私の先輩であり、音楽仲間であるneralt氏が、BCCKSというウェブサービスを利用して、ついに本を出版しました。
『RHYTHM AND FINGER DRUMMING』という名のその本では、AKAIのMPCを主とするパッド式のドラムの操作方法と、ドラミングの技術とは切っても切り離すことのできないターム——グルーヴ——について、氏ならではのインテリジェンスと誠実さを用いながら語られています。
『RHYTHM AND FINGER DRUMMING』については、末尾に解説を少しばかり書いておりますので、よろしければ拝読いただければ幸いです。
MusicTheory,Nice Music,Cool Events 音楽理論、ジャズ理論を中心とした: 《音程至上主義》をその人差し指と薬指で/『本書執筆の動機』
で、こっからは自分の話でして、neraltさんの実行力に心打たれまして(笑)、自分も以前から暖めていたことを何とか書籍にしようと現在進めております。内容は非常に簡単で、「英語のラップを練習してみよう!」という、どなたでも楽しく読めるはずのものです。
以下は、おそらく出来上がった本の「前書き」となる予定のものです。よい書籍には、必ずよい編集者・校正者がいるように、これから書くエントリがモニタの向こうにいるよき編集者の目に留まることを祈ります(まあ留まらなくても勝手に出版しますけどね・笑)。
■ヒップホップを咀嚼できなかった日本人——日本語ラップは「進化」したのか?——
2014年。20年前、10年前と比べて、いろいろなことが変わったが、その中の一つとして、ラッパーがある程度の市民権を得たことは誰もが認めざるを得ないだろう。ラッパーが面白可笑しくえがかれた時代は終わり、今後は名声的にロック・ミュージシャンと並ぶ可能性すら出てきた(ドデかい妄想としては、ZEEBRAやKREVAが亡くなった日、朝のニュース番組で大々的に取り上げられたりするわけだ)。あるいは、「私はラップが好きです」とフロウする人物を想定するとき、その「ラップ」というのは、当たり前にヒップホップ(英語のラップ)を指していたが、今では邦楽のヒップホップつまり「日本語ラップ」を指すことも一般的になったのである。
ヒップホップは、ロックやブルースなどと同様に、アメリカで生まれた音楽ジャンルである。そして、日本語ラップは、ある日自発的に日本の国土から急に誕生した文化ではなく、アメリカのヒップホップを《輸入》して始まった。実際、私が中学生、高校生だった2000年代前半の日本語ラップを取り巻く状況を思い出してみると、ディスリスペクトのひとつとして「日本語ラップはヒップホップの劣化版」という、《輸入》がゆえの運命を日本語ラップは引き受けていた。
重要なのは、このディスリスペクトには「日本語ラップはヒップホップをもとにして誕生した」という仮定が含まれていることだ。そして、本書は、その仮定を真っ向から否定する。
つまり、本書の仮定は次のようになる。
「日本人にはヒップホップは理解できなかった。しかし、日本人は『ヒップホップをやりたい』という気持ちだけで障壁を強引に乗り越え、あるいはブチ壊し、オリジナリティすらも獲得した。」
この仮定からどんなテーゼが生まれるかの考察などは、本書の目的ではない。本書の目的は、この仮定の前半の「日本人にはヒップホップは理解できなかった」ことを検証するところにある。そして、この場合の「理解」とは、歴史学者や社会学者のような「ヒップホップとは〜で、このラッパーはどこ出身で、この単語にはこういう裏の意味がある」という知識的なものではなく、もっと身体的な理解、単純にいえば「ラップが歌唱できる」ところに求める。
よって、検証方法は、「TOEIC450点程度の日本人」である平均的な英語の能力を持ち合わせる私というサンプルが、実際にヒップホップを練習/習得する過程をお見せする。という、バカだがバカ故に強力な検証方法を用いる。
以下では、ヒップホップにおける「クラシック」を取り上げ、有名な1バースをフロウ・ダイアグラムで分析する。また、私(と読者)のペースで練習しながら、ヒップホップを習得することができるか/できないかを考察する。
日本人は果たしてヒップホップを咀嚼したのか?一度口に入れたは良いが吐き出してしまった残骸を、いま、もう一度放り込んでみよう。