新さんの言葉を使うならば、最近のバラエティは「ハードルの下がった笑い」と「芸人たちの自由な笑い」しかない、とも言えます。笑いの種類が限定されてきている訳です。

この状況を崩しつつある番組のひとつが、(高橋維新さんはお嫌いな言葉かと存じますが) 「良質なコント」 あるいは 「バカ笑いするタイプじゃない笑い」 を提供してくれる『LIFE!』ではないでしょうか。 違法であることをお許しください。2013年8月20日に放送された『LIFE!』シーズン1。42:00から_「カッパのおじさん」_ というコントがあります。 これを見ても、やはり「台本ガチガチのコント」は面白くないでしょうか。

泣きながらも少し笑ってしまうことは、「面白さ」のどのカテゴリ、ランクに属するのでしょうか。 こういったコンテンツは、少なくとも高橋維新さんの仰るような「下げたハードル」や「芸人の自由」でつくり上げることはできません。

LIFE!人生に捧げるコントseries-1 #2

投稿者ainsoph1225 今見ても面白いです。

やっぱり面白いですよ、コント。コント番組より面白いものなんて、そうそうないです。

あ、まだ一文だけ残っていました。

内村に才能と実力があるのは認めるが、だからこそ、テレビのコントはやらない方がいいのではないか。

うるせー! 二度とそのキーボードに触れるな!


前回の記事の続きです。

前回は、J-POPでDJすることの難しさや、「繋ぎどころ」を見つける作業について書きました。 後編では、実際の繋ぎ方から書いていきたいと思います。

どうやって繋げるか

繋ぎどころを見つけても、 いきなりミックスには入りません。 まずは、その小節数を把握することから始めます。これ、初めてであれば絶対に大事です。

だいたいの繋ぎどころは4小節や8小節になってると思うんですが、たまに2小節だったり7小節(6+1って感じです)なんてのもあったりします。

で、これを覚えます。「何分何秒から何小節の繋ぎどころがあるか」をCD-Rに書いていた頃もあります(今はTraktorにCUEを打って管理しています)。

小節数をちゃんと把握すると大きなメリットがあります。それは、いま流れてるA曲の終わらせどころ(アウトロ)と、次のB曲の入りどころ(イントロ)を同じ長さでミックスできることです。

すごい単純ですよね。でも、この準備は大事です。どれだけ経験があっても、準備しないに越したことはありません。

たとえば、前編で紹介した2つの例は、繋ぎどころの小節数が同じです。だから、パッと聴いても自然に聴けるはずです。

もし繋ぎどころがズレると、A曲のアウトロがまだ終わってない間にB曲のボーカルが入ったりします。もっと嫌なパターンだと、B曲がちゃんと始まらないうちにA曲が無音になってしまう、とか。

こういうことを防ぐためにも、小節数の把握は重要です。

サビからつなぐか、間奏でつなぐか

好事家の話題ですが、私見では、繋ぎどころを間奏にするDJとサビにするDJがいる、と考えています。私は「間奏派」です(前編の2つの例がそうです)。

「サビ派」は、A曲のサビからB曲のイントロを始め、A曲のサビを少しずつ下げながらサビの終わりでB曲のボーカル(や豪華なイントロ)に繋ぎます。 そんなわけで、「サビ派」のミックスはどんどん曲が耳に入っていくような感じがします。

一方で、 「間奏派」のミックスはすこし休憩がある。「次行くぜ―!」みたいな準備期間があります。 これは曲調や好みによって分かれると思います。よろしければ、色々と試してみてください。

繋ぎどころの小節数を合わせる

上述した小節数の把握について、異なる小節数をミックスしたい場合はどうすればいいでしょうか。 私の場合は、無理矢理合わせています(笑)。

たとえば、8小節のアウトロに4小節のイントロを入れるなら、アウトロが始まってから4小節後にイントロをかけます。

2小節なら、アウトロが始まってから6小節後にかければ同じになりますね。

急に入ってくる感じはありますですが、フェーダーやフィルターである程度は違和感を薄められます。 また、私が一番好きなのは、ループを使ったミックスです。ここで、前編で紹介した「ドラムだけのパート」が活躍します。

「おしゃべりオムライス」最終回 DJMIX by コボリアキラ

by Akira Kobori

on Mixcloud

たとえば例に挙げたミックスには、私なりの腕の見せどころがありまして(笑)。 13:30頃からのPerfume「スウィートドーナッツ」から少女時代の「GEE」なのですが、「GEE」のAメロ前のドラムをループしています。「GEE」の元の構成は、こちらでご確認ください。

元のドラムパートは1小節だけですが、この中の1拍をひたすらループさせることでロングミックスが可能になりました(ちなみに「GEE」に変えたあとも、「スウィートドーナッツ」のシンセを裏で鳴らしています。こういうところに気付いてもらえると、やってる側は泣いて喜びます・笑)。

もうひとつ14:35頃では、「GEE」から「シャバダバドゥー」に繋いでいますが、これもループを使ってます。「GEE」の間奏部分のドラムをループさせて、その上に道重のボーカルが乗っています。

有名曲ほどループを使って「意識づけ」をする

ループの使用は、DJ的な面白さを見せることもできますし、何よりも様々な曲に対応することができます。16小節だろうが64小節だろうがループすれば、何とかなりますから(笑)。

あと、私が好きな手法で、**「意識付け」**というのがあります(スクラッチをしないので、ロングミックスで面白さを出すしかないんです・笑)。

たとえばORANGE RANGEの「ロコローション」。最初の4小節がドラムソロで、女性の声ネタと進んでいきます。有名な曲なので、イントロでお客さんもわかってくれる人が出てきます。

この知名度を利用して、あえてドラムをループさせながら前曲をフェードアウトさせます。すると、気付いてくれたお客さんから順に反応が出てくるので、気持ちの準備ができたところで声ネタに移行させたりします。

失敗するとちょっと寂しいんですが、ハマると楽しいです。サカナクション「アイデンティティ」は、このタイプの現状ナンバーワンで、イントロのパーカッションをループさせると、雰囲気によってはサビ以上に盛り上がって始まります(笑)。

他には、曲の途中にあるドラムソロをループさせて、その間にサイドMCに盛り上げてもらったり自分が煽ったりして、そのまま続きを流したり、次曲に差し替えたりすることもできます。

このようにドラムソロは本当に使いやすいので、素晴らしいかつドラムソロのある曲はプレイリスト候補に入れておきたいです。

エフェクターはまずフィルターのみで

最後にエフェクターです(選曲の話を書いていませんが、別の機会にやれれば、と思います)。

ミキサーに付属している、またはDJソフトに内蔵しているエフェクトがたくさんありますが、正直J-POPではあまり使いません。これは「J-POPだから」だと思います。 というのは、 お客さんはJ-POPを聴きに来ています。

これ、意外と他ジャンルと比べても厳しいところです。

たとえば、お客の好きな曲や、良いメロディの曲がかかった。このとき、DJがサビでフランジャーを使ったりして盛り上げようとしても、お客さんは冷める向きがあります。「いやいや、歌聴かせてくれよ」みたいな(笑)。

なので、私はエフェクター類にはほとんど触れません。だからテクニックも育ちません(笑・リバーブかけたり、ディレイでフェードアウトさせるぐらいです)。

かわりに、たまに使うのがフィルターです。要するに、音域は操作しても大丈夫だろう、という考えです。

たとえば、よくあるパターンとして、サビ前の「これから盛り上がる!」という手前でハイパスをかける。あるいは、じわじわと盛り上がるBメロにローパスをかける。

これはクラブミュージックでもよくある使い方でしょうか。サビには手をつけず、サビ前をフィルターでイジって盛り上げるのがベターかな、と思います。

合唱系ならハイパスをかけることも

上のルールを破るパターンがひとつだけあります。それは**「合唱」**するような曲です。

たとえば、イベントの終了間際。お客全員も良い気分になっていて、超有名曲のサビで合唱するようなシーンがあります。

このとき、自分は軽めにハイパスをかけます。ボーカルを半分くらい消して、その分をお客さんの声で埋めるような感覚です。

これ、ライブでアーティストがマイクをお客に向けるのと同じで、**「みんなの声を聴かせてよ!」**というメッセージが意外に伝わります。

合唱であれば、サビでなく合いの手でもこの手法は使えます。サザンオールスターズの「勝手にシンドバッド」が好例で、「いま何時!!」の箇所とかですね(よほど声が聴こえるならフェードごと切る手もアリです)。


以上、書き殴りで恐れ多いですが、経験則をできるかぎりまとめてみました。意外と考えてやってんなー、というのがライティング後の感想です(笑)。

本当に経験則を書いただけなので、もし同じくDJをされてる方がいたらコメントいただけると、より深みのあるエントリになるかと思います。ぜひよろしくお願いします。

---最後に告知。現在BATICAという恵比寿のクラブ/バーで行われている「ろくでなし☆J-POP」というイベントにレギュラーで参加しております。 かるくアルコールを入れながら、「アハハハハこの曲なつかしー!」とか「今聴いてもこの曲はヤバいわ」とか言って楽しむイベントです。よろしければ一度、遊びにお越しください。初入場の方用の割引も用意していますし、こういうテクニック論の雑談も嫌いじゃありません(笑)。それでは。


数少ない音楽理論の先生であり、友人(先輩)のneraltさん。最近は、DJミックスに関するオンライン講師も始められました。 オンラインDJスクールレッスン資料 | Music Theory Workshop Japan

neraltさんの素晴らしいところは「○○と共演経験アリ」という権威的なものなどではなく、「TRAKTORの取説をきちんと読んで実行した」という基礎に根付いたものであることです。ですから、「DJをやってみたい」という人には適切な講師のはずです。

それで、これにブワッと即発されました(笑)。 自分も一応J-POPのDJをやっているので、これまでの経験則をまとめてみたいと思いました。思い立ったが吉日。

はじめに

後述しますが、J-POPのミックステクニックは、他のジャンルとちょっと異なります。

また、参考音源はmixcloudにアップしているこちらにしました。『おしゃべりオムライス』という伝説のネットラジオの最終回で流れたミックスです(伝説のまま終わらず、復活しました。君たちはジェイ・Zか)。

「おしゃべりオムライス」最終回 DJMIX by コボリアキラ

by Akira Kobori

on Mixcloud

J-POPは「DJ向け」の音楽ではない

まず、J-POPはクラブミュージック(ハウスやヒップホップ)に比べて、DJミックスが難しいことを知る必要があります。 なぜなら、**J-POPはDJミックスに使われることを考慮していません。**たいていの作家は、DJ用途より一般リスナーのことを考えるはずです。当たり前かもしれませんね。

たとえば、ミックスは8小節や16小節単位で行うのが簡単なのですが、J-POPでは2小節しか繋げそうな箇所がない、みたいなことがザラにあります。

そんな訳で、「本当は流したいのにミックスが上手くいく箇所が無いから使えない」という曲が、DJなら少なくとも1曲はあります。それを上手く流すDJを見ると、ちょっと感動したりして話しかけに行くぐらいです(笑)。

初めてなら、まずはハウスから

上のような理由から、もし初めてのDJがJ-POPやアニソンだとしたら、悪いことは言いません。一度、ハウスなどで練習してみてはいかがでしょうか。

ハウスのオムニバスを1枚借りてきて、収録曲をランダムにミックスするだけでも充分すぎる練習です。

実のところ、いまのDJにテクニックはそれほど求められていません(実感。選曲やキャラクタに重みがある気がしています)。しかし、最低限のテクニックは知っておくべきでしょう。

本当にたまに、ですが、クロスフェード(テンポの一致を無視し、一方のボリュームを下げ、もう一方のボリュームを上げる)だけで繋いでる人もいます(まあそれでもOKなんですけど・笑)。

ハウスはJ-POPと異なり、DJで使われることを前提に制作されています。なんとなく繋いでもそれっぽくなるはずです。

そこら辺の基本的なテクニックは、上のレッスン記事を読んだり、どうぞご受講してみてください(笑・信頼できる先生であることは、もちろん保証いたします)。

ハウスで練習したあとにJ-POPをやると、その難しさや面白さがよくわかると思います。あるいは、ハウスDJとしてやっていく決意をするかもしれません。

「繋ぎどころ」を探す

やっと本題に入りました。いつも通り長いですが、お付き合いを。 J-POPのミックスを考えるとき、まず私がやることがあります。 それは、「繋ぎどころ」を探す ことです。

繋ぎどころというのは2種類あります。

  1. 「どこから入るか?」というイントロ部分2. 「どこで次の曲にバトンを渡すか?」というアウトロ部分この2箇所を決めます。 2:20頃では、フジファブリック「虹」から、KANA-BOON「ないものねだり」に繋いでいます。「虹」はサビ後の間奏が繋ぎどころ、「ないものねだり」はイントロのギターリフが繋ぎどころです。

16:30頃では、モーニング娘。(道重さゆみ)の「シャバダバ ドゥー」から、m-floの「Cozmic Night Run」に繋いでいます。これも似てますね。「シャバダバ ドゥー」はサビ後の間奏が繋ぎどころ、「Cozmic Night Run」はイントロのドラムが繋ぎどころです。

楽器または音域のないパートを探す

では、どうやって「繋ぎどころ」を探せばいいか。 もっとも簡単なのは、上で挙げたような 「間奏(アウトロ)」と「イントロ」 にしてしまうことです。すこし退屈ですが、テンポさえ合わせれば良い感じです。

話題がズレますが、野外で適当にBGM流すときは、曲の最後まで流して、それまでに次の曲考えて、テンポを合わしてミックスすることが多いです。ふだん最後まで流さないので、こういったミックスをすると、「おお、あの間奏の後のパートこそ最高だったのか!」と気づくんですよね(笑)。

閑話休題。本質的な提案をしますと、 楽器や音域の減るパートを見つける ことではないでしょうか。 とくによくあるのは、下の3つでしょうか。

  1. ヴォーカルのないパート=いわゆる間奏2. ヴォーカルとドラムのないパート=ドラムの抜けた間奏3. ドラムだけのパートとくに ドラムだけのパートは「お宝」 である、と個人的に考えています(後編で後述します)。ヒップホップ的にはサンプリングも出来ますし、一石二鳥。

「繋ぎどころ」と「聴かせどころ」

ちなみに、「繋ぎどころ」を考える作業は、「聴かせどころ」を考える作業でもあります。

いくら繋ぎやすい箇所を見つけても、「そのあとを聴かないと曲として成り立たない!」と思うなら、そこは繋ぎどころではありません。

どうしても迷う場合は、1つ目の繋ぎどころ、聴きどころ、2つ目の繋ぎどころ、を考えるといいでしょう。 「聴きどころ」を使う/使わないパターンをつくる ことになります。


後編では、実際のミックス方法やエフェクターに関しての考え方を書こうと思います。こちらからどうぞ!


転職活動をしていた。去年の秋。25歳のことだ。 最初の入社先は、色々あって、中途入社だった。2年半ほど働き、転職を決意した。

第二新卒という制度はもう使えない。バイトも大学の名前で簡単に雇われた自分にとって、これが初めての「一人の勝負」だった。

自分の環境ではなく、自分自身を売るのだ。


結果から言うと、転職はうまくいって最近新しい会社で働き始めた。とはいえ、順調に終わった就活とは異なり、転職は失敗も多く、色々と対策も考えた。

それで、そんなときに読んでいた本のひとつが、『転職の赤本』だった。 [amazonjs asin=“4822245470” locale=“JP”title=“営業の赤本 売り続けるための12.5原則”]なぜ転職中に営業本を読んだか。それは、前述したように、「自分を売る」必要がある転職活動と「モノやサービスを売る」営業活動には似た要素があるだろう、という発想からだ。

このことは、本書でも強く繰り返されていた。曰く、

「お客様に好かれる必要はない。信頼されればいいのである」
なんと馬鹿なことを言っているのだろう。企業のCEO(最高経営責任者)が買うという決定をくだすとき、「わたしは彼を信頼しているが、好きじゃない」などと言うだろうか。(p7)

これが筆者の考えの根本だ。

---肝心の内容だが、テクニカル面を教えるよりも、自身のモチベーションを上げさせる向きが強い。とはいえ、営業未経験の自分にとっては、基本的なことは学べた。 実際、ここに書いてあるティップスを翻訳して転職活動にも使っていたりした。たとえば、 「買おうとしているものが理解できる」

「営業担当者が、わたしのビジネスの成功に力を貸そうとしてくれているのを感じる」 「お客様の生産性、収益性、経費削減などに関する質問をする」

などは、就活生向けのアドバイスとして使っても問題ないだろう。事前準備を丁寧にやる大切さを学べる。

---営業に従事してなかろうが、いずれ営業に似た局面は誰にでもやってくる。 営業を経験するのが最適だろうが、せめて営業について考えるだけでも無駄ではなかった。営業なんてやりたくない、って人はとくに。


やっと、少しですが、落ち着いて語れるようになりました。 先週の土曜日、w-inds.の最新ツアー「Blue Blood」を観に行きました。これがあまりにヤバかったので、できるかぎりレポートしておきます。 先に言っておくと、少しでもw-inds.に興味が湧いている/湧いた人は、絶対に観に行ったほうがいいです。いきなりネガティブですが、こんなショーはそうそう無いです。本当に旨い食事を食べたときの、「ああ、これからこのシェフに対するハードルが上がるのか」というポジティブな悲観と言えるでしょうか。そんな感情になりました。

完成されたショー

まず、全てを見終わったあとに感じたのが 「ああ、これはショーなんだ」 ということでした。 とはいえ、ライブとショーの違いってなんだよ?

って話ですよね。自分なりに違いを説明しますと、

文字通りライブは「生」を楽しむ、能動的・積極的な関わりがメインなもの。一方で、ショーは「見せ物」の通り、提示されたものを受動的に楽しむもの、だと考えています。

つまり、 ライブは「楽しんだモン勝ち」ショーは「楽しませてもらったモン勝ち」 、というと伝わるでしょうか。騒いで楽しいのがライブ、騒がずとも楽しいのがショー、みたいな感覚です。 今回のw-inds.のツアーは、上のような意味で、まさしくショーでした。ワーキャー騒ぐのがちょっと苦手なファンの人も、しっかりと堪能できたのではないでしょうか(と言いつつ、お客の中で一番騒いだのは私です・笑・MCのときは静かにしてました。ここが勝負所のファンもいらっしゃるでしょうから)。

これは、 w-inds.がいよいよ「大人」のステージに移行した ことも意味していると思います。もし今回のツアーがシッティングだったら、ディナーショーとしても十分に機能します。ぶっちゃけ、今回のツアー、シャンパン飲みたくなる瞬間ばかりでした(笑・ビールでも良いですけど。琥珀かな?)。

ある意味では、ちょっとだけ遠くに行ってしまったように感じた既存のファンもいるかもしれません。それぐらい、今回のツアーは「大人」だったと思います。

反対に、これは一方的な妄想ですが、MCがいつも以上にグダグダだったこと。アンコールが「Top of the world」というヒップホップのくくりの中でもかなりアイドル寄りの曲を歌ったこと。これらは、彼らの絶妙なバランス感覚であり、無意識的な反抗であると言えると思います。

そういう意味で、「もはやアイドルじゃない」とか「アイドルを越えた」などと言われ続けていた彼らは、このツアーで答えを出したようにも見えました。

永遠に踊り続けられた。バラードですら。

今回、一番驚いたのはここでした。私が何年も「いつか来るぞ、いつか…」と思いながら見続けたましたが、ついに最高の瞬間に出会えました。 それは、

今回演奏した曲が全て踊れたことです。 えー、すっごい単純です(笑)。 TIMELESSツアーも要素としては悪くありませんでしたが、今回のBlue Bloodツアーはまさに完成形。完璧でした。選曲も申し分ありませんし、何より曲と曲の繋ぎ方が素晴らしかったです。

セットリストを友人のサイト、「【全部ネタバレ】w-inds. LIVE TOUR 2015”Blue Blood”1万字レポという名の感想」から確認してみました(自分より圧倒的に長い!)。このセトリを見るだけで興奮が戻りますね。

たとえば序盤。「Beyond The Blue World」、そしてアップテンポな曲の中では遅めの「Million Dollar Girl」から始まり、ジワジワとBPMを上げて、「Midnight Venus」までアゲていきます。この少しずつテンポを上げていく感覚、よくわかります。

曲間の処理も丁寧に考えられていて、「ブギウギ66」で盛り上がったところに「Midnight Venus」のイントロが混じってきたときは、「そんなにいっぺんに食えないよ〜(笑)」みたいな、本当に贅沢だっと思います。 「134」と「I’m all yours」では、シティポップ寄りの曲で、こういうのが好きな人には序盤以上に盛り上がれたはずです(私のことですが)。

そしてもうひとつ良かったのは、前回もそうでしたが、いわゆるバラード曲でも踊りの要素があったことでした。 CANDLE LIGHTはその好例で、1番のAメロは静かにいきますが、サビからはビートが鳴り始め、これはきちんと踊れるリズムでした。 これまでのライブは、必ず_「止まる」_ 瞬間がありました。

車で例えれば、これまでのライブは160km/hぐらいでビュンビュン飛ばして気持ち良いけれども、どこかでブレーキがかかって、またどこかで最高速に達する、みたいな感じでした。

しかし、今回のツアーは最高速こそ130km/hぐらいかもしれませんが、かわりにずっと心地よく助手席に乗れていたようなニュアンスです。

この点も、「ライブ」ならぬ「ショー」だよなあ、と思った理由です。

全ての曲がフラットになった瞬間

最後に、上述したことと被るかもしれませんが、これが一番大事かもしれません。 それは、過去曲の扱いです。この点があって、今回は最高のツアーになりました。

決して「やってほしい曲をやってくれたから最高!」ってだけではありません(たとえば「Spinning Around」とか演ってもよかったんですよ・笑)。

過去曲の扱われ方がBlue Bloodのテーマに沿ったもの であったから、今回のショーは素晴らしかったんです。 そして、それはこれまでのw-inds.の歩みに無駄なものが無かったことを表しています。 過去の曲は、Blue Bloodの布石として、現代の彼らを表す曲として、機能していました

個人史で失礼しますが、私が追い始めたのが「HYBRID DREAM」の2007年。このあとEDM期に突入する訳ですが、その前もその後も、彼らの音楽からヒップホップやR&B;が消えることはありませんでした。

それが、今回のショーでついに表舞台に帰ってきた。で、それにファンも呼応して楽しんでる。そのことに強い感動がありました。

おそらく、彼らはこれからも過去の曲を歌うでしょう。歌うことによって、彼らの音楽に流れる血(まさに血、です)が過去から現代まで脈々とつながっていることを、これからも証明し続けるはずです。


まだ興奮が止みませんが(笑)、とにかく、今回のショーは本当に素晴らしかったです。ラッキーパンチなどては決してなく、通常攻撃であることを信じています。

アルバムの感想同様、気が早いですが次のツアーが本当に楽しみです。「次こそSpinning Around演る」に2万点! では。